浅草傷心グルメ旅

晴れでも雨でも食べるのだ。 #23

LIFE STYLE
2022.03.11

食べものや飲みものにまつわるあたたかな記憶とその風景を、奥村まほさんの言葉で綴るエッセイ「晴れでも雨でも食べるのだ。」今回は、夫さんとケンカした奥村さんが、浅草のビジネスホテルで過ごした一週間の記録です。浅草の街とあたたかな食べ物は、傷心の奥村さんにどのような変化をもたらしたのでしょう。


ある日の晩、私は妹の家のソファに座ってホテルを検索していた。夫とケンカし、お互い一人になったほうがよさそうだったので家を出たが、一人暮らしのワンルームにずっといるのも悪いので、そろそろ宿に泊まろうと思ったのだ。

連泊で安く泊まれる宿を探した結果、たまたま浅草のホテルがヒット。4泊5日で15,000円台というありがたい価格設定に加え、バス・トイレ別というシティホテルにしてはめずらしい条件に惹かれてそこに決めた。

正直なところ、浅草にはまったくといっていいほど思い入れがなかった。でも、ちょうどいいホテルがあるというだけの理由で訪れたその街で、私はおいしいものをたらふく食べて、心も体も癒されていった。これはそんな5日間の記録だ。

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day1:夜の浅草

雪の予報があった月曜日の朝、出勤する妹を見送ることもなくぐっすりと眠っていた私は、昼頃ようやくホテルへ向かう準備を始めた。

「どくだみ茶葉、ゆで卵2個、はちみつ飴をバッグに入れといたからよかったら食べて。」

妹のLINEを見て、優しさに泣けてくる。どくだみ茶は妹の家に来てから気に入って何度もおかわりしたお茶だ。一緒に食べたもつ鍋やおやつのことも思い出し、誰もいない部屋にお礼を言ってから家を出る。

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浅草行きの銀座線の中。夫との関係について考え始めると泣いてしまう。マスクがあってよかったと思う。途中、銀座で降りてバレンタインのチョコを買う。ダロワイヨのオペラサンクは、夫に初めてもらったホワイトデーのお菓子だ。私は一体どうしたいんだろう。

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宿に到着後ひと休憩し、少し仕事をしてからオンライン会議に参加した。会議であれなんであれ、人と話すと気が紛れる。終わるとちょうど夕暮れ時で、お腹がすいてきた。夜の浅草に繰り出してみよう。

浅草といえば商店街だ。昔ながらの飲み屋、もんじゃ焼き屋、洋食屋……。渋めの看板がずらりと並ぶ。

途中、たまたま入った路地で、「ラルース」という真っ赤な看板の灯りに見惚れる。「ロシヤ料理」の「ヤ」の字にも風情を感じた。夜に入ると高そうだが、ランチならギリギリいけそうだ。今週中に行こうと決める。

ホテルに持ち帰る軽食を探しながら歩いていると、以前落ち込んでいたときに友達が言ってくれた「とにかく体を温めてね」という言葉をふと思い出した。そうだ、何か温かいものを食べよう。とにかく今は、温かいものを。

ちょうどそのとき、ふわふわの肉まんが目に入った。これだ。惣菜の砂肝も購入し、オオゼキで朝ごはん用のパンやヨーグルトを買う。いつもはいいなと思っても買わないはちみつ付きのヨーグルトやコーヒーゼリー、ココナッツミルクも買った。

好きなときに好きなものを好きなだけ買って食べる。それだけでこんなにも気持ちいいものかと驚く。テレビでスキージャンプを観戦しながら肉まんと砂肝を頬張る。

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day2:昼の浅草

のんびり起きて、ドリンクを買いに近所のカフェへ。その帰りに「一松はなれ」という和菓子屋の看板に出会う。気になって店の前まで行き、ショーケースを凝視したが、まだ時間が早いと思いホテルに戻る。

仕事をすませてから、昼食がてら散歩に出かけた。昼の浅草は平和で安心する。昔に比べると観光客は少ないが、ほどよく活気があるくらいが私にはちょうどいい。なにより、通りすがりの人がみんな楽しそうにしているのがいい。明るい人たちが周りにいると、気分が明るくなるものだ。

老舗のおにぎり屋さんを目指したが、店の前で張り紙を発見する。なんと臨時休業日だった。仕方ない。同じ通りで目に留まった米粉のシフォンケーキを買い、あの和菓子屋に立ち寄った。結局お菓子ばかりじゃないか。

「あ!さっきはありがとうございます」
店に入ると声をかけられ、「わ、バレてましたか」と思わず口から漏れる。朝、ショーケースをじっと凝視していたから目立っていたようだ。気恥ずかしいが、店員さんが覚えていてくれたことはとてもうれしい。今は些細な言葉がやけに沁みる。

おはぎとあんみつ、さらに夕飯用の牛しぐれ煮弁当を買う。どれも丁寧な作りで、ふっくらとやわらかい味がした。

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あんみつは、杏やオレンジの産地にまでこだわったおすすめの逸品だそうだ。すべての具材が洗練され、美しく調和していた。甘すぎないところもいい。追加でもう一個食べてもいいなと思うほど、後味がすっきりしていた。また必ず買いに来よう。

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夜はおはぎを食べながら友達とZoomで話をした。お店の人と、友達と。どういう形であっても、人とのつながりは尊いものだ。

