育児 × 介護 = “戦略的”二世帯同居!への道 Step25:「ここで働かせてください(義母と嫁で)!前編」
私が義父母との二世帯同居を決意することになった決め手の一つが、「子供がいても義父母に預けて働ける」という点でした。
家計のため働きたいという気持ちはずっと持っていましたが、保育園の入園審査をパスできるほどの長時間勤務をする勇気は当時の私にはまだありませんでした。かといって、審査なしで入園できる幼稚園には長い夏休みや冬休みがあり、短時間のパートとはいえそれなりの困難が伴います。長期休みの間だけでも子供の面倒を見てもらえたら、働くハードルがずいぶん低くなるよなぁ、息子が幼稚園に入園するのはまだだけれど、入園して少し落ち着いたら、近くの飲食店やスーパーの仕事を探して…などとぼんやりと考えていた私に、ある日突然、働き口が降ってわいたのです。それも、まったく想像もしなかった方向から、想像もしなかった業界で。
そもそもの始まりは、義母が「家に専業主婦が二人もいてもしかたないから、私、パートを始めるわ!」と言い出したことでした。
いやいや、引っ越し前は「同居始めたら私達はサカヱさんのサポートに回るから、思う存分働いてちょうだい」って言ってたじゃないですか!なんでお義母さんが率先して働きに出るんですか!
そんなツッコミが胸のうちに沸きますが、そもそも義母はせっかちで、じっとしているのが苦手な働き者。日がな一日ボーっと放心するのが趣味のような私とは違い、家の中で家事だけしているのは耐えがたいのでしょう。
義母は定年まで勤めた会社を退職したあと、職業訓練校に通って介護ヘルパーの勉強をしていました。その資格を活かして、老人ホームでデイサービスの介護の仕事をすると言い出したのです。
というか、私達に働くことを宣言する前に、すでに義母は面接を受け、採用通知を受け取っていたのです。早い。早すぎる。
そうして義母が、週4日、5時間ほど働き始めた我が家。いざ義母が家を空けるようになってみると、なるほど確かに、一つ屋根の下で一日中一緒にいるよりも、ほどよい距離感が保て、精神的にも余裕が生まれる気がしました。義母の選択は正解だったな…さすが年の功…などとひとり頷いていましたが、働きに出て3日目、義母が思いもかけないことを言い出したのです。
「老人ホームは常に人手不足なのよ。それで所長さんに、うちのお嫁さんもそのうち働きたいみたいって言ったら、ぜひ面接に来てほしいって」
「…え?私ですか…?…ヘルパー資格持ってないですよ?」
ほかに言いたいことは山ほど(二人とも働きに出たら息子の世話はどうするんだとか、息子の幼稚園入園まで働くつもりはなかったとか、そもそも介護職はまったく選択肢に入っていなかったとか)ありましたが、ひとまず頭に浮かんだ疑問を口にします。
「大丈夫よ!事務職とか洗濯場も募集してるからヘルパー資格なくてもいいんですって。私とサカヱさんで交代の曜日や時間で働けばいいし、おじいちゃんもいるし何とでもなるわよ!」
そう義母に押し切られ、まあ事務職で短時間パートができるならいいかな…程度の軽い気持ちで、私はうかうかと義母の勤め始めたばかりの老人ホームに面接を受けに訪れたのでした。
慌てて書き上げた履歴書をちらりと形ばかり見ただけで、壮年の所長はにこやかに私に切り出しました。
「お義母さんも頑張ってくださってるし、ぜひお嫁さんにも来て頂けると嬉しいです!介護職は初めてとのことですが、先輩職員が丁寧に教えてくれるから心配いらないですよ」
「(介護職?)ええと、事務か洗濯場のお仕事だと聞いてきたんですが…」
「そっちも一応募集はしてないこともないんですが、いま一番人が足りないのが現場の介護職なんですよ。こちらとしてはぜひ介護職でお願いしたいんですが」
「でも資格もありませんし」
「資格はなくても大丈夫ですよ!」
大丈夫なのかよ。心の中で力いっぱいツッコミを入れながらも、そこは押しに弱く流されやすい私です。それに、両親が多忙で半分は祖父母に育てられたような生い立ちでもあり、お年寄りの相手は決して苦痛ではありません。所長のあまりの勢いに気圧されて、つい「不慣れでご迷惑をおかけするかもしれませんが、それでもよろしければ…」
と頷いてしまいました。
そもそも私は、前日まで介護の仕事に就くことなど考えたこともありませんでした。介護に関する用語も何もわからないのです。介護職のイメージといえば、民間介護施設のテレビCMでよく見る、穏やかな笑顔で車いすを押したり、食事の介助をしている姿…そんな私が、所長の「お義母さんはデイサービス部門で働いて頂いてますが、甘木さんには人手の足りない、特別養護老人ホームの入居者の身体介護をお願いすることになります」
という言葉の意味を理解したのは、初出勤の日のことでした。
数年ぶりの、家の外に出ての仕事。
緊張と期待に胸を膨らませながら、すぐにクビになったりしないよう頑張ろう…!と決意を固めて初出勤した私を迎えてくれたのは、教育係になってくれるという、私と同年代の、明るい笑顔の男性職員Aさんでした。
説明を聞き、メモを取りながら必死で施設の間取りを覚える私に向かい、彼はにこやかに言い放ちました。
「じゃ、早速やってみましょうか、オムツ替え」
そう、私は愚かにも、「特別養護老人ホームでの身体介護」というのが具体的にどういう仕事なのか、この時までまったく理解していなかったのです。
事前のぼんやりとしたイメージにあるような、車いすを押したり食事の介助をしたり、という仕事ももちろんあります。しかし一日の勤務時間の大部分は、数十人の入居者(そのほとんどが寝たきりや体の不自由な方)のオムツ替えやトイレでの排泄の介助、特殊な浴槽を使った入浴介助、認知症の症状で徘徊したり、オムツを外して排泄物を弄ってしまう人への見守りや対処などで占められていました。介護職が3K…きつい、汚い、危険、と言われるゆえんを、突然身をもって実感することになったのです。
いきなりオムツ替えをしろと言われても、赤ん坊のならば慣れていますが、大人はまったく勝手が違います。明るくも厳しい教育係Aさんから「もっと手早くしっかり拭いて!」「そこはもっときっちり締めて!」などと叱咤されながら、排泄物の匂いにこみ上げる吐き気を気取られないよう必死で耐えながらの、初めてのオムツ替え(大人)を数十人分、数時間。
これが私の、出産後初めての賃労働でした。
「この仕事、私に続けられるんだろうか…」
「…っていうか最初の話と全然違うじゃん…」
「…せめて義母と同じ、デイサービスの仕事に移してもらおうか…」
そんなことをつらつら考えながら帰路についたのでした。
持ち前の流されやすさで、いつの間にか介護職に就くことになった私。次回は、介護職の経験が、私と義母にくれたものについて綴ります。