上京した者たちへの洗礼
4月がやってきた。新生活のために新しい土地に引っ越した人も多いのではないだろうか。
かくいう僕も新天地に越してきた。
ずっと千葉の片田舎に住んでたのですが、東京での仕事が多くなり、ここ一年は片道2時間の通勤に耐えながら頑張ってきた。しかし片道2時間はやはりキツい。幸福度調査では通勤時間が20分長くなると、収入が19%下がるのと同じくらいのストレスが掛かるという研究結果が報告されている。逆に言えば120分の通勤がなくなったとしたら、収入が3倍になるくらいの幸福度を味わえる計算になる。
「収入が3倍の幸福度を早く手に入れたい!」
僕はさっそく引っ越そうと動き出したのだが、次男が通う保育園に引越しの旨を伝えると園長先生から待ったが掛かった。
「お父さん!あと一年で卒園なのに引っ越しちゃうんですか??!!本当にいいんですか?私たちは次男くんを0歳からお預かりしていました。せっかくここまできたんですから卒園まで見届けさせてください!次男くんにとってもその方が良いと思うんです!お父さん考え直してください!」
かなり強く、熱く説得をされた。大人になってからここまで強めに説得されたのは、25歳の夏に「仕事辞めてインドに行くわ」と母に伝えた時に「考え直しなさい!」と説得された時以来だと思う。
インドには結局行ったのだが、今回は僕だけの気持ちを優先することはできない。これだけの説得を受けて、もし引っ越しを強行したとしたら、血も涙もない父親になってしまう。園長先生の熱意に押されて引っ越しは一年延期を決めた。
僕は感動したのだ。普通は「引っ越しをします」と報告したら「いつですか?」とかって言うじゃないですか?ところがうちの園長先生は違うんですよ「行かないでください!考え直してください!」と引き止めてくれるんです!ちょっとすごくないですか?
僕だって「往復4時間掛けて通勤しているんだから勘弁してくれよ…」と一瞬は思いました。なんなら毎日息子たちの寝顔しか見てない生活だ。しかし「お父さんを説得するので連れてきてください!」と園に呼び出されて、そこまで熱い想いを語ってくれるのなら…と僕は心を動かされたのだ。たしかに息子にとっては父親と過ごす時間よりも保育園にいる時間の方が圧倒的に長いわけで、それに赤ちゃんの頃から慣れ親しんだ環境がきっと良いに決まっている。先生たちも次男のことを自分の子どものように可愛がってくれていたので、反対を押し切ってまで引っ越しをするつもりはなかった。現代社会は人間関係が希薄になってきていると言われていますが、園長先生のような熱い人もいるのだ。
保育園の行事に参加するたびに「今日の次男くんも楽しそうにしてましたね〜あの時に引っ越ししなくてよかったですね!」と園長先生から牽制球を投げ続けられた。また引っ越しすると言い出さないか、と警戒されていたような気もする。
そんな次男も三月に無事に卒園を迎えることができた。結果的に言えば次男は保育園の最後の一年をとても楽しんでいた。年長さんの行事って先生たちも最後の年だからめちゃくちゃ気合を入れてやってくれるのです。良い思い出をたくさん作ったと思う。
僕はと言えば通勤はやっぱり大変だった。朝は早くに電車に乗り、終電は23時。そして帰宅するのは25時。毎日行き帰りで映画が二本観れるので、さらに映画に詳しくなった。本もめっちゃ読んだ。しかし4時間はツラかった。
「東京に早く引っ越したい!」
次男の健やかな保育園ライフを願いつつも、そんな思いでこの一年を過ごしてきた。
そして年も明けた一月、次男の卒園が迫ってきたのでいよいよ物件探しを開始した。
まずはネットで探し始めたのだが僕は驚いた。都内で家族四人で暮らそうとすると家賃がとんでもないことになる。
千葉では3LDKのマンションは10万円で借りられた。しかも3年前にそのマンションを決めた時はその金額でもめちゃくちゃ奮発したつもりだった。
「家賃がついに10万円いったぞ!」
人生のターニングポイントだった気もする。
しかし都内の3LDKの家賃はその比ではなかった。暴力的なほどに高い。完全に住む者を殺しに掛かっている。確実に20万円以上する。怖い。俺は怖い。大人になってから生きているだけで、なぜこんなにもお金が掛かるんだと常々思ってきたが、今回の物件探しはその極みだ。住んでいるだけで破産するレベルだ。見積もりで100万円?どうかしてるぜ!?都内で家族暮らしをしている人達はみんな富豪なのか?
