私のクリスマス、だれかのクリスマス
今年のクリスマス、つまんない!!
…街を歩いていて、まず、そう感じた。例年ならば色とりどりに飾り付けられたツリーやイルミネーションできらびやかな街も、今年は控えめで静かだ。こんなご時世だから仕方ないと理解しつつも、やはり寂しさはぬぐえない。
クリスマスパーティーを自粛することにした方も多いだろう。根暗な私ではあるけれど、華やかで賑やかなクリスマスの雰囲気は大好きだ。クリスチャンでもなんでもないけれど、子どもたちとツリーを飾り、人混みでごったがえす年末のショッピングモールで買い物をし、調子に乗って大きなチキンやケーキを買って、親しい友人家族とパーティーをして、この時期はいつも忙しくも楽しく過ごしていた。
でも、いつになく落ち着いた年末の街を眺めながら、もしかしてクリスマスって、本来このくらい静かでもいいのかもしれないな、と、ふと思った。
「みんなで楽しく大騒ぎ」もいいけれど、居間にひっそりと1本のろうそくを灯すような、そんな過ごし方も、良いものかもしれない。
そう思いながら、思春期の頃に出会った、一冊の絵本を思い出した。
『もういちどそのことを、』(クレヨンハウス)
絵本作家、五味太郎の写真絵本だ。
クリスマスの絵本なのに、ページをめくってもめくっても、一見クリスマスとはまるで関係のない日常の風景が続く。
ところが、履き古した靴や、錆びたドア、道端で息絶えているねずみ…そんな「なんでもないものたち」を写しながら、その中のどこかに、あるいはどこにでも、何か大きな存在を感じるテキストが添えらえている。
大きな存在――それは、クリスチャンにとってのイエス・キリストであり、そうでない人にとっての心のどこかに存在している神様、あるいはそれに近い存在であり――それが確かに、それぞれのページの風景の中に、「いる」。
そして最後のページで告げられる、「メリークリスマス」の一言。
この一見難解にも思える絵本を手に取った中学生の私は、大きな衝撃を受けた。
それまで、クリスマスといえば、とにかく楽しく、明るく、賑やかな行事、というイメージだった。サンタクロースにプレゼントをもらい、ケーキやチキンのごちそうを食べる日。クラッカーを鳴らして、とんがり帽子をかぶり、大人と同じワイングラスでシャンメリーを飲む待ち遠しい、楽しい日。
しかしどうやらそれだけではないぞ、と、少女であった私は気づいた。日本に住む、無宗教の中流家庭に育つ子どもである私にとってのクリスマスと、まったく意味合いも重要度も違うクリスマスを過ごしている人たちが、世界にはたくさんいるのだ。
そこから、キリスト教や世界のおもな宗教について、真剣に学びはじめた。といってもそれまではテスト勉強でただ年表を暗記するだけだったから、それよりはほんの少し熱心な程度だけれども。
クリスマスといっても、国や地域でその過ごし方はずいぶん違うということを知った。食卓に並ぶ料理も、休暇の長さも、仲間と賑やかに過ごすか、家族と静かに過ごすかも、サンタクロースの服装まで!
