5歳さん嫁非公認コラム Episode:24「19歳の夏、僕は沖縄で大吾さんと出会った」
ちょっと奇抜な奥さまと元気な息子さん達とのユーモラスなエピソードが大人気!ツイッター界随一の恐(愛)妻家 5歳(嫁公認アカウント)さんのコラム!
今回は、5歳さんがティーンエイジャーの頃に出会った、一人の旅人・大吾さんとの思い出話。彼の気ままな生き方に、5歳さんの考える“家庭円満”のヒントがありました。
第1章 旅先で出会った、一人の釣り人
19歳の時、僕が自転車で日本一周の旅をしていた頃の話です。
自転車をゆっくりと漕ぎながら、最後にようやく辿り着いた沖縄の離島で、住み込みのバイトをしていました。
仕事はカヌーのガイドで、忙しい時もあったけど、暇な時は結構自由だったので、時間を見つけては島中を探検したりしていました。
そんなある日の事です。東の浜に大きなクジラが打ち上がったと聞いたので、僕は早速見に行く事にしました。
その日はよく晴れていて、日差しが刺すように照りつけていました。日陰がない長い砂浜を、僕はクジラを目指して歩きました。
遠くの方に大きなクジラの姿を見つけて興奮気味で駆け寄ると、猛烈な腐臭がしたのをよく覚えています。僕はそれまで知らなかったけど、クジラは腐ると猛烈に臭い。10年以上経った今でもありありと思い出せるくらいに、本当に強烈な匂いでした。でも僕はなるべく近くで見たかったので、息を止めてクジラの死体に近づいて、棒でつついたりしていました。
クジラを観察し尽くして気が済んだ僕は、来た道を帰ろうとしました。
その時、そこから少し先の岩場で釣りをしている人を発見しました。
その浜は普段あまり人が来ないような所なので、どんな人だろうと気になり、近づいて声を掛けてみました。
「どうです、釣れますか?」
「いや、全然釣れへんよ」
髭面坊主で丸メガネのその男の人は、ニコニコしながら関西弁でそう答えてくれた。
それが僕と大吾さんの出会いでした。
第2章 大吾さんの自由な生き方
大吾さんは僕と同じ旅人でした。
冬の間、サトウキビ収穫のバイトをしてお金を稼ぎ、時間があるとこうやってのんびりと釣りをして、気が向いたら太鼓(ジャンベという手で叩く太鼓)を叩き、ビーチの近くの林に設営されたテントでのんびりと生活していました。
歳は僕より7つ上の26歳。髭は伸ばしっぱなしで、頭は丸坊主、ジョンレノンみたいな丸メガネをかけていて、その奥からギョロリとした目がこちらを見ていた。見た目からして変人で、年相応には全然見えなくて、35歳と言われればそうだろうなと思うし、40歳を過ぎていると言われればそうかもなと思わせる、そんな風貌をしていました。
大吾さんは海外も旅すると言っていましたが、ほぼ100%の確率でイミグレーションで怪しまれて別室(麻薬とかを持ち込んでいないか調べる部屋)に連れて行かれる、と笑いながら話していました。
僕は大吾さんとすぐに意気投合して友達になりました。
「しばらくここにいるからまた来てや」と言ってくれたので、また来ると約束して、その日はお別れしました。
それからは、時間が空けば大吾さんの所に遊びに行って、一緒に話をしました。
世界を旅した話とか、くだらない話とか、人生の話…たくさん話をして、僕はどんどん大吾さんの事が好きになりました。
大吾さんは本当に何にも囚われない自由な生き方をしていました。
僕はある時、大吾さんに「どうしてそんなに自由な考えで、自由に生きていけるのか」と聞いてみました。
大吾さんはこう言いました。
「そう言われてもな〜。僕はこだわりみたいなもんはあらへんし、こう生きていこう!みたいな強い気持ちも、プライドもやっぱり無いんよね〜」
その頃の僕は『自由に生きる!』と強く思っていて、『こう生きていくぞ!』というプライドみたいなものを持っていたので、そう答える大吾さんに何か『自由の真理』みたいなものを感じました。
大吾さんはこうも言っていました。
「変なプライドを持ってると、逆に不自由になると思うんよね。守りたいもん一つだけ心の中に持っといて、他はぜーんぶ譲って、こだわりは捨ててったら楽になんでぇ〜」
大吾さんと話していると、目から鱗がポロポロと落ちるような気がした。
僕は、旅に出て自由な生き方をしていたつもりだったけど、本当の意味で自由って多分そういう事じゃないんだろうな、と感じました。
第3章 僕の今の生き方
大吾さんと出会ったのはもう16年も前の出来事ですが、今でも話した事をよく覚えています。
僕は8年前に旅人をやめて、結婚して嫁と生活して、2人の息子にも恵まれました。
僕の結婚生活はまさに大吾さんが言っていた、【プライドとかこだわりとかを一つひとつ捨てていく、というか譲っていく事】の連続だったように思います。
誰かと一緒に生きていくのに、自分の中のプライドやこだわりって障害にしかならないなと思ったのです。そういったものを捨てていくうちに、僕はどんどん自由になっていくような気がしました。
旅人をやめたら自由がなくなるのかな…と思っていた事もありましたが、実際は逆でした。
8年かかりましたが、ようやく嫁とも良い関係が作れてきたなと最近実感しています。
大吾さんが夏の終わりに島を離れる時、船着場へ見送りに行きました。
僕は別れ際に大吾さんに聞きました。
「大吾さんのプライド、こだわり、ぜーんぶ譲って最後に残った守りたい一つって、なんですか?」
大吾さんは答えた。
「そりゃ、大好きな人の笑顔でしょ」
最後の最後まで大吾さんは最高の男でした。
それから大吾さんには会っていません。
数年前に、僕の友人から北海道のシャケの缶詰工場で大吾さんに会ったという話を聞きました。
僕は友人とこんな会話を交わしました。
「大吾さん最高だったでしょ?」
「大吾さん最高だった!」
「大吾さん何してた?」
「釣りして太鼓叩いてた!」
大吾さんは、あの頃と変わらず自由に生きていました。
僕は大吾さんが最後に言っていた、『最後に守りたいのは大好きな人の笑顔』という言葉を思い出しながら、今のこの生活を続けていきたいと思います。