育児 × 介護 = “戦略的”二世帯同居!への道 Step23:「年末年始・二世帯同居の家族のカタチとは?」
二世帯、三世代での同居をスタートして初めての年末年始を迎えた甘木一家。
同居嫁となった甘木サカヱが、新居に初めて帰省する義兄を迎え、家族について思うことは…?
義母の正月、ヨメの正月
初めて新居で迎える年末年始、一家の主婦たる私は疲労困憊していました。
まず年末、前回に綴った通り、義父母の膨大な量の年賀状作成サポート。
そして初めて5人家族で迎えるお正月の準備。
更に、この家に越してきて初めて帰省してくる義兄(旦那の兄、独身)のこと。
お正月の準備の苦労については、そのうちかなりの割合を、この家のもう一人の主婦である義母との意見の食い違いに占められていました。
二世帯住宅ではないため、台所は共有です。初めてこの家に義兄を迎えるお正月でもあるし、しっかりと準備しなくては…と私なりに気負って、おせち料理や正月料理の準備をしていました。
もともと私の地元である北海道では、あまり正月におせちを食べる習慣がありません。
重箱にぎっしり詰まったおせちは、私にとって漫画やドラマの中の、憧れの食べ物です。年末になると割烹着姿で台所でおせち料理を作る、古き良き日本のお母さん的イメージに憧れて、手作りで用意することにしました。義母がたくさんおせちのレシピ本を持っていたのでそれを譲り受け、アドバイスをもらいながら材料をそろえ、作っていきます。
おせちは問題なく作成できたのですが、問題は、それ以外の正月料理でした。年末になると毎日、義母とこんなやりとりをしました。
「サカヱさん、小豆は買ってある?」
「小豆ですか?黒豆じゃなく?何に使うんですか?」
「お正月にはぜんざいを作るじゃない!」
「…えっ、いつぜんざい食べるんですか?」
「元旦の朝よ!」
「お雑煮の代わりですか」
「お雑煮ももちろん作るわよ!」
…ええー??元旦の朝から?雑煮とぜんざいを?二種類?
またある日のやりとりはこうです。
「サカヱさん、鶏ガラ買ってある?」
「えっ何に使うんですか?」
「お雑煮の出汁をとるのよ!(当然の顔で)」
…などなど、こうしたすれ違いは枚挙にいとまがありません。
義母の出身地ではあたりまえなのかもしれませんが、少なくとも私にはまったく馴染みの無い習慣です。
そういえば義母はいつも、「私はお姑さん仕えをしていないから」と言います。
義母が義父と結婚した時には、すでに義父の両親は亡くなっており、義母は一度もお姑さんという存在がいた経験がないのです。
自分の母親も早くに亡くしており、実家の援助がない結婚生活は大変だったろうと思いますが、裏を返せば義母は産まれてこのかた、台所で他人の流儀、ほかの家のやり方とぶつかったことがなく、ずっとゴーイングマイウェイでやってきたということ。
料理や、季節折々の食習慣について、自分のやり方と違う人がいるということを想像はしても、実感することはほとんどなかったに違いありません。
お姑さんにいびられた経験がない分、義母の私に対する態度も実にあっさりさっぱりとしていて、それが義父母との同居を決意した理由の一つでもあり、本当にありがたい部分でもあります。しかし、同居してあらためて、一度も自説を曲げず、家庭のど真ん中を主役として歩いてきた義母の、自分のやり方イコール正義であり常識!という圧の強さに圧倒される思いでした。
結局、私は作ったことがなくてわからないから…と、ぜんざいや雑煮の作成は義母にお任せすることにしました。
元旦の朝、喜々として二種類の椀を皆の前に並べる義母の姿。
かたや旦那と義兄の息子兄弟はというと、義母の「ぜんざいも食べるでしょう?」という言葉に、「ああ…うん…」「あるなら食べるよ」程度の熱量で、ねえほんとに正月にぜんざいは必須?義母が作るから食べてるだけじゃなくて?と疑問に思ったりもしたのですが、毎年の習慣なのだから、無ければ無いで寂しいものなのかもしれません。
正月ぜんざい問題については、割り切れない思いを抱きつつも、そして元旦の朝からヘビーだな…という思いを捨てきれずにいつつも、結局毎年作り続けています。
