青春を彩る脇役の脇役、お弁当
中学校の校内見学会にて
先日、とある中学校の説明会と校内見学会というものに出かけました。
小5の娘が中学受験を予定しているので時間が合えば学校説明会に足を運ぶのですが、この日は説明会のあと「今から生徒たちは昼休みに入るので、どうぞ自由に校内をご見学ください」と言われたのです。文化祭なんかで学校の様子を見ることは息子の受験期もふくめて数回あったのですが、「昼休みの生徒たち」を見る機会というのは、考えてみれば初めてのことでした。
自由に見てくださいなんて、学校の先生たちは生徒たちを信頼してるんだなあ(だってわが家に来たお客さんに「どうぞ自由に子どもたちの様子を見ていってください!」なんてなかなか言えない)と、私はそれだけでちょっと感心してしまいました。いつでもどうぞ見てってくださいね!!って、すごいことです。
そんなオープンな学校のお昼休みの校舎内を、自由に歩かせてもらいました。こういう「見学会」もこの学校ではよくあることなのか、生徒たちは各々好きな場所で、友達とおしゃべりしたり、本を読んだりしながらお弁当を食べていて、気負った様子はまったく感じられず、リラックスした様子。
特に教室で食べるといった決まりはないようで、廊下のベンチで別のクラスの友達と食べている子や、一人でのんびり本を読みながら食べている子、どこかで買ってきたお弁当をうれしそうに食べている子、購買で買ったであろうパンを頬張る子(なつかしい…)、そこには各々お弁当を囲む、「普通の中高生」たちの日常がありました。
いいなあ、みんな楽しそうだなあ、いい時間をすごしているなあ、と、そんなことを思いながら歩いていたら、なんだかだんだん、泣けてきました。ちょっと本気で涙が出そうになって必死にこらえました。あやしい、あやしすぎる。
お弁当の時間は、青春そのもの
なんでそんなに泣けてきたのか。それはそこにあるまさに「青春!!」といった景色が、むしょうにまぶしかったからです。子どもの受験を控えた保護者の疲れ切った表情とは対照的に(全国の受験生を持つ親御さんたいへんおつかれさまです)、何がそんなに楽しいのかというほどにキャハハと楽しそうに笑ったり、しあわせそうにパンを頬張る生徒たち。
そこにある、青春そのものの時間が、とてもとてもまぶしかった。そういえばウン十年前、私もこうやって、友達と机を囲んで毎日毎日お弁当を食べていました。まさに「箸が転んでもおかしい年頃」だったので、今思えばどうでもいいようなことで、涙が出るほど笑っていました。
学校で学んだ化学式や数式はほとんど忘れてしまったのに、あのお弁当を囲んだ友達との時間だけは、今もはっきり思い出せます。今その頃の友達と会っても、しょっちゅうあのお弁当の時間の話になります。お弁当の時間って、そういう時間だと思うのです。
そしてそこには、母が持たせてくれたお弁当があり、そして同時に、母が「今日はごめんお弁当作れへんわ!」と言った日に持たせてくれた500円で買った好きなパンやお惣菜がありました。
どちらも私にとってとてもとてもうれしい昼食と、「お弁当の時間」でした。
普段は見えない、お弁当の時間
そんなことを考えながら、「そういえばうちの中2の息子も、今頃学校で私が今朝作ったお弁当を食べている頃だな」と思い出しました。
うちの子もこんな風に友達とめちゃくちゃ楽しそうに笑いながら、私が作っているお弁当を食べてくれているんだろうか。こんな青春ど真ん中の時間に、私が作ったお弁当があるんだろうか…。そう思ったら少しだけ、今朝作ったお弁当が誇らしく思えました。
毎日毎日、お弁当を作るのは大変です。いや、私は毎日は全然作っていなくて、部活の朝練がある日は食堂へ行ってもらっているし、二日酔いの朝は「今日はこれで…」と昼食代を渡します。(これがしょっちゅうです。)あと、一年半のお弁当作り生活の中で身につけた手抜きテクニックも駆使しています。だとしても、お弁当作りというのは大変なものです。(全国のお弁当作りに追われるみなさま大変おつかれさまです。)
そして誰かに作ったお弁当というのは、食べている姿を基本的に見ることはありません。「会えない時間」の食事です。だから、直接「おいしい!!」という反応を見ることも普段はほとんどないのです。
だけど、この日楽しそうにお弁当の時間を過ごす中学生たちを見ながら、なんだか少し、自分の作ったお弁当を息子が食べている時間のことが、リアルに感じられました。
脇役の脇役だからこそいい
大人と同じように、子どもたちだって、毎日毎日大変なことはたくさんあると思います。難しい授業やハードな部活で疲弊したり、友達とうまくいかない日があったり、理不尽な大人たちとぶつかったり、恋をしたり、恋に破れたり。そしてそれらは大人が感じるよりももっと鋭く、子どもたちの心を揺さぶっていると思います。
そんな中でお弁当を囲む時間は、ほっと息をつける、だからこそ大人になってあとから振り返った時に「青春ど真ん中」だったと感じられる、そんな時間になっているのかもしれません。
そこにあるお弁当はきっと、毎日毎日豪華なものじゃなくても大丈夫。というか、たぶん、お弁当そのものは「脇役」なんだと思います。「脇役の脇役」くらいかもしれません。でも、それでいいんだと思います。それが、いいんだと思います。
焼いた鮭と卵焼きだけでも、レトルトカレーをチンしてのっけただけでも、時間がなくてコンビニで調達してもらったものでも。どんなものでも、子どもたちは青春ど真ん中の時間を過ごしているはずです。親と離れて、友達や、自分自身と向き合う時間。子どもたちにとってはその時間こそが宝物です。だからお弁当の中身なんて、正直覚えていないかもしれません。
だけど、自分が作ったお弁当が、そんな時間の脇役の脇役になれるとしたら、それだけでちょっとうれしい。その時間を思うと、なんだか少しだけ、お弁当作りもがんばれそうな気がします。
今日もうちの子は私が寝ぼけ眼で作ったお弁当を持っていきました。昨日ソウルの旅から深夜に帰ってきたばかりで、今朝は起きるのも一苦労といったくらいに眠かったけれど、必殺「保温ジャーでのっけ丼」を10分で作りました。とにかく昼休みに友達とサッカーをすることに命をかけている息子は、きっと10分で作ったお弁当を5分で食べて校庭に駆け出しているのでしょう。それでもあの楽しそうな時間の脇役の脇役に、今日のお弁当がなっているといいなと思います。