心を癒やす和菓子
食べものや飲みものにまつわるあたたかな記憶とその風景を、奥村まほさんの言葉で綴るエッセイ「晴れでも雨でも食べるのだ。」今回は、奥村さんの地元である富山・石川の和菓子をご紹介します。
2024年の幕開けは、信じたくないニュースからはじまった。帰省先の富山から戻り、那覇でのんびりとおせちを食べているところだった。地震速報と津波警報が流れはじめ、おせちどころではなくなった。テレビ画面に映るのは、何度も訪れたことのある土地ばかりだ。
友人たちの安否確認。能登半島の一部、富山県氷見市の海沿いで暮らす祖母や、祖母の家を訪れているであろう家族を避難させるためのやりとり。とにかく少しでも安全な場所に行ってほしいと頼んだ。遠い土地にいるからこそ、もどかしいことが多々あった。
さいわい、私の家族や友人に大きな被害はなかった。祖母も家の片付けや断水が終わるまで一週間ほど氷見市を離れたものの、今は自宅で暮らせている。
しかし、被害の大きい地域では救出活動が続き、多くの人が先の見えない避難生活を送っている。大切な人の命や思い出の詰まった家、愛する風景が一瞬にして失われるさまは、ドラマや映画であっても目を覆いたくなるくらいなのに、それが現実としてたしかに起こっているなんて、残酷としかいいようがない。
計り知れない悲しみや不安を抱えている人たち、そして過酷な環境で闘いつづけている人たちに、一刻も早く穏やかな日々が訪れることを祈っている。
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被災した県では宿泊キャンセルが相次ぎ、観光業への打撃も大きいようだ。できれば早く現地を訪れてお金を落としたいし、ぜひ旅行にいってくださいと人にも言って回りたいところだけれど、余震が続く今は不安に感じる人も多く、同じ県内で被災者が苦しんでいる状況で旅行を楽しむのは難しいと考える人もいるだろう。
そこで今回は、富山・石川のおいしい和菓子を紹介したい。北陸はのどぐろやブリ、白えびなどの海鮮が有名だが、実は和菓子の宝庫でもある。お取り寄せができて日持ちのする和菓子なら、遠方からでも手軽に購入できると思う。
月世界
美しい名前が印象的な富山の銘菓「月世界」は、さくっと砕けたかと思えばしゅうっと口の中で溶けていく不思議なお菓子だ。鶏卵と和三盆、白双糖(しろざらとう)と寒天というシンプルな材料が作り出す味わいはどこか懐かしく、帰省のたびに小さな箱入りをおみやげとして持ち帰っている。
川上弘美さんの短編集『ざらざら』(新潮文庫)には、「月世界」という短編があり、この和菓子がさみしさや儚さの象徴として登場する。
「人にあげるものは、消えものがいいからね。」
登場人物のセリフの通り、月世界は口の中ですぐに消えてなくなってしまう。でも甘く優美で、切なさや幻想的な雰囲気をも感じさせる味わいは、食べる人に深い余韻を残す。
江出の月
こちらも月をモチーフにした銘菓だ。富山湾の水面に映し出された満月をイメージしている。透けるような薄い水色の生地の上では、さざ波をイメージした真っ白な蜜が細かい結晶を作り出している。私にはそれが雪のようにも思え、手にとるたびに富山の澄んだ冬の空気を思い出す。
生地にはさまれた白味噌餡は甘くまろやか。薄く焼かれた歯ざわりのよい生地とあわさって、一度食べると忘れられない独特の食感を織りなしている。
杢目羊羹
「どこを切ってもきれいな木目模様があらわれる」という杢目羊羹。立山杉の美しい年輪模様を表現したもので、「年輪を刻む」という意味から縁起のよい和菓子として古くから富山で親しまれてきた。
小さいながらも重みのある羊羹に包丁を入れると、やわらかくもねっとりとした食感が手に伝わる。口に入れてもねっとりとボリューミーだが、意外にもすっきりとした甘さで食べやすい。
昨年の帰省時には、杢目、挽茶、紅の3種類が入ったミニサイズを購入し、一日一本のペースでぱくりと食べた。かわいらしい羊羹たちは、午後の休息にぴったりだ。
ぎんなん餅
小さい頃から大好きな、氷見市「おがや」のぎんなん餅。ぎんなんの絞り汁が求肥にまぜこまれた、美しい翡翠色の餅だ。ぎんなん自体は大人になるまでずっと苦手で食べられなかったが、甘くてぷるっぷるのぎんなん餅なら何個でも食べることができた。