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day3:温かい料理

用事のついでに家に寄る。几帳面な夫は、私がいなくても家をきれいに保っている。むしろいつもよりきれいなくらいだ。リモコンの向きまできっちりそろっているし、洗濯物の干し方も美しい。ただ、冷蔵庫はがらがらだった。昨日は何を食べたんだろう。バレンタインチョコと置き手紙を残して家を出る。

浅草に戻ると午後2時だった。ランチは月曜日にひとめぼれしたロシア料理店に行くと決めていた。たえがたい空腹に白目をむきそうになりながら商店街を歩く。あったあった。赤い看板。でも、こんなところだったっけ。昼と夜では街の表情がまったくちがう。

クラシック音楽が流れる店内に入り、ボルシチとキャベツロールのランチセットを頼んだ。「ロールキャベツ」と呼ばないところに、勝手に本場の雰囲気を感じる。

席に着くと緑のテーブルクロスが視界一面に広がった。夫の影響で、私は緑が好きだ。夫の登山リュックやウインドブレーカーや、セーターの色を思い出す。明度や彩度がちょっとずつ違う緑を、しっかりと思い出せてしまうところが、なんかいやだ。

ボルシチとキャベツロールは、見るからに温かかった。そうそう、こういうものを求めていたの。「白い服、汚れないように気をつけてくださいね」という店員さんの声がけも温かい。

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ビーツの色が美しいボルシチは、とってもまろやか。3日がかりで作るというキャベツロールはずっしりと大きく、歓声をあげそうになる。やわらかいキャベツがとろけ、ひき肉はほろほろくずれる。マッシュポテト、ほうれん草、にんじんもほっくほくだ。

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食後にはロシアンティーが登場した。「ジャムは多めに入れるのがおすすめです」とのこと。果肉たっぷりのいちごジャムを山盛り2杯入れた。とろりと甘くて温かい。お茶の苦みと合わさってなんだか切ない感じもする。

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夜は近所に住む友達の家へ。「まいばすけっと」で野菜や肉を購入し、カーリングの試合を観戦しながら鍋をつついた。ラルースから持ち帰ってきたピロシキも二人で食べる。鍋の後に食べ切れるだろうかという心配は杞憂に終わり、「結局全部食べちゃったねー」と笑い合った。

ロシアとウクライナのニュースを見て、今日食べたものについて気になって調べてみたら、ボルシチはウクライナ発祥の料理だった。食文化には、明確な国境はないのかもしれない。

私の心を温めてくれた料理の数々と、画面から伝わる緊迫感との落差。夫との関係に悩む自分と、大変な状況に向かおうとしている世界。あらゆることを受け止めきれず困惑する私の胸に、料理の温かさだけがたしかに残った。

day4:天ぷらそば

老舗の尾張屋で天ぷらそばを食べる。そばといえば、夫とのランチの定番だ。浅草にはそば屋がたくさんあり、前を通るたびに夫の顔を思い出すので困っていたが、どういうわけか、そろそろ食べようという気になってきた。

車えびが載った上天ぷらそばか、普通の天ぷらそばかで迷い、結局普通の天ぷらそばにする。せっかくなら高い方を選んでおけばよかったのにと一瞬思うが、おいしければいいじゃないかと考え直す。片方がおいしいからといって、もう片方がおいしくなくなるわけじゃない。

結果、普通の天ぷらそばは十分おいしかった。どんぶりからはみ出る大迫力のえび天は、ぷりぷりで食べ応えがある。ジュワッ。サクッ。汁に浸かった部分と浸かっていない部分、両方の食感を最後まで楽しめるところが最高だ。温かい出汁もおいしくいただく。

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夜はフィギュアスケートを観ながら老舗セキネのしゅうまいとオオゼキの惣菜を食べる。しゅうまいは期待以上においしくてびっくり。肉の甘味と旨味が凝縮されている。こりゃ旨いわ、と繰り返しぶつぶつ言いながら、10個をぺろりと平らげた。

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day5:さよなら浅草

浅草生活最終日。友達におすすめされた老舗の洋食屋、ヨシカミでランチを食べる。看板やメニューに書かれた「うますぎて申し訳ないス!!」というキャッチフレーズに気迫を感じる。私もそれくらい自信を持ちたいものだ。

ビーフシチューのソースを使っているハヤシライスを狙っていたが、売り切れていたので日替わりのたっぷりランチを注文。コーンスープ、一口カツ、カニヤキメシ、バニラアイス。どれも懐かしい味がする。

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店員さんはみな威勢が良い。表情も声もイキイキしていて、プライドを持って働いているのが伝わってくる。

「ヤキメシはお包みできますからね。」
さりげなく声をかけてくれるところもプロだ。

包んでもらったカニヤキメシをリュックに入れてホテルに戻る。仕事をしているうちに日が暮れてきたので荷物をまとめた。5日間大変お世話になって愛着が沸いてきたホテルをチェックアウトし、駅に向かって歩き出す。心臓がばくばくしてくる。

雷門の前で立ち止まる。真っ赤な大提灯が闇の中で煌々と燃えている。

さよなら浅草。

未来のことはわからないけれど、きっとどうにかなるだろう。

リュックの中には、まだ温かいごはんがある。

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