お弁当のはじまり
意外と知らない身近な食べものの語源やルーツを、食トレンド研究家の渥美まいこさんにわかりやすく紐解いていただく「食べものABC」。サタケシュンスケさんのイラストとともにお楽しみください。第二回のテーマは、「お弁当」です。
お弁当って、親と子のコミュニケーションツールになることもありますよね。
私自身、母のお手製弁当に何度も救われたことを覚えています。幼稚園時代の私は内気だったんですが、母が毎回お弁当の裏にキャラクターのイラストを貼り付けてくれていて、それを見ると寂しい気持ちから解放されました。また三人姉妹だったもので日々の暮らしの中では母の愛情を独り占めすることって物理的にできなくて。でもお弁当では母と1:1で向き合えている感覚。太陽のような母の優しさをお弁当箱から注いでもらっていたような気がします。
我が子はまだ2歳なので「お弁当を作って持たせる」という経験をしていませんが、お弁当生活が始まったら、母に作ってもらったおかず達を子どもにも作ってあげたいなと、妄想は膨らみます。
さて、そんなお弁当。
私たちの先祖はどのようなお弁当ライフを過ごしていたのか、リサーチしてみました。
「弁当」の語源と、おにぎりの始まり
「弁当」の語源は中国の俗語で「好都合」や「便利なこと」。「弁えて(そなえて)、用に当てる」ことから、「弁当」という字が当てられ、お弁当箱は桃山時代、「弁当」という言葉は鎌倉時代からあると言われています。
お弁当の代名詞とも言えるおにぎりの歴史は古く、弥生時代にはごはんを天日干で乾燥させた保存食の糒(ほしい)が誕生し、平安時代には蒸したお米を強く握って作られた屯食(とんじき)へ進化しました。屯食は下級役人に与える食事として『源氏物語』の作中にも登場しています。
時を経て、戦国時代では携帯食として実用性が強まった兵糧丸(ひょうろうがん)に変わります。戦国時代を舞台にした大河ドラマや『忍たま乱太郎』『NARUTO』にも、携帯食として登場しているんですよ。初期のおにぎりは具材の楽しさなどではなく、あくまで胃袋を満たすためのエネルギー源だったのです。
お弁当文化が開花した、江戸時代
「弁当」に味わうもの・愉しむものという意味合いが付与されたのは、江戸時代に入ってからだと言われています。
1600年以降は1日3食の習慣も広がって、昼食をとる暮らしになりました。そのため旅の途中でも宿場町から宿を出る際にお弁当箱に握り飯やおかずを詰めてもらい、旅の合間の休憩時に食べていたようです。
江戸後期の1800年代は、料理書や料理屋さんの発展で、おかずなどもバラエティ豊かになりました。花見や舟遊びといった行楽の機会が庶民の間でも増えてお弁当も華やかに。資料をみても、現代のお弁当と遜色がありません。『料理早指南』といったレシピ本も登場し、料理技術の発展でおかずのレパートリーも増えていたようですね。
ごはんに味をつける。炊き込みごはんやふりかけの歴史
米食文化の日本。お米にまつわる調理法やアレンジも日本は豊かにありますね。今回は白米に味をつけるという視点で、炊き込みごはんとふりかけの歴史をご紹介します。
まずはじめは「炊き込みごはん」。なんとなく近現代で誕生したメニューかと思いきや歴史は長く、古代から存在していました。
「炊き込みごはん」の起源は、米の収穫量が十分でなかった奈良時代にあわや雑穀、いもや大根と一緒に炊いたものを「かて飯」と呼んでいたメニューが始まりとされています。
江戸時代になると混ぜる食材も豊かになって、現代のような旬食材を庶民も楽しむようになりました。かき飯や鶏飯、あさりごはんなど、季節感を楽しむごはんとして愛されていたようです。
大正時代に誕生したふりかけは、元々は栄養補助食品
サケや卵、おかか味など、ふりかければ何杯もごはんが進む「ふりかけ」。
ルーツは大正時代にさかのぼります。元々は薬剤師の吉丸末吉さんが、日本人のカルシウム不足を心配して考案したもので、調味料・煎りごま・ケシの実・海苔などを加えたものでした。魚臭さを消して魚ぎらいな人でもふりかけて食べられるよう考案し、瓶詰めで売り出したのが始まりだと言われています。
この頃は「御飯の友」とか「遠足の友」という名前で販売されていて「ふりかけ」というネーミングになったのは昭和34年にふりかけ協会が発足してからのことだとか。
「御飯の友(フタバ社)」ではパック販売もしていますが、特徴的な八角瓶詰めも、現在でも手に入れられる。この八角瓶は、入口が小さいことで乾燥を防ぐという機能に加え、考案者が薬剤師であったことににちなんでフラスコをイメージして作られているのだそう。
お弁当の定番おかずは、いつ誕生した?
幼い頃、お弁当に詰められたタコさんウインナーを見て「なぜイカでもホタテでもなくタコなのか?」と思った記憶があります。ウインナーが赤いからか…なんて勝手に納得していましたが、改めて調べてみると意外にも合理的な理由でした。1955年以降に考案者は料理研究家の尚道子さんで、1955年頃(昭和30年代)と言われています。
転がりやすいウインナーを箸で持ち上げやすくするための飾り切りとしてNHK『きょうの料理』で紹介したことが始まりです。
その後、おいしそうにみせるため着色されたウインナーも販売されるようになって、赤いタコウインナーがより知られるようになります。
2つ目は「卵焼き」。1800年頃の幕の内弁当で既に卵焼きが登場していますが、当時は高級品で、高度経済成長期でもまだ、ぜいたくな憧れの食べ物でした。
1961年には「巨人・大鵬・玉子焼き」と称されるほど子どもに人気なメニューだったことを示しています。
そんな高級品が「常に冷蔵庫に常備されている卵」になったのは1970年頃。食生活の欧米化が一気に加速、米国から新品種の養鶏の新技術が導入されたことで、手頃な価格で購入できる存在になり、日々のお弁当箱にも登場するようになりました。
近年では「デコ弁」や「スープジャー弁当」など、一層工夫されて親しまれていますね。家族への応援や愛情を伝えるお弁当文化。毎朝作るのは大変かもしれませんが、ぜひ「頑張りすぎず」に、日本古来からのお弁当作りを楽しんで欲しいなと思います。