受け継がれる「厨房の音と匂い」

わが家の笑顔おすそわけ #21「料理の音」〜甘木サカヱさんの場合〜

LIFE STYLE
2021.11.29

生卵をかき混ぜる、かちゃかちゃと軽やかな音。
熱した鉄鍋に肉をのせた時の、ジュワーっと水分がはぜる音。
私が育った家は、いつもこんな音で溢れていました。

私の実家は飲食店でした。店舗は自宅に併設されていて、厨房とリビングはドア一枚で行き来ができるようになっており、両親が忙しく立ち働いている様子がいつもすぐそばにありました。

子供の頃の記憶は、厨房の音と匂いに満ちています。

厨房の音で一番好きだったのが、父が卵を割ってオムレツを作る音でした。小さな鉄製のフライパンに油を引いて薄煙のたつ匂い。卵を割ってかき混ぜる快い音。フライパンに流し入れた時の卵液がジュワッと沸き立つ音。父の手元で、卵液がみるみるうちに綺麗なオムレツになるのを、まるで魔法のように熱心に見つめたものでした。

ハンバーグのたねの空気を抜くために、両手に打ち付けるパタパタパタ…という音もよく覚えています。目にも止まらぬ速さで父の大きな両掌を行き来するひき肉は、まるで生きているようでした。

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部活を終えて学校から帰ると、そろそろ夕飯時、飲食店が一番忙しくなる時間です。父が大きなフライパンを振る金属質の鈍い音、オーブンの唸る音や鍋が煮立つ音。お客さんたちの話し声までリビングに響くのもめずらしくはありませんでした。

洋食や喫茶が中心の店なので、いつも実家にはハンバーグやカレー、パスタの香りが充満しています。高校生の頃にクラスメイトが、私が着ている制服に鼻を近づけてクンクンさせ「なんか甘木さんすごくおいしそうな匂いがする」と言われたことを今でも思い出します。自分では鼻が慣れていてわからなかったけれど、いつもリビングに吊るしてあった私の制服には、さぞかし食欲をそそる匂いが染み付いていたことでしょう。

職場と家庭が隣接しているということは、両親が忙しそうにしている様子が手に取るようにわかるということです。

そっと厨房のドアを開けて覗き込み、父や母が鬼気迫る形相で調理をしていれば、またそっと閉める。幼い頃から、とにかく厨房が忙しそうにバタバタしている時はそちらが優先、両親に聞いて欲しいことがある時もかまって欲しい時も、邪魔をしてはいけないのだ、ということが身に染み付いていました。これはきっと、職住隣接の自営業の家に育った人ならば大抵同じなのではないでしょうか。

私はあまり両親に甘えず、学校行事の準備でも模様替えでも、できることは自分で勝手にやる、という、よく言えば自立した、悪く言えば独断で突拍子もなく動く子供でした。この環境も多少は関係しているのかもしれません。

それでも、入れ替わり立ち替わりやってくる個性豊かな常連のお客さんたちは私をとてもかわいがってくれました。両親以外の大人たちがお酒を飲みながら楽しそうに語り合ったり、管を巻いたりする姿を間近で見られたのは、今思えばなかなか得難い経験でした。

今の私が、大人になっても誰だってはしゃいだりふざけたり泣いたりしていいんだ!と思えるのは、育った環境のおかげかもしれません。

店が忙しい時は、よく厨房からお使いを頼まれました。キャベツがなくなったからすぐ近くのスーパーで買ってきて。2階にある大きな冷凍庫から食材を取ってきて。玉ねぎの皮を剥いて。

そんな声がかかると、宿題をしていようが友達が遊びに来ていようが、放り出して店の用事をするのが当たり前でした。両親から感謝されるのも嬉しかったし、自分も家業の一端を担っている、という多少の誇りもあったのかもしれません。

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私自身、あの時背中を見ていた両親と同じ年頃になってつくづく思うのですが、あの厨房から聞こえてくる音は、まさに我が家の生計が回る音に他ならなかったのだと思います。

忙しそうな厨房の音は、それだけ店に来てくれて、待ってくれているお客さんがいるということ。

厨房で立てられる音が賑やかであればあるほど、ここが我が家の暮らしの最前線なのだ、と子供心にも実感させられていたのです。

小さいうちから店で遊んでいた私を見て、「マスター、立派な跡継ぎがいて安心だね」と常連さんたちはよく、冗談半分に言っていました。

思春期の頃の私は、一度だけその気になって、父に「店を継ごうかな」と言ったことがあります。しかし父の答えは「継ぐ気があるくらいなら、自分で一から店を作りなさい」でした。厳しい祖父母の元を飛び出して単身で飲食業の修行をし、店を始めた父らしい言葉でした。

そこで私の頭からはあっさりと家を継ぐ選択肢は抜け落ちました。ほどなく大学進学で実家を出ることになり、結局それから私は地元には戻らずに、実家から遠く離れた距離に家庭を持ち、今に至ります。

当時の父の言葉が、本当に100%の本心だったのか、それとも照れ隠しのようなものだったのか、今となってはわかりません。

また、当時まだ若かった父と、歳を重ねてそろそろ引退のタイミングも考えなくてはならなくなった今の父では、もしかしたらまた違った本音があるのかもしれません。

私自身も、進学や結婚など人生の大きな節目を迎えるたびに、あの時もし「じゃあ家をぜひ継いでくれ」と言われていたら、全く違った人生があったかもしれない、と幾度か考えました。私も壮年期と呼ばれる年頃になり、実家で過ごした年数よりも、離れてからの方が長くなりました。厨房で、昔の父のように大きなフライパンを振る自分の背中を、想像しようとしても今はもう、うまく思い浮かべることはできません。

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私は料理のプロにはなりませんでしたが、家庭料理と、そして食べること自体が大好きな大人に育ちました。今、家族に夕食を作るとき、自分の手元の包丁や鍋やフライパンが立てる音が、実家の厨房から聞こえてきた音に重なるような感覚を覚える時があります。

例え厨房に並んで習ったわけではなくても、手元のリズムや肉の焼ける音、匂いなど、身に染み付いているように感じることがあるのです。

もしかしたら、私がずっと聞いていたあの音、リズム、匂いなどは、文章では決して表すことのできない、レシピ本をいくら読んでも実感するのが難しい部分だったのではないか…今になってそう思います。

今、私が台所で立てている音や匂いも、もしかしたら子供たちの耳や鼻にいつの間にか染み付いて、少しは役立つ時が来るのかもしれない。

そんなふうに思いながら、父ほどには上手に焼けないオムレツの卵を、こればかりは同じ軽やかな音を立ててかき混ぜるのでした。

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