音楽家夫妻が軽やかに奏でる、コーヒーとケーキの物語ーー小西珈琲焙煎所
写真家の中川正子さんが写真と文章で綴る、「テイクアウトのある風景」。今回は、岡山で夫婦が営む焙煎所「小西珈琲焙煎所」を訪れました。音楽家でもある二人にとって、コーヒー屋を営むということは、どんな意味を持つのでしょう。静かで、でも力強い物語です。
音楽家のふたりが営むコーヒー屋がある。小西珈琲。岡山市の中心でシックな店を持つ彼らが、新しく焙煎所を開いたというので訪れた。
市内から車で30分。地方都市はたいていそうだと思うけれど、たったそれだけのドライブで日本昔ばなしみたいな自然の中に。東京から越して10年も経つけれど、いまだそれに新鮮にぐっと来てしまう。
なんて気持ちのよい道のり。低い山々と悠然と流れる川を見ていたらすぐ、着いてしまう。その頃にはもう、道中の清々しさで心がすでに満たされている。
小西珈琲はギタリストの小西泰寛さんとシンガーソングライターのtony chanty(トニー・チャンティ)さん夫妻の店。岡山市中心部の飲み屋さんの立ち並ぶ古い商店街にひっそりと佇む、国内外の古道具で整えたとても静かな場所。
小西くんがじっくり淹れるコーヒーと、トニーちゃんが作った繊細なスイーツ。自分をあまり押し出すことのないふたりが作る空間は時間の流れがとてもゆっくりで、何かインスピレーションが欲しい時はよく、一杯いただきに向かう。
ここはそんな彼らが作った新しい焙煎所。街中の本店とは対照的に、 道路に面して明るく、そして、とてもとても、広い。
聞けば元工場の建物だそう。山が見えるのんびりした住宅地に突然現れる優美な空間。大きな焙煎機があり、たくさんの豆が並んでいる。
表のテイクアウトコーナーでは、コーヒー豆はもちろん、淹れたてのコーヒーや数種類のパウンドケーキ、あとコーヒーゼリーなんかも持ち帰ることができる。
この日も、市内から車でわざわざ来るひとびとや、近所のおじさまおばさまが入れ替わり立ち替わり。すでに、土地に自然と馴染んでいる。飲み屋街であってもどこであっても、自分たちらしさをそのままに、でも主張しすぎず、すっと。そのさまは、二人自身の姿にも重なるように思う。
それぞれ音楽活動をしていたふたりは、2014年にユニット活動を始める。自分たちのやりたい音楽を目指してのことだった。「静寂、沈黙、湖のさざ波」の意味を持つ、Cijimaという名で。
ライブには残念ながら足を運べなかったけれど、ふたりの人柄が滲み出る、「しじま」と呼ぶにふさわしい音はわたしもとても好きだった。その翌年、もともと好きだったコーヒーも仕事にしようと、小西珈琲をオープン。焙煎は小西くん、料理はトニーちゃん。二足のわらじを履いての暮らしが始まる。
コーヒー屋と音楽家としての活動の両立はどう始まったのだろう。
いざ始めてみると店が忙しくて、音楽をやる時間が取れなくなっていたとふたりは話す。そんな余裕がなかったと。お子さんも生まれ、多忙を極めるようになり、なおさら。
仕事と家庭、商業的写真と個人の作品。その両立のバランスをいつも調整してきたわたしは、彼らのそれもとても聞いてみたかった。そんなふうに一度活動が止まったとき、どうだった?
「何も不安じゃなかった。」
小西くんは、いつもの淡々とした様子で静かにそう言い切る。むしろ止まったことで一度自分のやってきたことを客観視することにもなり、様々な音楽を聴くようにもなったと。
彼はもともと、他人と比較する習慣がなく、するとしても対象は過去の自分。そんなマイペースさも理由なのかもとトニーちゃんも言う。ふむふむ。トニーちゃんはどう?
「気負いがなくなったと思う。」
音楽にはかたちがない。自分の表現やメッセージ、それらを模索するプレッシャーやジレンマが常にあった。
でも、食べるものはそれとまったく対局。かたちがあって、ただ、おいしい。そして食べたら、なくなる。作ったあなたがどう、とかではなく、すぐ忘れ去られるごくシンプルな幸福がそこにある。それが健康的で救いだったと彼女は言う。
表現を志すひとが一度はおちいるであろう、「自分の表現とは」という果てしのない問い。わたしもそこを経験したことがあるから、トニーちゃんの気持ちが痛いほど、よくわかった。
そこから一度離れて、「人間らしい」営みを経て、見える新しい世界があったことを思い出す。わたしの場合もそれは、子育てというできごとがきっかけだったな、とも。
音楽を一時的に休止しているかたちのふたりにとって、今はコーヒー屋というのは「表現」と呼べるのか、聞いてみた。
「個人的な表現じゃなくて、もっと俯瞰してる」とトニーちゃん。小西くんも隣でうなずく。
この建物に出会って、「自分たちがどうしたい」ではなく「ここにはきっとこういうのが合うだろう」と考えた。現実的な金銭面の折り合いもつけつつ、その場でのベストを探る作業。それは、自己を掘り下げていた音楽活動とは真逆の、客観的なプロセスだそう。
もともと好評だったケークサレは、「香りがこちらのお店には合わない気がして」とパウンドケーキ数種に絞った。自分たちの嗜好ではなくあくまで、お店にとってよいかどうか、という判断で。
もともとふたりが好きだった古道具の販売もお店で始めた。またこの状況下で、オンラインでも「珈琲に纏わる古道具」としてコーヒー豆と一緒に販売を始めると、全国の多くのひとから反応があった。そこにも、「好きなこと」ではあるけれど「表現」という力みはない。
小西珈琲のメニューやパッケージに使われているアイコニックなうつくしい手書き文字は、トニーちゃんによるもの。それも「表現」じゃなくて、この店にはこれがいいだろう、という軽やかさ。ふたりの美意識を表すものとしてぴったりだと思うけれど、そこにはたしかに、おしつけがましさのようなものはなく、ただ、うつくしい。かっこよさの基準も変わったかも、と彼らは言う。
「ただふわふわしている抽象的である意味『自己満足』とも呼べる表現とは違う、生産性のある繰り返しの毎日。そこには基盤がある。それがいつかまた、音楽をやるときの『説得力』になったらいいなと思う。そんな意味が、今の生活にはあるっていうオチだったらいいな。」
トニーちゃんは清々しく笑う。わたしも、すごくそう思う。
このあたらしい場所を得て、次のステージに自然と進んでいるように見えるふたり。いつかよいタイミングで再び、音も奏でるのだろう。それはきっと、どこかあたらしい音。それが今からとても楽しみ。
コーヒーとパウンドケーキ、あと、ブレンドの豆買って帰るね。豆は遠くのともだちにも送りたいから、多めに。うつくしい山と川を眺めてゆっくり、帰りました。
店舗情報
小西珈琲焙煎所
岡山県岡山市東区瀬戸町万富337-9
086-238-5979
営業時間 11:00〜17:00
定休日 水曜
※小売り販売はメールもしくはお電話にてご連絡ください。
(翌日コーヒー豆のお渡しが可能)