実家ってなんだろう
年も押し迫って、離れて暮らす義兄が帰省してきました。
前年までは、自分が子供時代を過ごした義父母のマンションで年末年始を過ごしていた義兄ですが、この年からは私達家族の住む一戸建てが実家ということになります。
今まで一度も足を踏み入れたことのない実家に、戸惑いながらやってきた義兄を、ちょっと気恥ずかしいながらも「おかえりなさい!」と迎えました。
私達と義父母の決断で、義兄の慣れ親しんだ実家をなくしてしまったのだから、せめて新居でも疎外感を抱くことなく過ごしてほしい、と私は以前から心配していました。
それでも、義兄が帰省するのはせいぜい盆と正月の年二回。滞在も数日間でさほど長いものではありません。前のマンションにあった義兄の部屋も、この家には当然ながら無く、私にとって義兄は、あくまでたまに実家にやってくる、家族に近いけれど家族とまでは言えない人、という位置づけでした。
しかし義父母にとっては、そうではなかったのだ!と初めて気づいたのもこの年末年始にかけてでした。
ある日私は、手ごろなサイズのお皿を見つけ、6枚買って帰りました。
当時は幼い息子を入れて5人家族でしたが、いずれもう一人子供が欲しいと思ってもいました。そこまで長い目で見なくても、1枚多めに買えば割れてもスペアがあるし、半ダースでキリもいいし…という程度の軽い気持ちで買った6枚でした。
しかし、帰宅した義母は、台所の新しい皿を見た瞬間、こう言ったのです。
「あら、(義兄)の分も買ってくれたの?そうよね家族だものね」
…いや、それはない。
この家は義父と旦那が折半で購入しており、義兄は金銭的にも計画的にも、一切関与していません。
私の頭の中には、普段使いの食器まで義兄の分もそろえておくという発想がそもそもなかったのですが、義母にとってはそうではなかったのです。たとえ家の建物が変わっても、同居によって家族構成が変わっても、義兄は可愛い息子であり家族の一員なんだな…というのを実感したエピソードでした。
私にとっての家族、私にとっての家と、義母にとってのそれは違う。そして表面化していないだけで、同じような不一致は旦那や義父などほかの家族にもきっとあるはずです。
家族って何か、実家って何か…構成員の数だけ正解があります。それが、二世帯同居など多人数で暮らすとき、次々に生まれる問題の大きな原因なのかもしれません。
さて、実際に年末年始、義兄が帰省してどうだったかというと…表面上は穏やかに過ぎました。もともと義兄はとても物腰の柔らかい紳士的な人で、私も嫌な思いをさせられたことはありません。
しかし、家族として一つ屋根の下で数日間過ごすと、さすがにいろいろと思うことがありました。まず、義兄としては、勝手もわからず弟嫁と幼い甥のいる家の中では、好き勝手にふるまうこともできず、結局テレビを観て酒を飲みながら、お正月のご馳走をつつくことくらいしかすることがありません。
そしてそんな義兄を前に、普段は家事を積極的に手伝ってくれる義父も、どっかりと座ったまま。旦那は年末年始に多忙な職種でそもそも家にほどんどいません。そして義兄の帰省で張り切った義母が、普段は家庭の味に飢えているでしょうから!と、いそいそと台所に立ちます。同居したての嫁である私は、自分だけ座っている度胸もなく、結局ずっと台所に立ち、料理やつまみを作り洗い物をし…と忙しく立ち働くことになります。
おせちって!主婦が年明けに楽をするためのものじゃなかったの!
納得のいかない思いをくすぶるように抱きながら、初めての正月は終わりを告げました。
ちなみに同居から10年が過ぎた今、義兄は相変わらず帰省してきますが、私は強くなりました。なるべく家で手作りの料理を…という義母に、今年はついに「ずっと家でご飯作って片づけて…の繰り返しの正月は嫌です!外に食べに行きたい!」と主張し、力業で認めさせました。ここまで長かったなぁ…(遠い目)
そんなわけで、表面的には和やかながら、胸の内は波乱万丈な二世帯同居の正月は過ぎていくのでした。