A or Bどっちを選ぶ?私の愛する選択肢たち v.01 地方に残るか都会に出るか

2018/11/22 UPDATE

はじめまして。ユカリと申します。
「アイスムで連載をやらない?」と声をかけて頂いた時にずっと”アイムス”を調べていてペットフードしか検索に出てこなかったので心配になりましたが心配すべきは私の記憶力でした。
皆さんが今読んでいるのはアイスムです。よろしくお願いします。

私は30代独身、都内で外資IT企業に勤務しています。つい最近結婚したいと思う男性が現れ、来年1月に結婚を予定しています。
これだけ書くと順調な人生のようにも見えますが私は今まで結婚や恋愛だけでなくキャリアや転職など様々な局面で、数多くのどちらかというと失敗と言うべき経験をしてきました。

ところで、私はAかBかを選択し続けることが人生だと思っています。
この連載ではこれまでに私が選択を迫られた場面にスポットを当てて書いていきたいと思います。

「どちらを選んでも後悔しないこと、自分が選んだ選択を愛すること」

なんてツイッターや自分のブログでは偉そうに唄っているのですが、
特に若かりし頃は驚くほど短絡的で、自分で振り返っても頭を抱えたくなります。

でもまぁ、今まで東京で経済的に自立した社会人として生きてこられているので何とかなるもんなんだなとも思っています。
私自身メンタルも体も弱く、ここでは大きな成功ストーリーはありません。
選択を迫られ何度も失敗をしながらそれでも何とかやってこられているのでその「何とかなる」ということをお伝えできればと思います。

前振りが長くなりましたが初回は振り返ることおよそ15年、初めて大きな決断を迫られた大学受験です。

今年落ちたら来年は国立の大学を受けてね

「県で一番の高校に行きたい」という動機だけで無理矢理進学校に進んだものの周りに全くついていけず落ちぶれて授業はサボってばかり。
部活だけは真面目に参加するというどうしようもない高校生活を送っていた。
そんな私にも平等に受験を意識し始める時期が訪れ志望校を考えた時に、地元の大学は国立大しか”ちゃんとした”大学はないし、
そもそもサボりまくっていた私が5教科7科目で受験をするなんて無理な話だった。
結局、英語を勉強したいしかっこいいからというミーハーな理由で青山学院大学を第一志望とした。
我が家は両親が離婚しておりとんでもなく貧乏であったものの母親は私立の大学を受験することを止めはしなかったが、こう言った。
「今年落ちたら来年は国立受けてね」
3教科しか勉強していない私からすると1浪=2浪となるような言葉で今思うととんでもないプレッシャーである。

全てに金がかかる大学受験

受験することは承諾してもらったものの、母も私も大学受験にここまで金がかかることを知らなかった。
受験料のみならず往復の新幹線代やホテル代が入ってくる。
当時はじゃらんや楽天トラベルを使うような時代ではなかったので旅行代理店に行って都内のホテルの高さに青ざめたことを覚えている。
ホテル代をとにかく安くしたくて今だったら絶対に泊まらないであろうホテルに泊まっていたが受験日程後半、早稲田や法政を記念受験していた頃には初めての一人旅を満喫していた。

そして私は上京を選んだ

私が高校をサボっていたのには周りに馴染めず単純につまらなかったのと、もう一つ理由があった。
当時私が通っていた塾の講師をしていた大学生と付き合っていて、とにかくデートがしたかったからだ。
母親に夜出歩くことを禁止されていたので平日は授業をサボるか夜中に家を脱出するかしか会う方法がなかった。
彼は大学受験に関してアドバイスをしてくれたりもしたが私自身は当然複雑な気持ちもあった。合格は、すなわち遠距離恋愛になってしまうことを意味した。
初めてまともに付き合った人で本当に好きだったので地元に残っていたらこの人と結婚していただろうと今でも思っている。
しかし私は合格してしまった。本当に受かるとは思っていなかったのかもしれない。
合格した後もいつも通りデートをしたが、古いラブホテルで2人で泣いた。
すぐに別れるという決断をすることは避けたが2人の未来は交わらないことを、彼も私も悟っていたのだろう。

彼氏のことは誰よりも好きだったが結婚を現実として考えるには18歳という年齢は若すぎたし何より、
自分の努力で知らない世界へ行くことができるカードを勝ち取ったからにはそのカードを切らなければならない使命感があった。
大学を出た人間が誰もいない貧乏な家族の中に生まれたことは変えられないが、それが自分の進む道を阻むことが許せなかった。

これが私の人生で初めて100%自分の意思に従って下した決断だったように思う。
(その結果奨学金を借りられるだけ借りることになり今もなお返済しているが自分が決めたことだし、
学費を免除されるほどの特待生になるほど努力できなかった至らなさの結果である)。

その後の人生において地方か東京か、結婚するかキャリアを積むかという人生の方針を選ぶ局面が何度かあったが大事な時こそ100%自分の意思で決断した。
その結果大きく失敗をしたり、年齢と共に決断の重さや自分の気持ちも変わっていったのでそれはまた、次回以降に。

投稿者名

ユカリ

30代独身。都内で外資IT企業に勤務。
ジョブホッパーでメンタルが弱い。
ツイッターではナンパ師、恋愛工学生、「結婚して初めて人は一人前になる
と思い込んでいる既婚者、
キラキラマウンティング港区女子とよく揉めている。 Twitter:https://twitter.com/rita_sia22 note:https://note.mu/an_giee27