よだれが出てくる文章

わが家の笑顔おすそわけ #4 「食べものの本」〜5歳さんの場合〜

LIFE STYLE
2020.06.12

僕は小さい頃から料理が好きだ。両親が共働きだったこともあり、多分小学校に上がったくらいにはキッチンに立っていた。

最初に作った料理は卵焼きだった。多分料理の原点でもあり、人生を通して最も作るであろう料理、それが卵焼き。実家は養鶏業を営んでいたので、家にはそれこそ売るほど卵があった。鍵っ子だった僕は学校から帰ると卵焼きを作り、おやつ代わりに食べていた。

最初は調味料の使い方もわからなかったので、卵を割ってただ焼いていた。素材の旨さを最大限に生かした素卵焼きである。しかし母親の作る卵焼きに比べるとなんだか物足りない。塩をひとつまみ、そして砂糖を少し入れると劇的においしくなることを母が教えてくれた。

「塩をひとつまみ入れて、砂糖を入れればだいたいの料理はおいしくなる」

これが母親の最初の教えである。僕は何回も卵焼きを作り、小学生のうちにマスターした。僕は風流な子どもだったので、自分で卵焼きを作りお弁当箱に詰めて、外で花を見ながら食べながら「料理って楽しい」と幼心にそんなことを思ったのを覚えている。

卵焼き

母も料理好きだったので、家には料理関係の本やグルメ漫画がたくさんあった。

漫画の『クッキングパパ』が好きだったので、作中に出てくる料理をよく真似して作ったりしていた。

『クッキングパパ』の作中ではまこと(クッキングパパの息子)がよく料理するから読んでいると子どもでも作れそうな気持ちになっていた。しかも作者のうえやまとち先生の描く料理の絵がとびきりおいしそうなんですよ。子どもながらに料理の創作意欲が掻き立てられた。

思い返してみれば、実家の本棚には『美味しんぼ』、『味いちもんめ』、『夏子の酒』、『将太の寿司』、などなどグルメ漫画がたくさんあったので、僕は知らず識らずのうちに英才教育を受けてきたのかもしれない。料理のうんちくは全部グルメ漫画で覚えましたもんね。

料理のイロハをマンガと母から学んだ僕は、ステップアップをしてレシピ本を読み始める。 枝元なほみさん、小林カツ代さんの本がたくさんあったのでそれらを読んでいた。

お二人に共通するのは、めっちゃおいしそうな料理を作りそうなお顔をしているところ。これは真似ができるレベルの話ではないが、おいしい料理を作る雰囲気を持った人っている。

ほがらかだけど、どことなくキビキビしている感じ。大人になった今でも「あ、この人きっとおいしい料理作るだろうな」というのはなんとなくわかる。

あとは例えば、手。肉厚でふくふくしている手の持ち主はおいしい料理を作る、と僕は思っている。

僕が思う「最もおいしそうな料理を作りそうな手No.1」は登紀子ばぁばの愛称で親しまれている、料理研究家の鈴木登紀子さんだ。NHK『きょうの料理』で知っている人も多いと思うが、あの手を見ているだけでおいしい料理の予感がする。

ちなみに鈴木登紀子さんの著書『「ばぁばの料理」最終講義』(小学館)は料理の勉強にもなるし、食べさせる人を想って作る登紀子さんの料理に対する愛情を感じることができるのでおすすめの本である。

レシピ本を読み漁り、そして作って僕はメキメキと料理の腕を上げた。

そして僕が圧倒的に料理レベルを飛躍させたのは高校のときだったと思う。全寮制の学校に入り、炊事係を希望すれば調理場に入れたのでそこで鍛えた。高校生の時に100人分の料理を作ることが出来たのは貴重な体験だった。

入学してすぐに炊事場に入ったのだが、先輩たちのキャベツのみじん切りの速さに度肝を抜かれた。たらたらしていたら準備が終わらないので超速でやらなくてはいけない。ほとんど修行のような感じだったが、そこで仕事を早くやることを叩き込まれた。大人数の料理は味付けの仕方なども大切だが、手際ですべてが決まる。

学年が上がればメイン料理を任せてもらえるのだが、なんせ100人が楽しみにしているのでプレッシャーが半端ない。料理が上手に作れれば「今日作ったのはだれだ!」と称賛されて、失敗したら食堂全体がお通夜みたいになってしまう。これがなかなかの緊張感。

腹を空かせた高校生を相手に料理を作るのだから、おいしい料理を作ることはなかば使命のようなものだ。自分の作った料理におかわりの行列ができる快感に目覚めたのもあの頃だったと思う。

高校を卒業したあとは飲食店でバイトをしたり、自分の家に友達を呼んで料理を振る舞ったりしていた。こうやって振り返ると僕ってずっと誰かに料理を作り続けているなと思う。

料理を振る舞う

大人になってからもいろいろな料理の本を読み、勉強をしてきたが、その中でも印象に残ったのは北大路魯山人の文章だ。日本の歴史の中でも美食家として名高い北大路魯山人は、とにかく食に関してストイックかつ、探求した人物と言える。

魯山人の文章を読んでいると、「この人にだけは絶対に料理を作りたくないな」と思う。あれをするな、これをしたら台無しになる、食材の目利きがとにかく重要である…。それらが念を押すように書かれている。魯山人は料理に一切の妥協を許さないのだ。しかし読んでいると大変に勉強になる。

例えば出汁の取り方について魯山人は超細かく語る。かつおぶしで出汁を取る時は、「まずかつおぶしが拍子木を鳴らした時みたいにカンカンと音がならなければいけない」そして「かつおぶしを削る鉋は切れ味の良いものをつかわないと台無しになる。切れ味の良い鉋で削ったかつおぶしはガラスのような光沢で、こういうのでないとよい出汁はでない」と魯山人は言う。

かなり端折って書き出したが、出汁の取り方ひとつでも、魯山人は何ページも使って書くのである。

かつおぶし削り

いまどき出汁を取る時に鉋(かんな)でかつおぶしを削る人はいないと思うが、食を追求するというのはこういうことなのだなと感じる。僕も魯山人を見習って、出汁を取る時は細心の注意を払っている。

あと、野菜を買う時もなるべく鮮度の良いものを見極めるようにしている。しかし魯山人から言わせると、野菜は裏の畑から収穫したものをすぐに調理せよとのことなので、将来は畑付きの家に住みたいと考えている。

『魯山人の和食力』(興陽館)という本が最近刊行されたので、是非読んでもらいたい。魯山人先生が食の極意について教えてくれる。

僕がごはんを作る相手は最近もっぱら家族だが、こうやって料理の本を読み、創意工夫を凝らして作ると、「おいしい!」「おかわり!」という素直な反応が返ってくる。

登紀子ばぁばもよく言っているが、作った人の手間暇で料理の味は決まる。食べてるい人は気づかないかもしれないけど、出汁の取り方や、素材の選び方ひとつでおいしさが決定づけられるのだ。僕はこれからも食べる人が喜ぶ料理を研究して作り続けたいと思う。


ご紹介した本

「ばぁばの料理」最終講義

『「ばぁばの料理」最終講義』
鈴木登紀子 著(小学館)

詳細はこちら

魯山人の和食力

『魯山人の和食力』
北大路魯山人 著(興陽館)

詳細はこちら


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