サラリーマンのオレが諦めた夢の続きを見てみたくてアーティストにインタビューをしてみた 第4回 ~『荒渡巌』漂流物の終着駅~
0. 世の中をバカにしてるのに、いざ認めてもらえないと不安になることありません?
アイスム読者のみなさん、こんにちはThe Greatest Showmen a.k.a MENSANSです。
職場近くの駅のホームでリクルートスーツを着た学生さんを見る機会が増えて、今年も春がやってきたことを知りました。
いったいどこの誰が決めたのか、履歴書には書ける経験と書けない経験があるのだといいます。
リーダーシップを積んだ経験、困難を乗り越えた経験、誰かに感謝された経験、他の誰にもまねできないような結果を出した経験。
そんな「履歴書映え」する経験を書くためにバイトのリーダー代理になって、深夜のアルバイトを経験して、カンボジアでボランティアをして、パッケージ化されたバックパッカープランに申し込んで自分探しの旅に出る。
そもそもそんな人間ではないのに、それを書かなければ内定が出ない、自分をごまかしてそんな経験をつもうにも、頑張るだけの根性もなければ時間もない。なにより、世の中をバカにして生きてきたくせに、社会に認めてもらえないことに劣等感を感じている自分自身が情けなくて許せない。
自分が就職活動をしていた時に感じていたそんな疎外感や孤独を、みんなはどう乗り越えて、そして今を生きているのか。
表現で生きていくことを諦めてしまった一介のサラリーマンである僕が身の回りのアーティストに突撃するインタビュー記事第4回目。今回は大学時代、学部もサークルも一緒なうえに司法試験予備校も一緒に通った友人。そして今は現代芸術家へと転身した荒渡巌くんに話を聞いてみました。
1. 現代芸術家 荒渡巌誕生の瞬間
荒渡君に最初に会ったのって大学のオリエンテーションキャンプかなにかだったよね。泊まり込みの。キラキラした新入生の中に一人風神と雷神のスカジャン着てる人がいたからすごくよく憶えてる。
オリキャンね(笑)大学入る前に急いで下北で買ったんだよね。
大学デビュー的な?
身をもって体を成すじゃないけど、俺がどんな人間であるとか、考えてることがちょっとでも伝わるようにって工夫した結果が風神と雷神だった(笑)
そうだったのね……。僕も荒渡君も3年間法学部で勉強して司法試験予備校まで一緒にいったのに、君が芸術の道に行くことになったのって結局のところなにがきっかけだったの?てか、俺等が就活してる時ってなにしてたの?
ずっと酒飲んでドラムばっかり鍛えてた(笑)司法試験予備通っていたのは親が法科大学院だったら学費出してくれるっていうからモラトリアムを延長する気持ちで適当に考えてたんですよね。
ただ、いざ法科大学院入ろうと思って願書取り寄せて志望動機を2,000字書かされるタイミングではじめて「あっない」って思って(笑)。勉強はしてたけど、志望動機が1,000文字も書けないなとなると、やりたいことは違う場所にあるのかもなってその時はじめて思ったんですよね。
なるほど。
書けないなって気付いた時にやっぱ考えるんだよ。俺はなんだったらできんのかなって。
バンドもドラムを中学生くらいのときからやってたんだけど、ドラマーなので曲を作るわけじゃないじゃない?バンドを引っ張っていくっていうか、自分の感性で人を巻き込んで、一個の共同体としてのバンドをひっぱることはどうにもできない立場で、僕がバンドに所属するとだいたい1年で解散しちゃったりして。
で、一人でできる表現はないのかなって考えた時に昔描くの好きだったことを思い出したんですよね。
んで、もう1回絵描いてみようかなと。
なるほどなるほど。
いろいろ考えたり調べたりするうちに、東京藝術大学の中に先端芸術表現科ってここ十何年ぐらいの間に出来た新しい学科があることを知って、そこは領域を横断して多様な表現を探すことをやろうとしている所で、彫刻とか油絵とか日本画が上手く描けますとかじゃなくても入学できそうなことを知ったんですよ。それなら、俺もなんか出来るかなと思ったわけですね。
そこから、1年間美術の予備校に22歳にして高3の子たちとかと一緒に勉強したりして、一年後に無事合格してそのまま今に至る、みたいな。
藝大受かったって聞いた時はやっぱり人は進むべき道に進むんだなって思ったよね。受かるとこに受かるんだなって(笑)。自分の適性を考えた結果たどり着いた先端芸術学部は自分とマッチするって思えたの?
