「おいしい」の記憶を作るものは
アイスム編集部スタッフの気になるあれこれを徒然なるままにご紹介。今回は、エディター虫明が久々に開いた母のレシピノートから、五目すしや豆ごはんを作ってみたお話です。「母の味」とは言うけれど、その記憶を形作るものは、味そのものだけではないのかもしれません。
母のレシピノートが発掘された。
いや「発掘された」も何も、私が実家から持ってきたものなのですが、最近もっぱら家中の収納を見直しており、大量の料理本を整理している時に見つけて「ああそうだったここにあったんだった」と、思い出したのです。
見直す前の収納がどんなにひどかったんだという話なのですが、それはさておき、「母のレシピノート」というものは、私にとってはなんというか少しだけ、開くのに勇気のいるものでした。
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私は18歳で家を出て、23歳の時に母を亡くしているので、どこかでずっと「もう母の味を忘れてしまっているんじゃないか」という思いがありました。「亡き母の味」とかよく言うけれど、私にはそれをもう思い出すことはできないんじゃないか、と。
もう一つ、母は専業主婦で、料理がとにかく上手だったので、母みたいなごはんは私にはきっと作れない、という思いもありました。だから母のレシピを見たところで、同じように作る自信がなかったのだと思います。
でも先日、この「おにぎり企画」の取材で、料理研究家のしらいのりこさんがおっしゃっていました。
「失敗って、プロでも誰でも何度でもするもの。1度や2度失敗して落ち込まないでほしい。上手に作ろうと思わないで、気楽にやってほしいです。料理に「正解」はないんですから。」
ごはん同盟のしらいのりこさんが語る、おにぎりの魅力「おにぎりは日本一のファーストフード!」
おにぎりってシンプル極まりないけど奥深くて、バリエーションが…
それを聞いて、私はなんだか気持ちがとても軽くなりました。そうだ、料理だって失敗しても全然いいじゃないか、と。
母のレシピで作ってみても、1回目はうまく行かないかもしれない。でもそれは、母だってきっと同じだったはず。失敗して、2回目のレシピをそこに残しているかもしれない。
さらに言えば、第一子の息子がうまれてからは10年(もうすぐ11年…!)、一応、おうちのごはんをメインで作り続けてきました。10年というのはなかなかの年月です。もちろん10年間毎日毎日しっかり作り続けてきたわけではないし(しっかり作らない日の方がきっと多かった)、その間ほとんどずっと仕事を続けていたこともあり、ごはん作りにかける時間はそんなに多くはなかったと思います。
でも、とにかく、外食をするにしてもお惣菜を買ってくるにしても、「なにを食べるか」を毎日毎日考え続けてきました。ごはんを作っても作らなくても、それは結構、ハードな仕事です。それを続けてきたことに、ちゃんと自信を持ってもいいんじゃないかな、と思えるようになりました。
それは、世の中のごはん作りを担う人たちの頑張りや葛藤を、このアイスムでの仕事を通して目にする機会が増えたことも大きいのだと思います。
実家を出た頃には考えられないことだけれど、料理に関わる仕事をするようになった。そういえば何度も、「あーこのレシピ、母が好きそうだな」と思ったりもしました。教えてあげたいなあ、なんて。そんなことを考えるようになったのも、一つの転換期なのかもしれないな、と、思ったのです。
そんな中で「発掘」されたこのレシピノートを見ながら、「そろそろこのレシピをめくってみてもいんじゃない…?」という気持ちになりました。
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さて、いざノートを開いてみると、さすが私の母という感じで、ざっくりしたメモの数々…
でもせっかくなので、何か作ってみよう、と、ひなまつりにこの「五目すし」を作ってみることに。
が、レシピというか材料しか書いていません。(あと、ちょいちょい誤字がある。私か。)
よくわからないので、Twitterにレシピの写真をあげると、料理上手のママたちが色々とアドバイスしてくれました。「母に聞きたいなあ」と思うことも、こうして周りの友人や家族に教えてもらえることが本当に山ほどあります。ありがたいことです。
材料を一つずつ準備して…
今回はれんこんを紫に変色させなかったよおかーさん!!
