生活と生活がすれ違う場所。「ちょうど良い」スーパーとは?
わが家は食べ盛りの子ども二人を含む六人家族。日頃の食卓を支えるスーパーでの食料品の買い物は、なかなかの大仕事です。
お肉は大容量で安いAスーパー、おいしいお魚が食べたいときは漁港直送のB鮮魚、とにかく疲れた時は駅近のCマーケット…と、冷蔵庫の中身や、それにもちろん予算と相談しながら、あちこちのお店を使い分けています。
以前は、「とにかく同じものなら少しでも安く!」そう考え、戦闘モードで日々の買い物をしていたこともありました。
しかし最近は、そんな「お得一辺倒」な買い物生活を見直し、もう少しゆとりある…というのでしょうか、自分のペースに合った買い物を心がけるようになりつつあります。
激安を謳うスーパーの、さらに特売の日を狙ってまとめ買いをするように心がけていた頃は、開店時間ぴったりにお店に向かっても、すでに入口から黒山の人だかり。セール目玉品の売り場は満員電車のようです。お客さんたちは(もちろん私も含めて)みんなお目当ての品を自分のカゴに入れようと夢中になっています。ちょっと買い忘れたものがあるから野菜売り場に戻りたいな…と思っても、この人の波をかき分け逆流して進むのは至難の業です。
もちろん、そんな活気に溢れたお店の雰囲気も楽しいものでした。何よりも、お得に買い物ができた、それだけで気分は高揚するものです。
しかし毎週やっとの思いで戦利品の数々をカゴに入れ、お会計に並んでも、もちろんレジも長蛇の列。まとめ買いした大量の食品を袋に入れ、駐車場(もちろんここも混んでいます)に戻ってくる頃には、ぐったり疲れていることもしばしばでした。
そんなふうに買い物を続けて数年。年を追うごとに、特売日の開店時間を狙ってスーパーに向かうことがだんだん難しくなってきた自分に気づきます。加齢による体力気力の低下…と認めたくはありませんが、もう少しゆったりと買い物がしたいな…と、気持ちが徐々に変化していったのです。
そんなわけで、日々、最安値を追い求めることをやめてからしばらくが経ちました。
今の私は、子どもの習い事の合間に近くの小さなスーパーに立ち寄ったり、仕事を終えた深夜に24時間営業スーパーまで車を走らせたりと、以前よりずっといろんな店に買い物に行くようになりました。
新商品をどんどん入荷するお店、揚げたてコロッケに定評のあるお店、やけに日本酒の品揃えがいいお店…注意深く売り場を見ていると、どのお店にもそれぞれ独自の持ち味があることがよくわかります。また、時間帯によって客層が違ったりするのも興味深いものです。
朝の地域密着型の小規模スーパーで、高齢のお客さんたちに混じってゆったりと売り場を見て回ったり、たまに知らないおばあちゃまに話しかけられたり。夕方遅く、駅近くのスーパーでは、仕事を終えて急いで帰る同年代の皆さんが、惣菜コーナーで「もう夕飯はお惣菜でいいか…いや、でも…」と悩んでいるのが手に取るようにわかったり。深夜の人もまばらな売り場で、すれ違う年代も性別も格好も様々なお客さんたちそれぞれの人生について勝手に想像をめぐらせたりしています。
少しゆったりした気持ちで買い物ができるようになって改めて気づいたことは、スーパーのカゴの中身はそれぞれの生活の縮図だなぁということです。
売り場ですれ違う人たちのカゴの中身が、見るともなくチラリと見えると、そのお宅の台所を覗いてしまったような気持ちになってどきっとすることがあります。
当たり前ですが、人間、毎日ごはんを食べなければ生きていくことができません。高齢の方の押すカートに入っている少量パックのお惣菜やバラ売りの野菜、小さい子連れのお客さんのカゴに山盛りになった食材とお子さんの手に握られたお菓子、カゴを持たずにパンやお弁当を手に持っている若い人…みんなそれぞれ、毎日食べる、もしくは家族に食べさせる、という行為に向き合っています。
思えばご近所付き合いも薄くなった現代で、スーパーほど、他人の生活の一端がすれ違う場所ってないんじゃないかと感じます。
年代も性別も、家族構成も職業も収入もそれぞれ違うけれども、みんな食べて生きていく一人の人間なんだな、と、売り場でしみじみと思ったりする今日この頃です。
そんなわけであちこちのスーパーに節操なく顔を出している近頃の私ですが、そんな中でも、気づくとなんとなく足が向きがちなスーパーがあることに気づきました。とくにこれという特徴がない、住宅街にあるさほど大きくもないお店なのですが、妙に居心地がいいというのでしょうか。
他のお店と比べて激安なわけでも、目玉商品がドドーンとあるわけでもなく…しかし店内がすっきりと清潔で、照明はほどよく明るく、BGMや店内放送がうるさくなく、パートさん同士がたまに談笑していたりするユルさもある。何より広すぎなくて歩き疲れないし、どこに何が置いてあるのかが分かりやすい。買い物に疲れたらちょっと休憩できるイートインスペースがあり、実際に様々な年代の人がくつろいでいる。
なるほど、この絶妙な「ちょうど良さ」が、地域の人たちから愛されている秘訣なのかもしれません。
そしておそらくはそのちょうど良さ、お客さんの居心地の良さは、運営会社の熟考と努力に裏打ちされて成立しているのだろうな…と思います。だって、働く人たちの待遇や人間関係が悪かったり、店舗の運営システムが潤滑に回っていなければ、その雰囲気は必ずお店のどこかに滲み出てくるものだと思うからです。お客さんだけではなく働く人も含めて居心地の良いお店を作ろう、という強い意志がなければ、なかなか実現出来ないことではないでしょうか。
一歩足を踏み入れると、どこかほっとした気持ちになる…気づけばつい来てしまう…そんなスーパーが家の近くにある私は、とても幸運なのかもしれません。
昨日、そのスーパーで、黄色く完熟した南高梅の実をたくさん買い込んできました。この週末は梅干しの漬け込み作業に追われる予定です。
もう少し梅の実を買い足してこようかな…それから塩も、赤しその葉も…。
梅の実の芳しい香りが漂う青果売り場に、私は明日も訪れることになりそうです。