ある雪の日

晴れでも雨でも食べるのだ。 #44

LIFE STYLE
2024.03.08

食べものや飲みものにまつわるあたたかな記憶とその風景を、奥村まほさんの言葉で綴るエッセイ「晴れでも雨でも食べるのだ。」今回は、富山に帰省した奥村さんが、雪の中、金沢に住むお友達に会った日のお話です。


「はあ、憂鬱になってくるわあ。」
灰色がかった空を見上げ、母がため息混じりにつぶやいた。

クリスマス直前、北陸は猛吹雪に見舞われた。水気をたっぷりと含んだ大粒の雪が降り注ぎ、地面を白く覆っていく。車に積もった雪を払ってきたばかりの母の手は、真っ赤にかじかんで痛そうだ。

一方、帰省中でお客さま気分の私は、ソファの上でぬくぬくと毛布をかぶってちぢこまり、そういえば富山の冬ってこんな感じだったなあ、と他人事のように考えていた。上京後はずっと関東。今も沖縄で暮らす私にとって、吹雪はもはやめずらしいもの。

どれどれ、見に行ってみるか。

ちょっとの好奇心を頼りに、パジャマ一枚でマンションの共用廊下に出た。昔から雪が降ると、なぜかここから町並みを眺めたくなるのだ。

駐車場で水しぶきを上げる融雪装置、それに負けじと降り続く雪、大福みたいに丸っこくふくらんだ車、白一色に染まる道路、田んぼ、家々。晴れの日なら大迫力の立山連峰は、雲と雪に隠されすっかり存在感を失っている。そのすべてを懐かしく思いながら見つめる。

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静かだ。完璧な静けさだ。降り積もる雪はどんな音をも吸収し、まるで世界にだれもいないかのような気にさせる。「しんしん」という表現がこんなにも似合う場所はないと思った。

寒さに耐えきれなくなったところで私は部屋に戻り、すぐさま熱いお茶をすすった。冬のおかげで、ただのお茶がしびれるほどおいしい。

飛行機の欠航。電車の遅延。テレビ画面には大雪関連のニュースのテロップが次から次へと映し出されている。母はテレビの前で立ち止まり、「明日から大丈夫かねえ」と不安そうに呟いた。

「天気予報では大丈夫そうだよ。」
そう言いつつも、私もだんだん心配になってくる。

翌日は金沢に住む友達とランチをする約束があり、さらにその次の日には飛行機で沖縄に戻ることになっていたからだ。

次の日の朝、幸いにも雪は弱まっていた。ちょうど家を出るころには窓から明るい光が差し込んできて、これはいけるぞ、と気分が上がる。タートルネックのニットに厚手のダッフルコートを羽織り、長靴で雪の中に踏み出していく。

休みなく雪が降り続くと、家のまわりは「雪化粧」なんていうきれいな言葉では言い表せない状態になる。手をすべらせて砂糖をどっさりこぼしてしまったときの取り返しのつかない床とか、みぞれ味のかき氷の下の方、白くどろどろになった部分とかのほうがしっくりくる。

道はぼこぼこ。脇には雪が高く積もって歩くスペースが見つからず、歩道のない路地では仕方なく轍(わだち)の上を歩く。足場が悪く、何度も転びそうになる。

でも、雪に足が沈み込んでいく感覚はなかなか心地よかった。一歩一歩、足跡が残るのもすごくいい。さくさく、みしみしと新鮮な音が鳴り、私は今ちゃんと歩いているぞ、という感じがする。

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気温は0℃。空気はとことん澄みわたり、視界は良好だ。奇跡的に晴れてくれたおかげで、白と青のきっぱりしたコントラストが美しかった。冬場の富山はめったに晴れないけれど、だからこそ一瞬の晴れ間がまばゆく輝いて見えるのだ。

電車に間に合うか心配で小走りしていると、せっせと雪かきをしている近所の人に「お気をつけて」と声をかけられた。その拍子に転びそうになりふふふと笑われてしまったが、笑ってくれる人がいることもまたいいなと思える。雪は限りなく白く、空は限りなく青く光って見えた。

雪国の人々は、その美しさと煩わしさとを分かち合いながら生きている。

中高生のころにホットココアやミルクセーキをよく買った自販機コーナーを懐かしみながら通り過ぎ、路面電車に乗り込み、「富山、晴れてきたよ」とこれから会う友達にメッセージを送った。(次の瞬間には空が完全に曇ってしまい、ああ、これぞ富山…と言葉を失うところまでがセットだ。)

最後に顔を合わせたのは5、6年前くらいだろうか。一時同じ職場で働いていたが、最近はSNSでなんとなく近況を知っている程度。共通点はそこまで多くないけれど、私も彼女もたびたび職を変え、住む場所を変え、一箇所にとどまっていないところは似ている気もする。物怖じせず、常に自分の意思にまっすぐ従い、軽快に人生を楽しんでいるように見えるところが好きな部分であり、うらやましい部分でもあった。

地元の銘菓をいくつか買い、富山駅前でうろうろしていると、防寒対策ばっちりの彼女があらわれた。雪かきをしてから家を出たとのことで、ナイロン素材のいわゆる“シャカシャカパンツ”を履いている。

今は本当に雪国の人なんだなあ。

昔から都会的で生活感のないイメージを抱いていたので、ギャップを感じて一気に親しみが増す。駅前から一緒に路面電車に乗り、予約しておいたレストランまで雪の中を歩いていった。

友達と雪の中を歩くのは、何歳になっても楽しいものだ。寒いし、また雪が降り始めてしまったし、歩道なのに歩くスペースがなく先人の足跡をたどるしかないし…という悪条件なのに、どこかに眠っていた子ども心が目を覚ましたのか、私は単純にわくわくしていた。その先に待っているのが、温かい空間と料理というところもポイントが高い。

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クリスマス感満載のかわいらしい店内でガレットランチを食べ、また雪の中を歩いてカフェでお茶を飲み、計4時間以上しゃべり続けた。互いの近況、過去の話、富山や金沢の話…。何の話をしても久しぶりという感じはしないが、彼女の軽快さはそのままに、深みと落ち着きが増しているのはなんとなく伝わってきた。

ときおり私がネガティブさや自信のなさを見せると、彼女は目をぎらぎらさせて、「かわいくておもしろい人生を歩んでる私最高って思わなきゃ、私は常にそう思って生きてる」というようなことを熱弁した。今朝の一瞬の晴れ間のように、心を溶かす言葉だった。

互いに持参していた富山の和菓子と金沢の和菓子を交換し、「また何年後かに」と言い合って私たちは別れた。

友達はあえて電車に乗らず、歩いて富山駅に戻るという。私の持論では、歩くのが好きな人にわるい人はいない。雪の中を歩くことをもいとわない人だと知り、彼女をますます好きになった。

一方の私は、デパ地下で買ったクリスマスケーキを慎重に抱え、暖房がしっかり効いた路面電車に乗り込んだ。富山の空のどんより具合に嘆き続けている母も、この白い箱を見れば目を輝かせるにちがいない。

今度こそ転ばないようにしようと心に誓い、白い世界に足を踏み入れた。

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