〇〇なときは映画に逃げろ!! ~第8回 異世界にトリップしたいとき~ 後攻:カワウソ祭「ミッドナイト・イン・パリ ('11年)」
■1 「Trip」にはふたつの意味がある
カワウソ祭です!第8回目のテーマは「異世界にトリップしたいとき」です。いや〜、したいですよね、トリップ。行きたいですよね、異世界。そんなもん、みんなどっちも好きじゃないですか。それゆえに様々なパターンの候補作が思い浮かんでくるお題です。
先攻で取り上げられたのは、バチバチにキマった覚醒剤映画『LUCY』でした。英語の“Trip”という単語には、麻薬的な「陶酔状態」と共に「(短期間の)旅行」という意味も含まれます。後攻では、この両方の意味でうっとりとトリップできる映画『ミッドナイト・イン・パリ(‘11)』をご紹介します。
Blu-ray&DVD 発売中
発売元:KADOKAWA
監督 / 脚本:ウディ・アレン
視聴可能サイト:Netflix / アマゾンプライムビデオ ほか
(c) 2011 Mediaproduccion, S.L.U., Versatil Cinema, S.L. and Gravier Productions, Inc.
脚本・監督はロマンティック映画界の巨匠、ウディ・アレン。洒脱な作風で、恋愛映画やコメディ映画を何十年も年に1本ほどのペースで撮り続けるスゴい人です。
多作なだけでなく世界的な映画賞の常連であり、本作でも第84回アカデミー賞 脚本賞を受賞しています。全編を通してかなり手の込んだシチュエーションにワクワクすることうけあい。
(c) 2011 Mediaproduccion, S.L.U., Versatil Cinema, S.L. and Gravier Productions, Inc.
主人公のギル・ペンダー(オーウェン・ウィルソン)は、ハリウッドの売れっ子脚本家です。とはいえ大衆めいた脚本を書くのに飽き飽きし、小説家への転向を目指して長編の執筆に挑んでいます。1920年代のパリに憧れ、住んでみたいとさえ考えています。
婚約者のイネス(レイチェル・マクアダムス)とその両親とともにパリへ滞在するギルですが、イネスたちが望むのは観光、買い物、ワインの試飲などベタなコースばかり。「文豪の訪れた店でランチしよう」「雨の降るパリを散歩しよう」といった誘いはことごとく退けられ、偶然合流したイネスの友人ポール(マイケル・シーン)には「黄金時代思考は、現代に対処できない夢見がちな人間によくある欠陥だ」と腐されてしまいます。
■2 憧れの時代へタイムスリップ。旅の中の旅が始まる
ちょっとかわいそうなギルですが、とある夜に1人で道に迷い、クラシック・カーに乗せられて風変わりなパーティー会場へたどり着きます。
話しかけてきた魅力的な女性ゼルダと、その夫スコットが名乗った姓はフィッツジェラルド。「スコット・フィッツジェラルド」は、1920年代に『グレート・ギャツビー』を書いた小説家です。ピアノを弾いて歌っているのは作詞作曲家のコール・ポーター。さらに、このパーティーのホストは詩人のジャン・コクトーだというのです!ギルはいつのまにか、憧れの1920年代のパリへタイムスリップしていました。
作中では次々とこの時代の華やかな作家や芸術家が登場しますが、どの人も絶妙に顔が似ているのが面白いところ。ギルの独特なもったり感のある話し方、次第に状況を理解し驚き溢れる表情、興奮してどもる演技はとても愛嬌があり、観ている方にも自然と喜びが溢れてきます。
更に、ギルがフィッツジェラルド夫妻に連れられて立ち寄った酒場で1人飲んでいたのは、アメリカ近代文学の巨匠、アーネスト・ヘミングウェイ。
ヘミングウェイとフィッツジェラルドの間で、文学について語り合う。文学を志す人間なら鼻血を出してぶっ倒れそうな羨ましい状況に置かれたギルは、機転を利かせて話題を盛り上げます。そして、ヘミングウェイに自分の書いている小説を読んでほしいと頼むと「私が唯一信用している、ガートルード・スタイン(著作家・美術収集家)に紹介しよう」という素晴らしい好機を得ます。
■3 ウディ・アレンが乱れ打つ教養パンチ!教養キック!
(c) 2011 Mediaproduccion, S.L.U., Versatil Cinema, S.L. and Gravier Productions, Inc.
