キッチンは触れ合いの場
キッチンといえば、幼少期に見ていたキッチンに立つ母親の後ろ姿と、妻が料理している姿を思い浮かべます。今は自分が主夫としてキッチンに立つことが多いから、関連付けて思い出しているのかもしれません。
キッチンに立つ母親の姿とセットで思い出すのが、料理に関する音の数々です。以前の記事でも書きましたが、食材を切る音、鍋の中がグツグツ沸騰している音、コンロの火をつける「カチッチチチチチッボッ」という音などが記憶に残っています。そういえば、学校から帰宅したらすぐにキッチンへ行って、おやつをもらうために母親の後ろ姿に声をかけるというのが恒例行事でした。実家はこの頃、今主流になっている対面式のキッチンではなかったので、「後ろ姿の母親」をよく覚えているのかもしれません。
サラリーマン時代、帰宅した時に妻が料理を用意する姿もやはり思い出します。今は自分が一番キッチンに立っているのに、思い出すのは自分以外の誰か。料理を作る自分の姿は自分では見ることができませんからね。
あとあまり好きではない…いや、かなり苦手(笑)な皿洗いをする場所ではありますが、料理を作る場所でもあり、主夫である自分の「テリトリー」となっています。これはどこの家庭でも同じかもしれません。
主夫になった自分にとって、キッチンとは一種の職場です。正確には家全体が職場ですが、家事の中でも料理の比率が大きいので、家が職場でキッチンが自分のデスクという感じでしょうか。
毎日料理をするのは大変で、やる気が出ない日も当然ありますが、キッチンに立って無理無理でも作業を始めると、徐々にやる気が出てくるというか、気付くと料理が完成していたりします。まるでサラリーマンが、自分のデスクに座るとスイッチが入るような感じ。主フ業も「仕事」ということなのでしょう。
主夫になったばかりの頃、「家事の効率化」にどっぷりハマった時期があって、調味料や調理器具、食器棚や食器類に家電の配置まで凝りに凝ってレイアウトを考え直しました。
例えばコンロ周辺に棚を設置して、調理器具(フライパンや鍋など)を屈まずに取ることができるように配置しました。
ボウルなどは、目線の高さくらいに棚を設置してそこにすべて置きました。調理器具をシンク下の引き出しに片付ける方法もありますが、毎日のことなので、私は屈んで出し入れする方法は避けました。心掛けたのは、「各作業中にその場からほとんど動かなくても作業ができる」ことです。そのおかげで、今料理がとてもしやすいので、あの時に凝った甲斐があったと思っています。
こんな感じで、キッチンは自分にとってまさに「テリトリー」と言えます。サラリーマンと違ってたくさんの同僚と仕事をすることはありませんが、家族の喜ぶ顔を想像しながら料理を作るのも、これはこれで楽しいものです。
また我が家では、キッチンは家族との触れ合いの場でもあります。
最近は色々なアニメや映画を気軽に観ることができたり、遠く離れた人と一緒にゲームをすることができたり、YouTubeで好きな動画を見ることができたりと、気軽に外とつながることができる便利な時代です。その一方で、それに時間を取られて、気づけば家族と会話らしい会話もないまま一日が過ぎることもあるのではないでしょうか。
そうは言っても、料理を作らずに子ども達と一緒にゲームをするわけにもいかず、かといって自分の時間も欲しいので、夜の貴重な時間を全部子ども達との時間にするわけにもいきません。
そこで思い至ったのが「料理の時間」=「触れ合いの時間」とすることです。
リビングキッチンにテレビを置き、子ども達にそこでゲームをやったり動画を見てもらい、私は料理を作る。これなら、料理を作りながらゲームや動画を見ることができるので、内容が気になったら声をかけたり、ちょっと休憩に一緒に見たりして、会話が弾みます。
逆に、子どもに目の休憩がてら料理を手伝ってもらうこともできます。だから我が家にとってのキッチンは触れ合いの場でもあるのです。
主フにとってキッチンは職場、料理は仕事です。
でも一人で孤独に続けられる仕事なんて、多分ありません。私も一人で黙々と料理を作っていた時期がありますが、あの頃は嫌々作っていた記憶しかありません。
子ども達や妻と一緒に作ることもある今は、毎日の料理が大変なことには変わりませんが、嫌々やっている気持ちはありません。「今日は作りたくないから外食!」となることはありますが…(笑)。
家族それぞれが家の中にいながら、孤立しがちでもある今、キッチンを主フのテリトリーとするだけではなく、家族の触れ合いの場とすることも必要なのかもしれません。