〇〇なときは映画に逃げろ!! ~第6回 バレンタインにチョコをもらえなかったとき~ 後攻:カワウソ祭「リアリズムの宿(’03)」
1. レクリエーション下手くそ野郎どもへ捧ぐ
アイスム編集部より「おう、やるか?映画コラム」とエサを与えられ、喜んで飛びついた本企画。概要を紐解けば、先攻の加藤よしきさんに続き同テーマで映画コラムを書くとか。後攻ならちょっとは面白く書けるかと楽観視していた矢先、届いた先攻のタイトルはまさかの『バーフバリ』です。
……え?終わりじゃないですか?何もかも。
ご覧になった方にはわかると思いますが、世界一イイ男が素手で滝を登り、岩を砕き、暴れる象にターメリックをまぶす映画に、どう張り合えというのでしょうか?もうおしまいだ。ジャンケンにグー(石)を出すかチョキ(ハサミ)を出すかと悩んでいるところにバーフ(神)じゃないですか。
気を取り直して、今回のテーマに向き合うと「バレンタインにチョコをもらえなかった時に観る映画」です。いまやバレンタインデーといえば“友チョコ”がメインで、友達や会社、恋人や家族間など横軸の人間関係を繋ぐお歳暮といった趣きです。モテが物言う側面は薄れ、季節行事に変容していると感じます。
カワウソはバレンタインどころか思春期の記憶が丸ごとありません。きっと大多数がそうなんだから、いい思い出ができなかった人も、そろそろ季節行事として受け入れましょうよ。心穏やかにレクリエーションすればいいじゃないですか。
……冷静になれば、そんなことが……考えられる……。頭では分かっていても……魂はまったく別の言葉を叫ぶ……。
「それにしたって、イケてる側のイベントが発生する青春が良かったんですけど!!!」
チョコ、欲しかったですね。とはいえ、イケてない側のエピソードのほうが映画とは結びつきやすいんですよね。善であれ悪であれ、イケてない人間の変容・変身というテーマには普遍的な魅力があります。ラブコメもホラーも、何か問題がある人間がいるからドラマが生まれる。
映画に逃げ込めば「バレンタインやめろ!!!」と暴れまわることもできるし、「自分だって変われる」と奮起することもできます。しかし本稿でおススメするのは、何にも変身しないこと。
音楽用語では、ズレがちで上手く乗れないリズムを「オフ・ビート」と呼び、転じてそんな“はみ出し者”を描く映画を「オフ・ビート作品」と称するとか。そんな作風で知られる、山下敦弘監督の作品をご紹介します。
2. 堪えがたき「間」、読みがたき「行間」
原作:つげ義春「リアリズムの宿」「会津の釣り宿」
監督:山下敦弘
出演:長塚圭史、山本浩司、尾野真千子
音楽:くるり
販売元:バップ(http://www.vap.co.jp)
視聴可能サイト:Netflix(https://www.netflix.com/)
山下監督作品といえば、映画ファンのみならず、幅広い視聴者層の心をザワつかせたTVドラマシリーズ『山田孝之の東京都北区赤羽』('15)、『山田孝之のカンヌ映画祭』('17)が記憶に新しいところ。これらは主演の山田孝之を始めとした出演者の怪演により、もはや別物の様相を醸していますが、過去作にはオフ・ビートな人々を魅力的に描くタイトルが並びます。
ぺ・ドゥナが日本の高校の軽音部でブルーハーツをカバーする青春映画『リンダ リンダ リンダ』('05)、くらもちふさこの名作を映画化し、日本アカデミー賞など数々の賞を獲得した『天然コケッコー』('07)、前田敦子がニートな主人公を演じる『もらとりあむタマ子』('13)なんかも話題になりました。
今回取り上げる『リアリズムの宿』は、つげ義春の短編マンガの映画化に挑んだ作品です。原作は『ねじ式』ほど悪夢的ではないとはいえ、おおよそ紀行ものに期待するような楽しさとは無縁のみじめな旅が綴られます。根幹をなすエピソードは映画版で大胆に脚色され、ラストシーンも原作とは大きく異なるため、巧みに「マンガの実写化」を実現しつつ、十二分にオリジナル作として楽しめる構成です。
『リアリズムの宿』より。原作の主人公はこの悲愴なイカを食わされる
『会津の釣り宿』より。露天風呂のシーンはほぼ忠実に実写化されている
出典:『蟻地獄・枯野の宿』つげ義春著(新潮社)1999
映画評っぽく背景をご紹介しましたが、映画そのものの概要は
“鳥取を舞台に、圧倒的小スケールで描く
