ごはんを作る日と、作らない日の間に。助けて!「1分サラダうどん」
今日はもう指一本動かしたくない、夕飯なんて作れる気がしない…そんな日が、台所に立つ人ならば必ずあるんじゃないかと思います。
外食や総菜、デリバリーが「主婦の手抜き」と責められる時代が最近ようやく終わりを告げ、SNSなどで堂々と「ごはん作りたくない!」という仲間の心の叫びを目にすることも多くなりました。
ごはんを作れない日があっても当たり前!という時代の流れは本当にありがたいし、また、長いことその働きを軽視されてきた台所担当の私たちが、やっと勝ち取った時代の潮流だ!と感慨深くもあります。
「無理せず外食やデリバリーでいいんだよ。」
「買ってきた総菜は堂々とそのまま食卓に出せばいい。」
まったくその通り、そう言える時代を、私は待ち望んでいました。
でも、いざ自分がごはんを作れないほど疲れ果てた日に、誰かが私にそう言ってくれても、「そう簡単にはいかないのだよ…」とげんなりしてしまう時があるのもまた事実です。
我が家は大人4人、子ども2人の6人家族。週に何度も外食やデリバリーをするのは予算的に無理がありますし、義父母と同居している手前、何日も続けて、買ってきた総菜を食卓にそのまま並べるのは気が引けてしまいます。
堂々としていればいいんだ、と思ってはいても、やはり世代が違う義父母にとっては、総菜は手抜きに映ってしまうだろうという負い目からなかなか逃げられません。
結果として、誰に強制されたわけでもないのに無理に台所に立ち、調理や片付けに疲弊し、そしてますます体調が悪くなる…そんな悪循環をかなり長い間続けていました。
しかし、数年前、甘塩の鮭の切り身をグリルで焼いている時に、ふと思ったのです。
鮭を海から獲ってきて、捌いて、塩漬けにして、冷凍してパックするところまで他人の手にゆだねているのに…私は最後に焼いただけなのに、どうして堂々と手作りの料理です、と言って家族の前に出せるのか?
焼いてある鮭の切り身を買ってくるのと、生の塩鮭を家で焼くことの間にある差なんて、鮭が塩漬けの切り身になるまでの手間と比べたらほんの僅かなんじゃないか?
ごはんは自宅で炊かないと手抜きな気がしてしまうのに、食パンは買ってきて平気なのはなぜか?食パンをトースターで焼くことと、総菜をレンジでチンすることの違いはそんなに大きいのか?
毎日の食事は、「作る」と「作らない」という2択じゃなくて、どの程度他人(生産者、加工者etc.)に手助けしてもらうかの、程度の違いがあるだけでは?毎日の食事はもっとフレキシブルに考えていいのじゃないか…ここ数年、そんなふうに思うようになりました。
さて、ここでようやく今月のテーマ「夏の麵」が登場します。
外食もデリバリーもしたくない、でも手間をかけてごはんを作るのもつらい…そんな時に私がよく作る(そう、驚くほど簡単なメニューでも、堂々と『作る』といってしまいます)、「(最短)1分でできる!サラダうどん」です。
材料
作り方
- 1. 麺をさっと水ですすぐ。
- 2. カットサラダと、軽く汁気を切ったツナ缶を麺の上に乗せ、規定の濃さに薄めためんつゆをかける。
- 3. お好みでマヨネーズなどを添えて出来上がり。
…いや乗せただけじゃん!!作ってないじゃん!!という声が聞こえてきそうですが幻聴でしょうか。
しかし私はあえて断言します。これは決して手抜きでもサボりでもありません。
他人に手伝ってもらう割合がちょっと多いだけで、これ一品で栄養バランスもとれる、りっぱな食事です。
このメニューを作る際に気を付けるのは一つだけ。できる限り、疲れ果てる前に買い物を済ませておくことです。
ツナは開封しなければ日持ちしますし、麺も消費期限まで4~6日ほど余裕があります。
カットサラダは賞味期限に注意して買う必要がありますが、最近ではコンビニでも袋入りのものが何種類か売っています。お値段も一パック100円程度から、とお手頃。
私は、あらかじめこの日は疲れそうだな…夕飯作る気力が沸かなさそうだな…という日に目星をつけて買い物をしておきます。
今日は帰ってから1分(6人分作るので実際には1分では厳しいですが、気分だけ!)で夕飯が作れる、そう思うと、重い腰も少しは軽くなるというものです。
もちろん、心と体力に余裕があれば、冷凍うどんや乾麺を茹でたり、生野菜を刻んだりしてもOKです。
ツナがなければカニカマやハムでもチーズでも…要は野菜とたんぱく質 、そして麺の炭水化物の三つが入っていれば、これは栄養バランスも考慮した立派な食事である!と胸を張れるわけです。
カニカマの場合はわざわざほぐさなくてもいいし、ハムだって丸いスライスのまま乗せちゃいましょう。我々には立派な歯があります。食いちぎれ、噛み砕け、消化せよ!
そうやって作ったサラダうどんを、家族でわしわしと勢いよく食べていると、これをどうやって作ったか、どのくらい他人に手助けしてもらったかなんて、実に些細なことなんだ、とつくづく思います。
もちろん、しっかりと自分の手をかけて料理をしたい日も、それができる日もあります。
そしてちょっと贅沢をしようという日の外食もデリバリーも、実に楽しいもの。
総菜や弁当売り場のバリエーションの豊富さも、最近では目を見張るほどです。
そりゃ少しは栄養の偏りとか、塩分が濃いとか、理想通りにならないこともあります。
でもまずは、一緒に食卓を囲む人のお腹を満たすこと、そして明日へのエネルギーを補充することが一番大切ではないでしょうか。
それさえできたら、食卓を預かる身としては充分に及第点。
作る日も、作らない日も、その中間(このゾーンがとっても広い)の日もありますが、食べない日はありませんもんね。
あまり自分を追い込みすぎず、疲れた日は、頼れるところにどんどん頼っていきましょう。
冷蔵庫の中にも食料品庫の中にも、度合いは違えど、他人が作ってくれたり、手助けしてくれた食べ物がたくさんあります。
私たちはもともと、一人で台所を背負っているわけではないのですから。