少食でも、牛乳ばかり飲んでも、左手を出さなくても。「ごはんって楽しいなあ」という瞬間が一番の栄養!
好き嫌い、大人との味付の違い、お手伝いや食育…。子どもとのごはんは悩みがつきものです。 でも、子どもと一緒でも大人もごはんを楽しみたい。もっと気楽に、自由に楽しんでいいはず。エッセイスト、メディアパーソナリティの小島慶子さんが、お子さんが大学生になった今だから気付いたことを綴ってくれました。今、「子どもとごはん」に悩むみなさんへ。とっても励まされるエッセイです。
「ちゃんとしなきゃ」のプレッシャーから、夕ごはんの時間が苦痛に
「料理は愛情!」という決め台詞が、昔の料理番組ではお馴染みでした。でも個人的な結論から言うと、「料理は食物!」です。そして「料理じゃなくても愛情はバッチリ伝わる!」です。料理が苦手な親の皆さん、安心して下さい。
もちろん、忙しくても一生懸命家族のために食事を作っている人を心から尊敬します。でも「料理をしない人には愛がない」「子どもは手料理を食べないと愛情不足になる」ということではありません。お手製じゃなくても気持ちを込めて出せばいいんだよとか、ごはんがあるのはありがたいよね、感謝して食べようねということだと思います。
朝も夜も丹精込めて家族に食事を作り、絵のように美しい手作り弁当を持たせる「ちゃんとしたお母さん」のイメージが、長い間日本の女性を悩ませてきました。私は専業主婦だった母の料理を手伝うのも家庭科の授業も好きでしたが、自分が親になった時には、毎日料理をしなくてはならない生活に耐えられませんでした。
掃除はたいして苦にならない、洗濯も無問題、でも料理だけは無理。私が作るとうんと時間がかかるし、作ったものを家族がおいしいおいしいと食べてくれても、よかったなーとは思うけど脳の報酬系はさほど刺激されません。
家族に栄養価が高くて安全なものを食べさせたいという思いはあるものの、それが自分の手料理でなければならないとは思わないのです。料理自体はおもしろいので、気が向くと季節の野菜や旬の魚を買ってきて煮たり焼いたりしては、これは〇〇県からきたんだよなどと説明しながら食べさせましたが、毎日の義務となると、苦行です。
また息子たちは、超絶燃費のいい体質でした。つまり、すごーく食が細かった。
さらに食べ物への関心が薄く、何より好きだったのは牛乳。君ら子牛か?というくらい、何を食べる時も牛乳と一緒。お刺身も、お鍋も牛乳と。
当時の私は、焦りました。食べ物を捨てるのはもったいない。ちゃんと栄養バランスよく全部食べさせなくちゃ。すぐに飽きてしまって全然食べる気を見せない息子たちにイライラして、怒り泣きする毎日。息子たちもしょんぼりで、夕ごはんは親子にとってこの上なく苦痛な時間になりました。
子どもは「これ手作り?」なんて気にしない。
「ああ、それはまさに今のわが家!」と涙目で読んでいる人もいるでしょう。真面目に作ったせっかくのごはんを、子どもが全然ちゃんと食べてくれない。よその子は嬉しそうにもりもり食べているのに、うちの子はだらだら食いで残してしまう。しんどいですよね。それが毎晩のことだから、もうほんとに地獄ですよね。
でも人は地獄で食事をするようにはできていません。だから、諦めましょう。ちゃんとやらなくても大丈夫です。私、21年育ててみてわかったんです。子どもはいつか、お腹が空いて勝手にもりもり食べるようになります。それまではいいんです、小鳥か?!ってぐらい少食でも。子牛か?ってぐらい牛乳ばっかりでも。
子どもはいちいち「これはママの手作り?」「これパパのお手製?」なんて気にしてません。それより大好きな人と一緒に楽しくおいしいものを食べるのが嬉しいんです。「ごはんって楽しいなあ」と思う瞬間が、心の栄養になります。
地獄ライフに嫌気がさした私はやがてお蕎麦屋さんから出前をとりまくるようになり、主に夫に料理を任せるようになりました。そしたらかなり食卓が平和になり、全員のQOL(生活の質)が激上がり。なんでもっと早く気がつかなかったんだと思いました。子どもたちはグレませんでしたよ。「どうして今日はママの手料理じゃないんだ!料理は愛情だろ!」なんて言いませんでした。出前のうどんのナルトに喜んでました。私も楽しかった。忙しい共働き生活で、貴重な家族との時間を和やかに過ごしたかったもの。
ちなみに息子たちは大学生になった今でも、食事の際の主な水分摂取は牛乳です。よく飽きないものです。「マナーが」と口走ったお行儀ポリスのみなさん、安心してください。それは彼らもわかってます、もう大学生ですから!
それにしても二人が幼児の頃から飲み続けた50メートルプール一杯分ぐらいの牛乳は一体どこに行ったのかと思っていたら、ちゃんと歯と骨になっていました。なるほど、無駄にはならないのだなと納得した次第です。
子どもは、親の知らないところで学習していく
数年前、食事の時に大学生の長男に「ママ、左手出しなよ」と注意されました。その瞬間、全宇宙が輝いて見えました。息子が・左手を出しなさいと・私に注意するなんて(涙)。
夫と私はこれまでに息子たちに「左手を出しなさい」と合計10万回は言ったと思います。幼児の頃に「三つ子の魂百まで」とばかりに言い続けたのです。言っても全然出せるようにならなくて、それはそれはつらかった。どうしてこんな簡単なことができるようにならないのかと、保育園に通っている間中、小学校低学年になっても、ずっと言い続けていたのです。
でも、成長して中学生になったら一度で通じるようになりました。あら、脳が育ってから言った方が早くない?と、やっとその時に気づいたのです。幼児の時はサブリミナル効果狙いで「左手は出そうね」と一度だけ言って、スルーされても気にしないでいればよかったのです。脳みそが育てば左手を出さなくてはならない理由も理解できるし、何度も注意されるのが鬱陶しいのでとっととやるようになります。なんて話が早いの……あの10万回は何だったの……タイムマシーンで過去の自分に教えてやりたい。
大学生になった息子は「生まれた時からやってますけど」てな顔をしています。私はあんまり嬉しくて、わざと左手を引っ込めてみたりして。今や息子たちと立場が逆転しています。
幼い頃から言い聞かせないと、お行儀が身につかないのではと心配しすぎないで。ものにはちょうどいい時期があるということです。十分に脳みそが育ってから伝えた方が効率がいいし、その後放っておいても子どもはいろんな場所でたくさんの人に接するうちに、ちゃんと自分なりに学習するんです。サブリミナル仕込みしておいた「左手出して」が多少は効果を発揮するかもしれないけど、そんなものよりも当人が体験しながら学習することの方がはるかに多いということです。親の知らないところでね。
親は、わが子に伝えるべき情報を伝える責任があります。食事のマナーもルールも栄養の知識も、お膳に並べてあげることは大事。でも無理やり口に押し込んでも身になりません。ごはんと一緒で、日々の楽しい時間の中で自然と触れているものの中から、必要な時に必要な栄養を子ども自身が摂取するのでしょう。
だからぎゅうぎゅう押しつけて食え食えというのではなく、そっと置いて、遠くから眺める。野鳥の餌付けと同じです。何よりも、やがて羽ばたいていく若者たちにとって、安心できる人と一緒にくつろいで過ごした記憶は最高の栄養になります。
子どもの食事で悩んでいるあなたは、それだけでもう十分真面目です。あとは時の流れに任せて、親子で気楽にごはんを食べて過ごしましょう。