おいしい香り〜週に一回のお楽しみ〜
お腹がぺこぺこになって家に帰ってくると、玄関先でおいしい香りが漂う。
「今日はシチューだ!」
私は急いで扉を開け、台所にいる母に「ただいまーっ!」と元気に声をかけるーー
「おいしい香り」というと、こんな思い出が理想的なのかもしれない。
もちろんこうした思い出も数多くあるのだが、私の記憶にこびりついているのは、まったく違う香りである。
私の母は、料理の先生も経験したほどの腕前で、彩り、栄養、おいしさ、すべてにおいて満点の料理を作ってくれた。私も母の手料理は大好きで、それは今、私が作る料理の礎となっている。
ところが、だ。
こんな経験はないだろうか?
「このところきちんとした食事が続いたから、その反動でジャンクフードが食べたい!」
小学生の私は、まさにそうだった。
母が作ってくれる「栄養を考えたバランスの良い食事」はもちろんおいしいのだが、たまにはカップ麺が食べたくなる。
私は子どもの頃、カップ麺やインスタントラーメンが大好きだった。ところが母は毎日手の込んだ料理を作ってくれるので、滅多に食べさせてもらえない。滅多に食べられないから、余計に食べたくなる。そこで私は母に何度も交渉を重ね、やっとのことで約束を取り付けることができた。
「毎週土曜日の昼ごはんだけ、カップ麺・インスタントラーメンを食べて良い。」
まるで夢のような約束だ!
私は毎週土曜日、学校から帰宅するのが楽しみになった。
「ただいまーっ!」
玄関を開けると、母が帰宅時間を見越して麺を茹でてくれている。
「手を洗っておいで。」
「はーい!」
スープのおいしい香りが台所いっぱいに広がり、ますます食欲を掻き立てられる。
「あ!今日は『うまかっちゃん』だ!」
「正解。あんた、匂いだけでようわかるなぁ。」
こんなやり取りをしながらいそいそとテーブルにつき、湯気がもんもんと上がったラーメンを手に取る。
まずは、スープから。
「おいしい!」
麺も。
「おいしーい!」
「おいしい!おいしい!」と連呼しながら、私は最後の一滴までスープを飲み干す。
苦笑いの母をよそに、私はすでに来週土曜日が待ち切れなかった。
そんな私もいつしか大人になり、結婚をし、子どもを授かった。
離乳食が始まると、母がしてくれたように我が子の健康を考え、バランスの良い食事を作るようになった。
娘が成長すると、年齢に応じて食べられるものも増えていく。ハンバーガーを知り、コンビニの唐揚げを知り、カップ麺を知る。成長しながら色々な食べ物に出会うのは大歓迎だ。娘は絵に描いたような健康児で、すくすくと育っていった。
そんなある日のこと。娘は学校帰りでお父さんと水泳の練習に行った。頑張って泳いだ娘のために、栄養満点のごはんを食べさせてあげたい。私は仕事から帰宅すると、急いで料理に取りかかった。肉や野菜、大豆などバランス良いメニューが次々と出来上がる。そろそろ帰ってくるかなぁと思った頃、夫の電話から着信があった。
「ママ?せりちゃんだよ!」
「あら!せりちゃん!どうした?」
「あのね、今日の晩ごはんにカップ麺買って帰っていい?」
「…今日はダメよ。お母さん、ごはん作って待ってるから。」
「ええぇぇぇっ…。」
娘は大きくがっかりして電話を切った。
私は食卓に並んだ料理を眺めながら、母のことを思い出した。
「せっかくお母さんが作ったのに…。」
「だって、今日はこっちの方が食べたかったんやもん。ちゃんと両方食べるから!」
大学生の頃、母がごはんを用意してくれているのを知りながら、カップ麺や冷凍食品を買ってきた私。
「私、お母さんになんて悪いことをしたんだろう。」
子を持って初めてわかる、親の気持ち。
私は、母に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
しかしその一方で、子ども時代のジャンクフードを求める気持ちもよくわかる。実際私も、ハンバーガーやカップ麺、ポテトフライが大好きだった。
双方の立場を経験した上で、我が家はこんなルールを決めた。
「カップ麺は、一週間に一回だけOK」
そう。私が母にとりつけた約束である。
私は娘に言った。
「お母さんもね、子どもの頃カップ麺が大好きだったんだ〜。おいしいよね。でもね、毎日食べると栄養バランスが偏ってしまうでしょう?だからお母さんが子どもの頃は、土曜日だけ食べて良いことになったんだ。毎週、その日が待ち切れなくてね。」
娘は嬉しそうに答えた。
「ママも好きだったの?せりちゃんと一緒だね!じゃあせりちゃんも、一週間に一回だけカップ麺食べる!」
私の時代と違って、今は小学校も土日がお休み。だから「土曜日に午前中の授業を終えて、カップ麺のために急いで帰ってくる」ということはないが、カップ麺を食べた日はカレンダーに「カップ麺」と書き込んで、週一回ルールを楽しんでいる。
親の気持ちと、子どもの気持ち。
双方が折り合った、週に一回のお楽しみ。
娘が食べるカップ麺からは、おいしい香りが漂ってくる。それをハフハフしながら、おいしそうに麺をすする娘。そんな娘を眺めていると、子どもの頃の母とのやりとりが思い出され、私にとっては心をくすぐられるひとときである。