8通目:「『自分はこれがないとダメなんだ』というものに気がつけた人は強い。」紺野ぶるまさん ~拝啓、ハタチのわたしへ~
3月に行われたR−1ぐらんぷり決勝戦。自身初となるストレートでの決勝進出を果たし、ファイナリストとして注目を集めた紺野ぶるまさん。お笑い芸人として芽が出始めるまでの葛藤や挫折、お笑いを始める前に活動していたモデルの世界で感じたことなど、これまでの経験からハタチの自分に、新成人に、「夢」に向かって進む若者に伝えたいことをつづっていただきました。
こんにちは!紺野ぶるまです!!
ハタチだったあの頃から早11年。これまでに色々なことがあったけれど、昨年くらいからピン芸人として賞レースで結果を残せるようになってきました。昔からお笑いは好きだったけれど、いまの私はハタチの頃からは想像できなかった未来かもしれません。
昨年のR-1ぐらんぷりは、やっと準決勝まで行けたのに、なぜだか自分の心のどこかで弱気になってしまいそこで敗退。応援してくれたファンや信じて手伝ってくれた後輩がいたのに、なぜ気持ちで負けてしまったのか後悔が残りました。
なぜ私はいつも弱気になってしまうのか。ところが、「これはいける!」と思って敗者復活戦に臨んだところ、勝ち上がって人生初の決勝にいくことができました。だれが勝ってもおかしくない接戦でしたが、最終的には自分の芸で勝負する気概が勝敗を決したのかもしれません。実際、絶対に勝ち残るという気概を持って臨んだ今年のR−1ではストレートに決勝進出、まずは気持ちで負けないことが大切だと実感しました。
ネットで話題になった耳打ち事件の真相
出番が終わって裏に戻り濱田くんと話したとき、自身の目のことを題材にしたネタをこんなに多くの人の前で披露するのは初めてだし、このスタイルが受け入れられなかったら、次の出番の私に迷惑をかけるのではないかと心配していたと教えてくれました。わたしは驚いて「そんなこと考えてくれていたんですか……。ちなみにわたしのネタはどうでした?」と返したら、「めっちゃ微妙でしたね!」とかまされたんです(笑)この人に本当面白いなあと、そこで一気に打ち解けました。その流れで点数をレクチャーしていただけです。お笑い的には「あれは乳首の色を聞いていただけです」と言っていますが、実際本音を言わせてもらえば、だれが隣にいても同じことをしていたと思います。私がたまたま隣にいただけで、それが映し出されていましたが、普段劇場で周りの芸人さんもしていることです。
こんな感じで芸人として活動を始めてから、試行錯誤しながらここまで突き進んできました。芸歴は今年で9年目。ハタチ以降の人生をお笑い芸人として過ごしてきた私の近況はこんな感じです。
拝啓、ハタチの私へ
やあ、11年後のあなたです。
高校時代に付き合っていた彼と別れたことをまだ引きずっているころでしょうか?
ニッカポッカを履いて塗装屋で働いている彼。大好きでしたね~。愛してましたね~。
結婚まで決めていたんだから、そりゃ20歳のあなたは引きずってしまうよ。
31歳の私から見ても彼は本当にかっこ良い、最高にいい男だった!若いのに見る目ある!(笑)
それにしても今見ると汚いギャルだなあ。
でも悪くない!
今のあなたは自分のことをこう思っていますよね?
「この世で一番かわいい」と。
だってひと呼んで、「地元の若槻千夏」ですから。
高校を卒業して彼とも別れたあと、恥ずかしながらモデルを目指していましたね。高3の時に有名事務所のオーディションで、どういうわけだかグランプリを取りました。それもあったから「私、モデルになれるかも」と勘違いしてしまいましたね。結局、打ち合わせに大遅刻してグランプリは取り消されてしまって(苦笑)、その後、急にスイッチが入りオーディション雑誌を読みだして、怪しいやつにことごとくひっかかったり、原宿でスカウトされてウォーキングのレッスンに5、60万払ったりしていましたね。まあ、絶対に出せない金額ではなかったし、周りの友人も「背も高いし、絶対モデルさんになれるよ」と持ち上げてくるから勘違いに拍車がかかりましたね。どんまい。
そのときはモデルやファッションに特別興味があるというわけでもないのに「パリコレに出て人に元気を与えるモデルになるんだ!」みたいな自己顕示欲だけが爆発している時期だったね。あの5、60万円は「自己顕示欲を満たしてもらう代」を払ったようなものです。そもそもパリコレが何なのかも分かってないのに、端から見ると勘違いしている本当に痛い女です。あ~ダサくて面白くてしょうがありません。今の私からすると大好物です、あなたみたいなひと。