(※前回のせいろの記事ではれんこんを紫にしました)
がんばって作った五目すし!
やればできる!!!!!!
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そしてもう一つ、懐かしいものを見つけました。
母が大好きだった「豆ごはん」のレシピです。今見るとそれは思っていたよりずっと簡単で、工夫のようなものといえば、もち米を少し加えるくらい。
これならすぐに作ることができる…!
食べてみて、これはたしかに実家で食べていた豆ごはんの味だ…!と、思い出しました。華やかなごはんではないけれど、しみじみとおいしい、おうちごはんの味。
でも、その味よりも思い出したのは、自分で作った豆ごはんを、「おいしいおいしい」と言いながら、本当にうれしそうに食べていた母のことでした。
「母の豆ごはん、ほんとにおいしかったなあ」と記憶に残っているのは、それは、母自身がほんとうにおいしそうに食べていたからなのかもしれません。「おいしい」の記憶って、そうやって作られているのかもしれない。
ごはんを作る(決める)人は、日々、いろんなプレッシャーの中で過ごしています。おいしくできるのか、栄養は足りているのか、給食とはかぶらないか(私はしょっちゅうかぶります)、外食続きで申し訳ない(申し訳なくなんてない!)…。でも、豆ごはんを食べながら私は、作る(決める)人が「おいしいおいしい!」と言えることが、何より大事なのかもしれないな、と思いました。
ごはんを作った日も、作らなかった日も、おいしくできた日も、ちょっと失敗した日も、カップ麺をすすった日も、がんばる日も、がんばらない日も。
「おいしいね!」と言い合った記憶は、共に食べた人の中にも、しっかり残っていくと思います。
私が「母の味」そのものをもう忘れてしまっていたとしても、私の中には、あの時母が「おいしいなあ。まいちゃんこれほんまおいしいわ」と言っていた記憶が、ちゃんと残っているように。
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いつだったか母が、母の友人がご夫婦で営む素敵な喫茶店に、私たち家族を連れて行ってくれたことがありました。
そのご夫婦には子どもはいなくて、二人で人生を歩んでいらっしゃいました。
「いろんな家族があって、いろんな人生があるんよ。人は歳を重ねるにつれ、みんな誰でも、多かれ少なかれ抱えるものが増えてくる。それは目に見えても、見えなくても。でも誰かの幸せとか不幸とか、そういうのは、外から見てわかることじゃないやんね。」
と、母は言いました。
私は今も、折に触れてこの言葉を思い出します。そして母自身もきっと、いろんなものを抱えて生きていたのだろう、と。
悩み、迷い、母がいればなぁ、と、思うたび、いつも誰かが、ああそれ母も同じことを言っただろうな、というような言葉をかけてくれます。このアイスムを更新するたび、これ母も好きだろうなと思ったりするのですが、そういうものは必ず「この記事めっちゃよかった!」と、友人が言ってくれたり、SNSで誰かが感想を書いてくれているのを見かけたりします。
みんなそれぞれ、何かを抱えて生きています。大人になるにつれ、抱えるものは大きくなっていく。でも、それはただの喪失や欠陥ではないはずです。
それぞれの生活で、それぞれの「おいしい」を抱えて生きていけたらいいな、と、今改めて思っています。
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豆ごはん、簡単なので私がアレンジした2合分のレシピをここにも残しておきます。
材料
作り方
- 1. グリーンピースを塩水に30〜40分つけておく。
- 2. 材料を全部お鍋に入れ、30分ほどおいてから炊く。(もちろん炊飯器でも!)
みなさんのおうちごはんが、それぞれの「おいしい!」であふれますように!