【第四話】ぼくのお母さんとアイロン
ツイッターで大人気のshin5さん。今回は幼少時代のお話をしてもらいました。
今日もYシャツにアイロンをかける。
一日の終わりに、明日袖を通すシャツにアイロンをかけていると、なんだか落ち着く気がするから、2~3日分まとめてシワをのばしながらニュースを見たりする。
「なんでアイロンかけるの好きなの?」
「別に好きじゃないよ」
「そっか。なんだか、毎日かけてるような気がしてさ」
「そうかも知れないね。アイロンが必要な服があるなら、いまだよ」
「あ、ちょっと待って。1枚ある!」
「ほら、言うと思った」
そういって、妻のスカートや長男のYシャツ、双子のきんちゃく袋にアイロンをかけながら、妻とたわいもない話をする時間が好きだ。
今日一日、お互いに何があったかを話したり、週末の予定を話すだけの時間。
寝たら忘れてしまうような笑い話と、テレビから流れてくる真面目なニュース。
アイロンから時々プシューという音がして、ふと、幼いころの記憶がよみがえる。
僕が子どもの頃、母がアイロンをかけている姿が好きだった。
母は背中を丸めて、父の制服やハンカチ、給食の時につかうテーブルクロスにアイロンを手際良く真っすぐにしてくれる。その隣にいて、アイロンの熱や布の温かさ、アイロンをかけている時の独特な匂いが好きだった。
「やけどするから、もう少し離れててね」
母はいつもそうやって僕に声をかけるから、わざと真似して「やけどするから、もう少し・・・」と一緒に言って、隣で笑っていた記憶がある。
赤いコードがついた、重そうなアイロン。
折りたたみのアイロン台。
あの時、母は疲れていたようにも思う。
父と母は共働きで、家に帰るといつも一人だった。夕焼けチャイムが鳴って少し経つと帰ってくる母が待ち遠しくて、駐輪場で母の自転車が止まる音を聞いては玄関で待っていたこともあった。
母がパートから帰ってきたら、すぐに夕飯の支度をして、ごはんを食べる。
父が帰ってくる前にお風呂に入って、明日の用意をしたらあとは寝るだけなのに、母は決まって子ども部屋でアイロンをかけはじめる。
いま思えば、父と母はあまり仲が良くなかったのかもしれない。
アイロンをかけているときの話相手はいつも僕で、母がパートのレジ打ちでスーパーにくるおばあさんの話や、毎日おつかいにくる小学生の話や、いつも髭を剃らない店長の話をしてくれた。
「宿題はもう終わった?」
「うん!」
「明日のご用意は?」
「ばっちりだよ」
「ほらほら、まだアイロン熱いよ」
『やけどするから、もう少し離れていてね』
僕と母の声が重なって、いつもなら二人で大声をだして笑うはずだった。だけど、その日はさっさと片づけはじめる母に、拍子抜けしたのか、なんだか物足りなかったのか、少し不安になった僕は「ねぇ、おてつだいするよ!」と言って、まだ熱いアイロンに手をのばした。
とっさに叩かれた腕と手に、熱さと痛みが走る。
痛みをこらえながら目をあけると、僕は人さし指にやけどをし、腕にみみず腫れができていた。倒れたアイロンの下にはカーペットが焦げた跡がある。
状況が理解できなくなったのか、大げさに泣き出し、母は「ずっとごめんね」と謝って氷と
水で冷やし続けて、ずっと気にかけてくれた。急に手をのばした僕がいけなかったのに。
そしてあの日から、母は僕が起きている時間にアイロンをかけなくなった。
さびしいと思う反面、「もうやけどをしたくない」と思ったのか、母に声をかけることも少なくなっていて、朝起きると机の上にシワのないハンカチと、冷たいアイロンが玄関の隅っこに座っていた。
それからしばらくして、中学校に入る前くらいに、母からYシャツのアイロンの掛け方を教わった時、アイロンでやけどしたあの日の話をした。
「お母さん。あの時はごめんね」
「まだ覚えてたんだ。大変だったよね、あのとき」
「俺がいけなかったんだよ。もうやけどしないように気をつけるから」
「そうだね。片づける時も気をつけてね」
そんなことを思い出していたら、悪い夢にうなされて娘が起きて、一緒にトイレまで行くと
またアイロンがプシューと鳴った。手を洗った娘がベッドまで運んで欲しいといって抱きつき、ベッドまで運んで扉をしめ、リビングに戻ってくると妻がアイロン台の前に座っていた。
「私もアイロンかけようかな」
「おぉ、何気に僕よりアイロン上手だよね」
「それは性格の問題です」
「几帳面なO型、大雑把なA型」
「ふつう逆だよねー」
「ははは」
Yシャツとハンカチにアイロンをかけてもらい、少し飽きたのか「もう寝よっか」と妻が言って、のそのそと片づけはじめる。
電源を切ったアイロンがまだ熱い。
また子どもたちが夜中に起きてきても触らないよう、玄関の隅っこに置いておこう。
子どもたちが大きくなったら、またこの話をしよう。