雨の日のドーナツ

晴れでも雨でも食べるのだ。 #40

LIFE STYLE
2023.11.14

食べものや飲みものにまつわるあたたかな記憶とその風景を、奥村まほさんの言葉で綴るエッセイ「晴れでも雨でも食べるのだ。」今回のテーマは、不思議な魅力でいっぱいの「ドーナツ」です。


ミスドで雨宿りをしている。

チョコファッション、フレンチクルーラー、ポン・デ・リングにエンゼルクリーム。持ち帰り用にあれもこれもと選んでいたら箱はすぐにいっぱいになり、もう8個?と疑いながらドーナツを数えはじめる。やっぱり8個だ。ストロベリーリングはまた今度。そう言いきかせて最後にハニーチュロをとり、「これは店内で食べます」と店員さんに伝える。アイスロイヤルミルクティといっしょにいただきながら、雨が滲むガラス窓をときどき見やり、いい昼下がりだなあと思う。

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「ミスド来たらなんか勉強したくなってきた。わかる?」
「わかるかも。」

向かいの席から興味深い会話がきこえてきた。部活終わりの高校生たちだ。どういう心境?と最初は少しおどろいたが、わかるような気もしなくはない。ドーナツ片手に勉強するのはたしかに楽しそう。

そういえば私も、ここで文章を書くつもりなどなかったのになぜか今は文字を打っている。まるくて平和なお菓子がそばにあると、安心して集中できるからかもしれない。

雨がやんでも、もう少しだけここにいよう。

ドーナツがぎっしり詰まった箱をちらりと見ては、追加でもう一個食べてしまおうかなどと考える。ついでに期間限定商品のオリジナルトートバッグまで購入しようとしている私は、ミスタードーナツに入れ込んでいるといってもいい。

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今ではミスドの赤いロゴマークを見かけるだけでハッとして心が躍るが、私は生粋のミスドっ子というわけではない。

子どものころにも食べた記憶はあるし、多少わくわくしたことはぼんやりと覚えているものの、それ以上のことはあまり印象に残っていない。上京後も数回利用したけれど、飲み会までの時間つぶしのために入っただけ。家の近所に店舗がなく見かける機会が少なかったから、テレビCMで「いいことあるぞ〜♪」と歌われてもほとんどなにも感じなかった。

そんな私の中でミスドの存在が大きくなったのは、今年に入ってからのこと。はじめは夫に便乗しただけだった。コーヒーのアテを探していた夫が紆余曲折ののちミスドにたどりつき、ときどき買ってくるようになったのだ。

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ひさしぶりだなあ、懐かしいなあという気持ちで箱をあけて食べてみたら、子どものころより数倍おいしく感じた。あのころはケーキやクッキーもあまり好きではなかったから、単純に味覚が変わったのだと思う。

特にオールドファッション系のドーナツは、どうして今まで食べてこなかったのだろうと後悔するほどおいしい。しっとりさっくりとした食感に、甘くやさしいミルクの風味。昔はポン・デ・リングや期間限定商品ばかりに目を向けていたが、シンプルなものの良さにもようやく気づけるようになってきた。

この秋に開催された「推しド総選挙2023」でも、迷わず「オールドファッション系」に投票した。ぜひ1位をとってほしい。

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箱の中に並んだドーナツの美しさ、次は何を食べようかと悩む楽しさ、腹持ちのよさ、冷凍保存ができる便利さ、ケーキよりも安く買える手頃さ。私はミスドの魅力にどんどんハマっていった。

でも、これほどまでにミスドを強く推すようになったのは、つらいときにいつもそばにいてくれたからだと思う。

引っ越しの前後。大型台風がやってきたとき。

私の疲れを癒やし、下がりに下がったテンションを持ち上げ、「大丈夫、どうにかなる」と思わせてくれたのがミスドのドーナツだった。とくに台風が長引いたときには、スーパーもパン屋も棚がからっぽだったので、ミスドの棚がひときわ輝いてみえた。神様仏様ミスド様と拝みたくなったくらいだ。

家にあるだけで安心できる。
いいことあるぞ、と思えてしまう。

そう、ドーナツは雨の日にうってつけのおやつなのだ。

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最後に、ドーナツそのものの魅力についても考えてみる。

その甘さ、食感、ボリューム感、種類の豊富さ。挙げはじめたらキリがないが、いちばん大事なポイントはやっぱり穴のあいた形だと思う。

まんなかが生焼けにならないように揚げパンに穴をあけたとか、船の操舵輪にパンをひっかけるために穴をあけたとか。きっかけは諸説あるらしいが、いずれにしろ最初に穴をあけた人はとびきりセンスがよくて天才だ。「ドーナツの穴は存在なのか、それともただの空白なのか」としばしば哲学的な問いかけがなされていることからも、人を惹きつけてやまない要素だとよくわかる。

ドーナツの穴は、ただの穴だけど、ただの穴じゃない。虚無にも無限にもみえて、さみしさにも楽しさにもみえる。欠如のようにも可能性のようにもみえる。考えれば考えるほどわからなくなる。私はそこに人間っぽさを感じてしまう。

一年ほど前に亡くなった私の尊敬する物書きは、自身のnoteによくドーナツを登場させていた。「孤独とはドーナツの穴のようなもの誰も孤独だけを切り分けることはできない」というフレーズは、とくに心に残っている。

私の孤独もドーナツの穴みたいなもの。

そう考えるとちょっぴり楽になり、同時にちょっぴり苦しくもなる。切り分けることのできない孤独と、どう向き合っていけばいいのだろう。ドーナツを眺めながら考える。

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あれこれ書き連ねているうちに雨が上がっていた。ほかのお客さんも雨宿りをしていたのだろうか。さっきまで満席だった店内ががらんとしている。

自転車のサドルに茶色い箱をぶら下げ、ペダルをゆっくりと漕ぎはじめる。雨上がりの交差点はきらきらしていて、ガラス越しに見ていたモザイクがかかったような世界と同じものとは思えない。

見て見て、私、ドーナツたくさん持ってるの。

心の中でめいいっぱい自慢しながら、坂道をかけおりていった。

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