パソコンを閉じて僕は天を見上げた。
「東京に住めるのだろうか、、、」
しばし絶望したあとに、実際に不動産屋に行けばもっと安くて良い物件を紹介してもらえるのでないだろうか、と考え直して僕は店舗へと向かった。やるしかないのだ。探すしかないのだ。
今までの長時間の通勤時間の反動なのだが、とにかく職場から近いところにこだわった。職場は渋谷なので、とにかくそこから近い場所。
「ファミリー物件で渋谷から近い場所だと結構家賃高いですよ〜?」
不動産屋の担当さんはそういいながら、何件か物件を出してくれた。僕は一瞬気を失いそうになった。目玉が飛び出るくらい高い。この金額は果たして毎月支払えるのだろうか。地方から上京した人なら一度は経験していると思うが東京の家賃は本当に狂っている。僕の横ではキャリーバッグを持ってやって来た、春から上京しますって感じの女の子が、僕と同じように物件の値段を見て絶句している。東京で生きている人達はみんな家賃を払うために頑張っているのだ。完全に理解した。それから何回も不動産屋には出入りしたのだが、地方からの来店者は皆、差し出された物件を前に絶句していた。東京での最初の洗礼は不動産屋で待っている。
東京の洗礼を受けた僕は気を取り直して内見を始めた。
「築浅で小学校と公園から近い3LDKのオシャレなマンション」
これは嫁から出された条件だ。
これはファミリー層がみんな求める条件だと思う。つまり必然的に人気が高くなり、家賃も高くなる。
妥協も時には必要だと思い、ちょっと条件には合わないが家賃がリーズナブルな物件も内見した。
「築年数がちょっと古いんだけど、ダメかな?」
嫁に聞いてみるが、答えは「NO」
何がなんでも「築浅で小学校と公園から近い3LDKオシャレなマンション」は譲れないらしい。
物件探しは僕が一人でずっとやっていたのだが、もういい加減に決めたいと思っていたところに「築浅で小学校と公園から近い3LDKオシャレなマンション」が空いたと連絡が来たので速攻で内見をしに行った。
どこでもそうだが良い物件は早くいかないとすぐに取られてしまう。善は急げなのだ。
渋谷から自転車で15分のところに、その物件はあった。エントランスに入ると「ホテル?」と思うくらいにオシャレ。嫁もこのエントランスには満足するだろう。さっそく写真を撮ってLINEで送ると「めっちゃいいじゃん」と即返信がやってくる。反応は上々。
案内をされて玄関を開けた瞬間に完全に理解した。もうこの物件しか嫁を納得させることはできない。「築浅で小学校と公園から近い3LDKオシャレなマンション」すべての条件とマッチングしていた。嫁に部屋の写真を送ると「めっちゃいいじゃん!ここにしようよ!」と即返信がきた。
この返信を貰うまでに内見を15件回った。長い道のりだった。家賃は当初の予算の1.5倍くらいだったが、もうやけっぱちだった。
「ここでお願いします!」
その場で契約書にサインをして僕の長い長い物件探しの旅は終わった。家賃のことなんてどうにでもなる。もうやるしかないのだ。芸人が家賃の高いところに住んでモチベーションをあげるのと一緒だ。自分を奮い立たせるために良い家に住むのもいいかもしれない。4月から頑張る理由ができた。あとは走り続けるしかない。東京で家賃を払うための戦いが始まったのだ。
上京してきたすべての人にもこう言いたい。
「みんながんばろうぜ!僕もがんばる!」