なべ奉行という最高の仕事
我の名はなべ奉行である。なべを仕切ってもうかれこれ20年が経つ。
なべは誰にも触らせない。全てはなべ奉行のコントロール下に置かれているのだ。
なべは気軽な料理だと思われている。たしかにそういった側面もあるだろう。しかしなべはシンプルな料理だからこそごまかしが効かない。いくらでも工夫ができるし、こだわりが持てる。
だしはかつお、または昆布で取る。魚をメインとしたなべならば昆布が良いと北大路魯山人が言っている。無論、僕もそれに従っている。かつおだしで魚を煮ると、くどい味になるのだ。魯山人が言っているのですから間違いない。ちなみに最近魯山人の本を読みすぎて文章が魯山人に似てきているのだが、渋い文章を書きたいので許して欲しい。
なべ奉行に話を戻す。
なべ奉行以外の、なべを囲む人々に言いたい。とりあえず黙って奉行を信じてついてきて欲しい。司令塔は二人いらない。船頭多くして船山に登るというが、なべ奉行が何人もいては、なべの秩序が乱れる。囲む人たちはとにかく食べることに集中をして欲しい。全集中、なべの呼吸である。一の型、寄せなべ!
なべの中で一番オーソドックスなのは寄せなべだろう。入れる具などに関しては、細かいことは言わない。冷蔵庫の中にある残り物の食材でも良い。もちろん新鮮な野菜ならなおのこと良い。ちなみに魯山人は裏庭で採ってきた野菜が一番新鮮で良いと言っていたので、心と裏庭に余裕のある人は家庭菜園を始めよう。魯山人的、丁寧な生活である。
なべで一番大切なのは兎にも角にもだしである。さきほども申したが昆布をオススメする。昆布でだしを取るときは、昆布を煮てはいけない。一瞬だけ昆布を湯に通す、くらいの感覚で良い。僕も最初は煮ないとだしが出ないような気がしていたのだが、湯通しするくらいが一番上品なだしが取れるのだ。
「もったいない気がする」という気持ちは一切合切捨てて、心を鬼にしてすぐに昆布を取り上げて欲しい。これが立派ななべ奉行になるための第一歩なのだ。
そしていよいよ煮るわけなのだが、ここからなべ奉行の本領を発揮しなければならない。
とにかく野菜を煮すぎない。なべを仕切りながら、酒なんかを飲んでしまうと、気が緩んでグツグツと煮込みがちだが、これは絶対にしてはいけない。酒は飲んでも飲まれるな。すべてを取り仕切るなべ奉行は、ベストのタイミングで皆に声を掛けて食べてもらうことに専念しなければならない。野菜がクタクタになるまで放置など言語道断である。
夏はBBQを取り仕切るあみ奉行もやっているのだが、BBQも後半戦に差し掛かってくると、つい肉や野菜を焦がしがちである。あれはまさに集中力が途切れた瞬間に起こる出来事である。あみ奉行も油断大敵ではあるが、それはなべ奉行も一緒なのである。
ちなみに僕は焼肉奉行もやるので、一年中、奉行して活動していることになる。もう名刺の役職のところに「奉行」と入れるかどうかを検討しなければならない。
株式会社アマヤドリ代表取締役社長/奉行
これだ。
ここまでしつこく書くと気難しい人のように思われるかもしれないが、これは奉行たちの心得なので、食べる者たちは僕ら奉行になべを任せ、気にせず大いに盛り上がってくれていて構わない。なべを囲み盛り上がっている空間を陰ながら演出するのが僕らの仕事なのである。
おいしいなべを食べてもらうための創意工夫もそうなのだが、見た目はやはり大切なので綺麗に盛り付けたりもする。暇さえあればピンタレストやインスタで『#なべ』でディグっている。調べるとわかるのだが、世界には僕以上のなべ奉行がたくさんいる。もうなべ大奉行とか大名のレベルだ。一度調べてみて欲しい、見た目の大切さがわかる。むしろなべこそが一番映える料理なんじゃないかと思う。タピオカの次はなべ、あるぞ!!
なべも食べ続けていると、みんなの手が止まる瞬間がある。そのときはすかさず一度具を全部取り上げて、味を変える準備に取り掛かる。
寄せなべから辛いのに変更してもいいし、そのあとにチーズを入れて楽しんでも良い。魯山人先生は邪道だと怒るかもしれないが、最後はジャンクな感じで楽しんでもいいと思う。
さて、昨日はすき焼きを家族に振る舞った。僕が正月とかに作るようになってから、息子たちがとても気に入ったみたいで、今では月一くらいのペースでやるようになった。すっかり我が家のお決まりのメニューなのだが、息子たちにはすき焼きの英才教育をしている。
「肉はケチってはダメ」
「肉の旨さは値段に比例する」
「肉は絶対に煮込まない」
「別のフライパンで砂糖と一緒にサッと炒める」
「少し赤いくらいでいいんだよ」
こんなことをブツブツと呟きながら、息子たちの脳みそに刷り込んでいる。
息子たちにも立派な奉行に育って欲しいという願いを込めて。小学校からこうやって教育していれば、きっと僕を超える大奉行、いや大名に育ってくれることだろう。そんな期待をしながら僕は今夜もなべを作るのであった。