そんなあなたが11年後、芸人になっていると知ったら、すごくビックリすると思う。でも、表舞台に立つというのは一緒だし、お笑いも昔からすごく好きだから否定的なことは言わないと思うけれど、きっとあなたが気になっているのは「何で芸人になったか?」ですかね。
勘違いしていた『地元の若槻千夏』が『紺野ぶるま』になるまで
怪しいところにひっかかっていた少し後にモデル事務所に登録して、おしゃれなショーに出たことがありましたね。やっぱり周りの子はめちゃくちゃかわいいし、顔もすごく小さい。そのときに、「自分、骨格デカっ、顔デカっ。頬骨どうなってんの?おやおや?」と思い、『地元の若槻千夏』と言われていたけれどちょっと違うかもしれない……と気がつき始めていましたね。
そして、そのタイミングで5歳のときになったあの病気が再発。
卵巣嚢腫。(できることなら早めに病院へ行っておいて欲しかった……。)
入院中、「どうやってここから這い上がろうか。ちょっと違うところに行きたい」と考えながら過ごしていたとき、松竹芸能の養成所の募集を発見。レッスン料が30万円というのを見て、それまで騙し取られた額に比べたら、1年間でこれは破格ではないかと驚きました(笑)。さらに今まで見ていた怪しい広告とは打って変わって、ちゃんと知っている芸人さんがパンフレットに載っていて、ここなら安心だと思いました。そして、ネタ見せにいってお笑いをやってみるのもいいかもしれない!そうしたらこの体の弱さやマイナスもきっとプラスに変えられる!と思い立ちました。とはいえ自分にネタなんて書けるだろうかという大きな不安もあったので、退院したあとは当時あった女性タレントコースに入って様子をみることにしました。
ただ、実際にレッスンが始まると、柄に合わない日舞やタップダンスなどをやることに。日舞の先生に扇子の持ち方を注意されたときに、ふと「今後わたしの人生で扇子を持つことあるのかな?」と疑問を感じ、意を決してネタ見せにいかせて欲しいと志願しました。いってみると、みんな全然ネタなんて書けてない。それを見て、「最初からネタが書ける人なんていないんだ!よし私もやってみよう!」と思い切って飛び込んでいったことで芸人人生が始まりました。
少し回り道はしたけれど、モデルを経て芸人になってよかったかもしれません。モデル時代に周りにいた人や起きた出来事をネタに還元できているし。社長と同じマンションに住んでいたモデルの女の子たちやおじさんがくれたタクシー代のお釣りで生きていたような人たちとか。そういう人たちはだいたい、都心で輝かしい20代を過ごしたあと30代後半になって結婚するかバイトするかになる。そして最終的に麻雀プロになるか、変なグラビアをやるか、整形してヒアルロン酸でパンパンになった涙袋が爆発しそうになっている。みんな未だに友達なのにいつもネタにして本当に申し訳ない。
ただもう少し早くお笑いの養成所に入っておいて欲しかったという気持ちもあるかな。できることなら見た目で勝負できると思っていたあなたと本物のモデルを鏡の前に並べて、「ほら、違うでしょ?」と軌道修正してあげたい。そうでもしないと気がつけなそうだもの。
ハタチのあなたが芸人になって、31歳に至るまでに2つのターニングポイントがあるから、それを書き残します。
ねづっちお墨付きの「下ネタなぞかけ」で仕事急増!!
芸人になって5、6年経った頃、あるライブでねづっちさんがゲストにいらしたときに「ねづっちVS女芸人」という企画でなぞかけをしたことがありました。すると、ねづっちさんが「ぶるまちゃんなぞかけ上手だね、ライブに出てみないか」と別のライブに誘ってくださったんです。
そのライブでやったのが、クオリティは低くていいからとにかく数を出すという「低クオリティハイスピードなぞかけ」でした。ハンガーとお題を出されて、みんなの注目が自分に集まったとき、急に頭が真っ白に。何も出せずに寒い空気になるのが怖くてとっさに「ちんこと解きます、どちらもかけます!!」と言ってしまったんです。こんなこと言ったら駄目だとわかっていたけれど、それ以外は何も出てこなかったんです。
しかし、意外にも会場がワーッと盛り上がり、そこから全部ちんこで解いてくれとなりました。次のお題を手品と出されて、「手品とかけてちんこと解きます、その心はどちらもタネを仕込みます」と言ったら、ちんこだけにもうスタンディングオベーション。そのときに気がついちゃったんです、この世の単語は全てちんこで解けるように出来ているって。(このライブで優勝。そのあとちんこ一本で四連覇することになります!)