しかし、どの地域のクリスマスにも共通していることがあった。それは、自分以外の誰かに幸福を分かち合おうとする習慣だ。苦しい境遇にある人への募金やチャリティイベントが盛んに開かれ、富を持てる者は持たざる者へと譲ることが望ましいとされる。
なるほど、恋人たちが盛り上がったり、子どもたちがサンタクロースにプレゼントを貰うのを楽しみにする日本式のクリスマスはもちろん楽しいし私も大好きだけれど、この分かち合いとか、自分と違う立場にある人を思いやるというエッセンスが加わると、さらに良いのではないだろうか。
そんな風に気づいてから、この時期には特に募金やチャリティに協力することを心掛けるようになった。といっても肩ひじ張って頑張るわけではない。威張れるほどの金額でもない。
ただ、それをすることで私の心がほんの少し軽くなる。どちらかといえば自分のためにやっているのかもしれない。
もう一つ、自分も楽しんでいるボランティアとして、私は小学校に絵本の読み聞かせに通っている。この季節になると子どもたちが楽しみにしているのは、やはりクリスマスの絵本だ。
傑作クリスマス絵本はたくさんあるけれども、私は「サンタクロースが良い子にプレゼントを持ってくる」というような本よりは、クリスマスの精神について、わかりやすく伝えてくれるような本を選ぶようにしている。そして、そんな絵本を読む前に、ここ数年はかならず一言付け加えている。
「クリスマスの過ごし方は、家族ごとにそれぞれ違うと思います。おうちでお祝いをする家も、お出かけをする家も、また、何も特別なことはしないというおうちもあると思います。これから読むクリスマスの絵本は、そのほんの一つの例です。みんなのおうちと違うかもしれないけれど、こんなおうちもあるんだなぁと思って聞いてね。」
私が小学校で読み聞かせを始めてもうすぐ10年になる。この10年で、子どもたちをとりまくさまざまな環境が、私にも少しずつ見えてきた。外国にルーツを持つ家庭や、ひとり親家庭も多くある。親と一緒に暮らしていない子どもや、今日食べるものに困る子どもがいる。ケーキもツリーもないクリスマスを過ごす子どもたちもいるだろう。
だからこそ、いろんな形の「クリスマス」があると知ること、そしてどんな境遇にあっても幸せを分かち合う精神を知ることは、クリスチャンでなくとも、決して無駄にはならないと思うのだ。
今年はどうしても、きっと誰もが、華やかで賑やかなクリスマスを過ごすことが難しい。
でもだからこそ、家族で静かに過ごしながら、苦境に立つ人達、辛い思いをしている人たちのために、少しでも何かできることはないか、どうしたら心を穏やかに乗り越えることができるか、じっくり考えてみるのも、良いクリスマスの過ごし方ではないだろうか。
あんまりきれいごとで恥ずかしくもなるけど、クリスマスくらいは、きれいごとを言わないといけないという気もしている。
最後に、私がよく子どもたちに読むクリスマスの絵本を紹介したい。
低学年向けによく読むのが『おおきいツリー ちいさいツリー』(ロバート・バリー作/大日本図書)。
大きなお屋敷に運び込まれた、大きなクリスマスツリーの木。先っぽがちょっとだけ長すぎてちょん切られ、その先っぽはまた別の家族のクリスマスツリーに…!ユーモラスなストーリーの中に、分かち合うことのすばらしさ、それを心から喜ぶつつましさなどが詰まったすてきな絵本。
中学年におすすめなのが『聖なる夜にーA Small Miracle』(ピーター・コリントン作/BL出版)。
あるクリスマス、貧しいアコーディオン弾きのおばあさんはとうとう一文無しになり、楽器を手放して得たお金も泥棒に奪われてしまう。さらに教会の慈善箱にまで手を出そうとする泥棒を必死で阻止したおばあさんは、ついに雪の中で力尽きて…。字のない絵本だけれど、緊迫感のある巧みなストーリー運びに子どもの眼は釘付け。聖者の小さな人形たちがおばあさんを助ける様子は、まるで欧米版かさこじぞうのようでとてもかわいらしい。心温まり勇気の湧いてくるストーリー。
高学年にはぜひ『ゆきのまちかどに』(ケイト・ディカミロ作/ポプラ社)を。
路上で生活するオルガン弾きのおじいさんと手乗り猿。たくさんの人が暮らす街で、彼らを気にかけるのは、裕福な家庭に育ったひとりの女の子だけ。女の子は自分が出演する教会のクリスマス劇に、おじいさん達を招待する。果たして彼らはやってくるだろうか…。
祝福にあふれたラストシーン。たとえ今は意味がおぼろげにしかわからなくても、きっと何かしら心に残り、そして読み返すたびに理解と感動の深まるすばらしいクリスマス絵本。
あらゆる人に苦難の多かった今年の終わりが、少しでも心穏やかで温かい日々になるようお祈りしています。
メリークリスマス。