元々大学で法律やってた時から演劇とかが結構好きで、寺山修司に興味をもったり映画もたくさんみたりしてたんだけど、そういう領域と現代美術ってそんなに離れてるわけじゃないんだよね。作品のクオリティについてというよりも、作品の考え方とか、作家の持ってる思想みたいなものに焦点をあてるような所があって。
俺は一つのメディアに命をかけれるタイプではないっぽいから、そういう領域の方がしっくり来たという所はあったよ。
2. そもそも現代芸術ってなんなんでしたっけ……
そもそもの質問なんだけど、現代美術の定義ってどう決まるの?どこからが現代なの?
現代美術がはじまったって言われてるのが大体100年前くらいになると思うのだけど、マルセル・デュシャンて人がいて、その人が先駆者的な扱いになってるのかな。100何年前だから、ピカソとかのキュビズムの絵画とか彫刻が全盛の時代で、そんな中デュシャンは送ってきた人の作品を全部展示するアンデパンダンっていう展覧会で便器にサインをしてそれをぽんって置いて「これ作品なんすよ」って言い張ったりしたんですよ。そういう活動の中で、「美術っていう枠組みを拡張する行為」がなされたというか。
現代美術は美術の領域の拡張であると。なるほど。
そういう曖昧な所からはじまっているからこれが現代美術っていうのは特にはなくて、美術の領域を広げていこうという行いとか、こういうのが美術であってもいいじゃないですか?っていう提案も現代美術の中には含まれると思う。村上隆とかもそれまでサブカルチャーとしか見られてなかった漫画やアニメの表現も、美術史的に見ればちゃんと説明できるんですわって提案して世界でバカ売れしたりとか、そういう歴史を一個一個積み上げてくゲームみたいな感じなんだろうね。ものすごくざっくりというと、だけど。
美術にはある程度の枠組みがあるの?これは美術であるとか美術じゃないとか。
現代美術に限って言えば本人が「美術だ」って言ったら美術になるんだと思うけど、結局後世に残るか残らないかはわからない。美術っていうのはその批評のテキストを書く人、つまりはその作品について「これってこういう意味があるように見えるよね」を書く人や、美術館にアーカイブする人がいないと成り立たない。
これはアートじゃないですって誰かが権力を持って烙印を押すことはできなくて、今現在いる人たちの共同作業を通して何を美術として残していくのかは決まっていくことだから、やっぱり時代が作っていってるもんだとも思うよ。
3. 大停電の夜に
撮影/水津拓海
現代美術の中で荒渡くんがやっている活動はどういう位置づけになるのかな?
漂流物の収集。
漂流物の収集……
一言では言いづらいし、俺、これですっていう風にはあんまり言わないようにしてるのだけど、自分の作り方は自分が疑問に思ったものについて、要素を削ぎ落として物体を一個の体型に落とし込むみたいなことをしている。
疑問に思ったことの内容を削ぎ落とす……?
美術の作品の成り立ち方っていろいろあると思うんだけど、例えばすごい個人的な感情や記憶・体験をそのまま表現したりすることもひとつだし、政治的なテーマに対して私はこういう主張がありますっていう風に作ることもひとつだと思うし、俺はどっちかっていうと問題提起に近いことをしていると思う。
例えば俺が見たやつだと藝大で展示やってた自転車のホイールがくるくる回ってるやつだと思うんだけど、あれはどういう疑問の中で出てきたものなの?
はいはい。そもそも俺この4年間くらいずっと漂着物を拾って組み合わせて作品作ってるんですけど、なんでそういうことしてるかっていうと、3.11の時に住んでる場所(取手)が停電しちゃって、その2、3日間停電した時にそれまでパソコンとか使って作品作ってたのに全部できなくなったことがあったんですね。
で、今までやってきたのってなんだろうってすごい虚無的な気持ちになったんですね。
デジタルがない。電力もない。そんな時、自分はなにをどうするんだろう。そもそも作るのかな?とか考えたんですね。
なるほどね。
ある時友達に海行こうよっつって誘われて、車でその人連れて冬の九十九里浜にいったわけですよ。俺夏の海しか行ったことなかったんだけど冬の海って全然人いないんだよねやっぱり。海水浴のシーズンじゃないからあんまり掃除もしてないわけで、するとたくさん物があって、縄とか網とかもあるしウミガメの死骸とかいろいろ転がってて、落ちてる流木とか網だとか絡まった複雑な複合体みたいなのとかもあって。それを見てると自分がいつも見てる美術作品よりも完成されてるなって思っちゃったんですよね。
直感的に「もうこれでいいじゃん」って思っちゃって。
へぇー……
それから普通に漂流物をオブジェとして拾ってたんだけど、だんだんなんかもう俺拾ってるものみてるだけでいいやみたいな気持ちになってきちゃって(笑)