餅にまぶされたきめ細かな粉砂糖、やわらかくみずみずしい餅の食感、ほのかなぎんなんの香り。見た目も味も上品で、高貴なものを食べている感じがする。包装された餅の写真しか持っておらず、重要なぷるっぷる具合を視覚的にもお伝えできないのがもどかしい。
そしてぎんなん餅を語る上で忘れてはならないのが、文学とのコラボレーションだ。イチョウの葉と実が描かれた包みをひらくと、なんと大伴家持などが詠んだ和歌が書かれた札が出てくる。餅ひとつひとつに挿入されており、約100種類あるらしい。出てきた和歌を眺めながら餅を食べていると、みやびな気分を味わえる。
きんつば
こちらも氷見市、「次郎平」というお店のきんつばだ。昔から父が好きで、何十年も食べ続けている。
シンプルな素材で作り上げたもちもちの生地と、早朝から一日かけてじっくり炊き上げた小豆。職人がていねいに焼き上げたまんまるのきんつばは、素朴で飽きのこない味だ。
子どもの頃は父を見ながら「どうしていつも、きんつばばかり食べているのだろう」と不思議に思っていたが、今ではその気持ちがよくわかる。一生食べ続けたいと思える味は、結局、こういう素朴で温かいものなのだ。
森八の和菓子
江戸時代に創業され400年近くの歴史を持つ「森八」は、金沢発の代表的な和菓子ブランドだ。日本三名菓のひとつで落雁の最高級品とされる「長生殿」をはじめ、加賀百万石の茶会で重宝される和菓子の数々を生み出してきた。
私は富山出身だが、お歳暮やおみやげとしてしばしばいただく機会があり、そのたびに洗練された味とパッケージに感激している。
なかでも好きな和菓子のひとつが、「城の石」という最中。はじめて食べたときはそのおいしさに衝撃を受けた。最中ってこんなにも快感を与えてくれるお菓子だったのか…と。
口に入れると皮のパリッとした食感と香ばしさにまず驚き、ほどよい甘さのなめらかなあんこにまた驚く。皮とあんこが完璧なバディを形成している。
ミルクボーイの漫才で「あれ全部上顎に持ってかれんのやから。皮とあんこのハーモニー感じたことないのよ」などと言われてしまった最中だが、そう思っている人にこそ森八の最中をぜひ食べてもらいたい。イメージが一変すると思う。
ちなみに夏は葛切りがおすすめだ。暑い日に氷水に浸し、しっかり冷やしてからそうめんみたいにつるつる食べれば、「これ、家に常備したいなあ」とつぶやいてしまうことだろう。
地の香(ちのか)
「茶菓工房たろう」の地の香は、金沢に住むセンスの良い友人から手土産としてもらった和菓子だ。その名前と箱の細長い形から、「これ、お香?」とついたずねてしまった。
そんなおしゃれなパッケージから登場するのは、きなこと水飴に粗く刻んだマカダミアナッツを混ぜ込んだお菓子。和三盆の素朴でやさしい甘みときなこの香ばしい風味は、加賀棒茶にとてもよくあう。
京都、松江と並んで日本三大菓子処のひとつとされる金沢は、和菓子屋の激戦区ともいえる土地。古くから伝わる伝統的な和菓子の技術と、和菓子にはめずらしい素材の組み合わせは、どこまでも広がる和菓子の可能性を感じさせる。
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和菓子には、心を平安にしてくれる作用があると思う。私自身も、動揺せざるをえないニュースが続く中で、帰省中に購入した地元の和菓子たちに助けられた。
ここ最近は、被災した方々はもちろん、被災していなくても、あるいは大きな事件や事故に巻き込まれていなくても、ニュースを見ているだけで緊張や不安、怒りや悲しみを感じ、心に傷やトラウマが残っている人も多いだろう。
さらにはそうしたニュースに関係なく、それぞれの生きる場所でそれぞれの問題に直面し、つらい思いや悲しい思いをしている人もたくさんいるはずだ。
そのどれもが本物のつらさであり悲しみであり、軽んじられていいものなどひとつもない。
ゆっくり休める人ばかりではないだろうが、少しでも多くの人が自分の心の奥にあるつらさや悲しみをないがしろにせず、それをほんのひとときでも癒してくれる人やモノに出会えたらいいなと思う。私自身も、自分の感情と素直に向き合う一年にしたい。