ただ、昔は事務所が下ネタに厳しくて2年間くらいずっと隠していたのですが、ねづっちさんがテレビ番組で紹介してくださって、少し仕事が増えていきました。
もともとは下ネタを言う女芸人をライブに来ている男性客が手放しで笑っている様子があまり好きではありませんでした。そこに何の芸もなく、ただ女の子がそういうワードを言っているから男性が笑って、女芸人側もまんざらじゃない感じに「こんなのお笑いでもなんでもないだろ」とドン引きしてました。だからこそ絶対に、ただそういうワードを言うだけじゃなくて、ちゃんと同音異義語を入れてなぞかけのルールに沿ってやること、下品の品格を持つことを胸に臨んでいます。
私のターニングポイントを作ってくださったねづっちさんには本当に感謝しています!ご本人は「それはぶるちゃんの実力だよ」と仰ってくださる、いつまでも優しい先輩です。ねづっちさんとは「なぞかけーず」という即席ユニットでたまに一緒にやらせてもらっていて、主に浅草やあとは土浦のショーパブで活動させてもらっています。
「お笑いがないと生きていけない」と腹が据わった、野球選手との合コン帰り
最初は紺色のブルマ履いてネタをやって「これが面白い。これで絶対にR-1優勝できる」と思っていたけれど、三年連続一回戦落ち。これじゃダメだとモノマネをやり始めたけれど、それも全然向いてない。フリップや音ネタ、学生のコントを始めたけれど、やっぱりあんまりいい結果が出ない。そんな時期に、「もう無理だな。辞めよう」と思ったんです。でも、心のどこかでは「辞めたくないな」、「まだR-1の決勝に1回もいってないな」という心残りはあるものの、続ける気力も自信もない、かといって辞める勇気もない状態でした。とはいえ、医療事務の資格を取ろうと資料を取り寄せたりして、ほぼほぼ辞める方向に向かっていました。
ちょうどその時期、モデル時代の女友達に誘われて二軍の野球選手の合コンに参加しました。上っ面の自分では楽しんでいたはずなのに、お酒を飲むと自分の深層心理がむき出しになったことがありました。シャンパンをしこたま飲んで、もらったタクシー代を手にひとりで帰っているとき、外の空気を吸おうと窓を開けた瞬間、「いまから家に帰って眠るけれど、なぜ眠るんだろう?そして起きたあとは?そもそも私はなにをするために起き上がるんだろう?」と思ったんです。「この先お笑いを辞めてどうやって生きていけばいいんだろう」とわからなくなったんです。そのときにハッと「私は自分が思っている以上にお笑いがすごく好きなんだ」ということに気がつき、それがお笑いは自分が生きていく中で必要不可欠なんだと思えた瞬間でした。自分はお笑いのセンスも無いし、向いてないからもう売れないかもしれないけれど、何かしらの形でお笑いに携わっていこうと決めたんです。たとえ表に出られなくても、脚本やネタを書くなりでお笑いという場所にいなきゃダメなんだと。まずは結果が出なくてもいいから、コントをもう1回やってみようと思いました。そのときに書いたネタは不思議と決勝にもいけるものになっていて、ひとつブレイクスルーしたような感覚でした。
紺野ぶるまさんから新成人を迎えた皆さんへ
みなさん、あらためてご成人おめでとうございます。
ハタチのころは何かと馬鹿にされることも多い時期だと思いますが、そういうときには是非きちんと相手に感情をぶつけていって欲しいです。ときには反論してもいいと思います。私はたとえ人格ごと否定されるようなことがあっても、「へへへ」って笑っているだけでした。売れてないから言う権利も無いと思っていたし、自分に自信が無くて何も言えなかった。売れたら、決勝にいったら言ってやろうと思って我慢していたけれど、いざそれを成し遂げても結局言えない。時間が経っても怒りだけが残っていたりするものです。もし、当時意見を言い合っていれば、決勝にいったときも、その人とハイタッチをして喜べたかなと思うんです。その人に「ほら見たことか!」と見返すのを目標にしているのも不健康だし、言った本人は覚えていないので、その時その時で怒った方がより密な人間関係が築けると思います!
あとは、「これしかない!」と思える好きなことは頑張って貫いて欲しいです!というか、貫かざるを得ないことになると思うんです。お笑いでも音楽でもなんでも、それが俗に言う夢というやつです。
私の場合は趣味もないし、他に好きなことが1個もないんです。本当に。この場から立ち去りたくて一生懸命探したけれど、お笑い以外に好きな物が1つもない。きちんと朝起きて時間が守れるようになったのも恥ずかしながら芸人になってからです。人並み外れた睡眠欲よりも優先できるのは性欲でも食欲でもなくお笑いだけです。
これは変な自慢でもカッコつけでもなんでもありません。だから苦労しているという話で、他に好きなものや頑張れるものがあるなら絶対そっちに行った方がいい。なぜなら売れなきゃ収入0ですから。死にますから。それでもいい、それでもしがみつかせてほしい、生きることと同義だと認識した人しか続けられないんだと思います。
もしかするとこれは、一度夢を手放そうとしたときに初めて「自分はこれがないとダメなんだ」と、心の底から求める瞬間が来て気がつくことかもしれません。でも、これに気がつけたらすごく強いと思います。
では、最後に。
「新成人」とかけて「ちんこ」と解きます。
その心は──?
「すぐに立ち直ることもできるでしょう。」