ギルはこの日から夜な夜な現代と1920年代のパリを行き来して、ガートルード・スタインのサロンに訪れ、彼女の講評を参考に小説をリライトしていきます。
序盤のちょっとしょんぼりした顔とは打って変わり、倍ほどに見開かれた瞳がキラキラと輝く表情もみどころ。1920年代から景色に極端な変化がないので、タイムスリップ中と現在のシーンの移行がごくスムーズなところも、パリの魅力を端的に表しています。
映画に登場する人々を時系列に列挙していくと、ガートルード・スタインのサロンで最初に会ったのは、パブロ・ピカソと、そのモデルであり愛人のアドリアナ(架空の人物/マリオン・コティヤール)。ギルは婚約者のある身でありながら、その美しさに一目惚れしてしまいます。しかし彼女は過去にモディリアーニやジョルジュ・ブラックなど、エコール・ド・パリの面々と浮名を流してきたハンパない女でした。翌日は詩人のアーチボルト・マクリーシュに誘われ、パーティーで作家のジューナ・バーンズと踊ります。アドリアナと立ち寄った酒場の先客にはサルバドール・ダリ。後から現れたのは映画監督のルイス・ブニュエルと、芸術家のマン・レイ。また翌日には詩人のT・S・エリオットと同じ車に乗り、アンリ・マティスを紹介される……。
この流れのすごいところは、それぞれの交友関係や暮らしぶりから、1920年代のパリで実際に起こりえた引き合わせになっていること。歴史に名を刻んだ偉大な芸術家がパリに集い、夜ごとサロンやパーティー、カフェで語り合った夢のような時代。会話中にもウィットに富んだ小ネタがちりばめられています。
観賞中、カワウソはウディ・アレンがニヤニヤしながら放ってくる教養パンチやキックを受けては返し、時にはボコボコにされるような楽しさがありました。
■4 あなたは異世界トリップから戻ってこられますか?
神話の時代から、異世界へトリップする話では必ず「現世に帰る方法」、あるいは「異世界に留まる誘惑」と向き合うのが定石です。ロマンティックな人の心の動きに焦点を当て、SF的な仕組みへは言及しない本作でも、この定石はちゃんと踏まれています。
物語の後半、ギルとアドリアナは共に1890年代の「ベル・エポック」の時代へ迷い込みます。キャバレー「ムーランルージュ」でロートレックに遭遇し、感激する2人。そこへゴーギャンとドガがやってきて、口々に「今の時代は空虚で想像力に欠けている」「ルネサンス期のほうが良かった」と語ります。
(左)アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック《アンバサドゥールのアリスティード・ブリュアン》(1892)個人蔵、(右)同《エグランティーヌ嬢一座》(1895)メトロポリタン国立美術館蔵
その言葉にギルは“どの時代の人も自分の時代に不満があるのだ”と気づきますが、アドリアナはあっさりと「ここに残る」と宣言し、ギルの説得むなしく自分の時代(ギルが愛する1920年代)を捨ててしまいます。
カワウソはアートが大好きなので、ここまでギルと一緒に興奮しながら1920年代の夜を楽しんでいました。しかしまたギルと共に、自分の憧れとする過去の時代を覗くまではいいけれど、果たしてそこへ留まりたいだろうか?と考えさせられました。
憧れの黄金時代に招かれ、知的な喜びと甘い恋の世界に浸りながらも、不安定な現実へ立ち返ったギル。更には自分の人生を新しく選択して、現代の「パリのアメリカ人」として生きることを決めます。
うんうん、やっぱり何だかんだ言っても自分の時代で生きないとね……と、オチを付ける前に、あと少しだけ残された謎について考えます。
■5 オマケのちょっとした謎
(c) 2011 Mediaproduccion, S.L.U., Versatil Cinema, S.L. and Gravier Productions, Inc.
フィンセント・ファン・ゴッホ《星月夜(糸杉と村)》(1889-1889)ニューヨーク近代美術館蔵
最後に残る小さな謎。それはメインビジュアルの背景がゴッホの「星月夜」を模していること。ゴッホはこの作中に登場せず、親交のあったロートレックやゴーギャンから彼についての言及もありません。
ゴッホの作品は存命中ほとんど売れなかったことで有名です。しかもこの「星月夜」は、彼が精神病院に入院中、窓の外を眺めて「そこにない想像の風景」を加えながら描いたといわれています。なぜわざわざこの作品を背景としたのでしょうか?
カワウソは、自分の生きる時代から愛されず、パリに夢を抱き、居場所を求めたゴッホにギルを重ねたものと考えます。
一見するとギルは現代へ戻ることを選んだようですが、アメリカを離れ、婚約者と別れてパリに留まっている以上、結構な割合でパリに魂を奪われたままではないでしょうか。ウディ・アレン監督はもしかすると、かつての古き良き時代に戻ろう、とまではいかなくても「つまらない今を捨てて、より文化的な生き方を選んだっていいじゃん」と考えているのかもしれません。
本作はウディ・アレンの魅力を知る、良き入門編になるはず。華やかで明るい空気にひたりつつ、隠されたメッセージをさらに深追いすると、また新たなトリップを楽しめるかも?
【お知らせ】
多才で多作なウディ・アレン監督。今年も6月に新作『女と男の観覧車』の日本公開を控えているとのこと!新作でもうっとりするような美しい映像で、人生の切なさやちょっとワケありでも魅力的な恋を描いてくれることでしょう。興味を持った方はぜひ劇場へ!
Photo by Jessica Miglio © 2017 GRAVIER PRODUCTIONS, INC.
6/23(土)丸の内ピカデリー、新宿ピカデリーほか全国公開