顔見知りだけど友達ではない男2人の気まずいロードムービー”
それだけに収まってしまいます。
主人公の木下俊弘(映画監督)と坪井小助(脚本家)は、山下監督と脚本の向井康介の名前をもじったもの。ディレクターズノートでも明記されているように、山下監督自身を投影したキャラクターだと分かります。
お互いを仲介する友人が不在のまま、冬の鳥取県を旅することにした2人ですが、資金は少なく、プランもない。気まずくて、海岸でなんとなく地面に絵をかいたりしちゃう。奇妙で可愛い女の子との合流や、雪の鳥取砂丘など旅情を誘う光景も登場しますが、物憂げな音楽(くるりの書き下ろし!)が演出するのは、ひたすら手持ち無沙汰な時間。
そういえば完全な「手持ち無沙汰」って、スマホ登場後は無くなった時間ですね。手持ち無沙汰だったり、戸惑ったり、はたまたケンカ腰になって流れる「間」が、地味な旅をいっそう濁った色に演出します。
鳥取砂丘の雪景色
映画を演出する「間」は語りがいのあるテーマですが、ここで、オフ・ビート映画の巨匠、ジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』('84)と比較します。こちらもこれといったストーリーはなく、気まぐれなダメ男2人の下手くそな旅行に、1人の女の子が参加するという構図。全編がうら寂しいモノクロで、噛み合わない不条理な展開の映画です。主人公のウィリー(ジョン・ルーリー)の抑えた感情表現に魅力を感じ、カワウソは「世界一下手なデート」としてこの映画を観ました。もちろんスッキリするエンディングは訪れず、なんとも言えない「間」に挟まれて幕を閉じます。
同じオフ・ビートな人間でも、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の主人公は他者を受け入れるのを拒み、また受け入れてもらえないのに対し、『リアリズムの宿』の主人公たちは、他者を受け入れたいのに叶わず、受け入れ態勢の整わぬまま“リアリズム”に突入してしまう。前者は硬質で、後者はふにゃふにゃです。そうした性質の差が愛おしく、もうひとつの大きな特徴を浮かび上がらせます。
3. みじめさに耐え、昆布に挟まれろ
カワウソの有意な抽出ですが、『リアリズムの宿』の制作年次、2003年周辺の邦画事情を振り返ります。1999年に石井克人監督『鮫肌男と桃尻女』が公開。2000年にSABU監督の『MONDAY』、2001年に須永秀明監督の『けものがれ、俺らの猿と』が公開されています。石井克人監督は、2001年から2002年にかけて多彩な短編を収録した『Grasshoppa! DVDマガジン』をリリースしました。これらに共通するのは、まあ正味「なげぇコント」みたいなことです。
1998~1999年にかけてリリースされた、『HITOSI MATUMOTO VISUALBUM』というダウンタウン松本人志の名作コント集があるのですが、この辺の時期にダウンタウンの影響を受けていない芸人はいないと評されるように、邦画にも影響がないとは思えないんです。少なくともエッセンスを盛り込み、地続きの感覚を共有していると感じます。
ロケ地のひとつ、浜村温泉海水浴場
原作のマンガとも、オフ・ビートの名作とも違う印象的なシーン。主人公たちは、終盤の「リアリズムの宿」に打ちのめされ、異臭を放つせんべい布団に挟まれ、暗闇の中で突然爆笑するんです。
ここで今回の落としどころがやってきます。耐えきれず爆笑して、初めて「この状況は面白かったんだ!」と気付く。
あまりにも現実的すぎて、リアルの度を超したシュールな自分たちを客観視したことで、気まずい「間」が氷解して、緊張と緩和の笑いを生み出す。
この視点は映画『リアリズムの宿』独自のもの(そしてダウンタウンのコント的なもの)だと感じます。
イケてなさ、みじめさを耐え忍ぶ時間に、昆布じめのように人格へ味が染み込むのではないでしょうか。
今すぐは活躍できないヤツも、「間」の昆布に挟まれて耐え忍んでいれば、いずれ食べどきがやってくる。
その時が来たら「すべらない」笑い話として経験を活用すればいい。
先攻は「こんなでっけぇ映画がある。それでいいじゃないか……。」と力強く締めくくられましたが、後攻で対比するならば「どんなにちっぽけな人生も映画になる。火種を抱えてくすぶり続けろ」って感じかな、と思います。
それでは、また次回!!!!