(笑)
でも一応まだ学生だしつくらないといけないので、その漂流物を使ってそれを組み合わせたりとかして作るようになったんですね。その時のコンセプトをどういう語り方してたかというと、自分は元々ネットで画像とかをダウンロードしてそれをコラージュするみたいなことをしてグラフィック作品を作ってたんですけど、ネットからダウンロードするってことと、浜で物を拾うってことはもしかしたらすげえ似てるんじゃないかと思って。
画像をフォルダに分類して集めていくのと、拾ってきた物を箱にこう詰めていくのとそれはやっぱ似ているなと。漂着物をこう拾ってコラージュすることっていうのは、パソコンでやっていたことができなくなってもまあできることだし、やる意味もあることじゃないのかなと思ってそういう作品を作り始めたわけです。
ふーん。なるほどね
MEN君が見に来てくれた展示も漂着物のガラスが自転車のホイールにポコポコポコポコ挟まっていて、それが回転するとプロジェクタのレンズと光源が合って、大きく壁に顕微鏡で拡大されるようにガラスの表面の細かい傷がテクスチャとして投影される作品だったんですね。
そういう文脈のモノだったのね……
うん。電気がなくなった時のことを考えると、映画・ドラマみたいな映像って見れなくなるじゃないですか。それを意識した時から映像コンテンツに全然没入できなくなっちゃったんですよ。フィルムだったら見れるかもしれないけど、Netflixも契約する気になれなくなってしまって(笑)。
何に対する違和感なんだろうね。なんかやっぱいつか失われるものであるということ?
うーんなんだろう。3.11の後に、停電してる町を歩いて友達の家まで行ったんだよね。でも、その時街中の信号も街頭も消えちゃってて、10m先ぐらいの景色が全然見えない状態で、「夜まじ視界ないなみたいな。夜って視界ないんか」みたいなあたりまえのことに気付いたんですよ。その時、圧倒的に人間って普段無理してるんだなってことを感じてしまって。
人間めっちゃ無理してる(笑)なるほど。
その時の「なんかめっちゃ無理してるわ」っていうリアリティ以上のことをそれ以降感じることがない。その時感じたリアリティに軸足を置いて生きていくことを自分に課しているところがあるのかもしれない。その事を忘れないというか。
荒渡君アニメ好きだったじゃん。もう見てないの?
あんまり見てない。アニソンはめっちゃ聞いてるけど(笑)。でも最近はなんでイヤホンから音流れるんだよみたいな風に感じてしまって苦しい(笑)。「意味わかんねえよって。なんでだよ」って思ってしまう。意味不明じゃんCDを入れると音がでるとか、すげー意味不明で。
芸術家つらいなぁ……。ライブだったらいいの?
一回どこまでなら許せるのか試したことがあるんだけど、オルゴールまでは大丈夫だった。オルゴール館とかめっちゃいってた時期がある。弾いてるからね。オルゴールはめっちゃわかるわーと思った(笑)
なるほど(笑)なんだろうね、実体のないものに対する違和感なのかな。
自分が目で見てわからないものに対する違和感かもしれない。どこまで目で見て理解できるのかの境界線がオルゴールだった。レコードもギリギリ大丈夫。溝があるってわかるから。CDはダメだった。音を信号にしてんすよって言われても「あ、そう……」以上に思えない。なんで信号にしようとしましたかっていう。
4. まずは死なずにそしてなるべく働かずに……
これからの活動の方針みたいなのがあれば教えてもらえますか?
まずは死なないってことだよなぁ。あとはできるだけ働かない。
(笑)働かずに死なずにと。
あとは美術作家としてなんかこう成り上がるために頑張りたくはない。一方で良い作品は作りたい。時間がかかって、あんまり発表出来なくて、存在感が無くても、自分のペースでしっかりと作っていきたい。そのために生活できる基盤を整えたい。
安定した生活だ。
今の美術業界というか、美術を発表している人達のペースってやっぱりオーバーペースだと思うんですね。思考とか手が追いつかないままどんどんこう作らされてる感じがしていて、そうやって露出していかないと生き残れないといえばそうなんだけど、俺はそういう作り方をすると、いつか自分自身の誠実さに嘘をつかなきゃいけない時がくるんだろうなって思うので、そういうやり方をしなくても死なずにちゃんと作り続けられて、いいものをなんとか仕上げられるような生活基盤を整えたい。やっぱ基盤がないと自分も追われるしさ。
うん。そうなんだよね。
なので僕は3月末からちょっと8ヶ月ぐらい野菜を作りに行くんですけど長野に。
野菜!?
農業の研究施設みたいなところで、野菜づくりの勉強をしにいく。
農業で固定収入を?
それで固定収入は得られるかは正直わからないね。俺金払って学びに行くので。勉強すればあとは自力で作れるだろうから技術を得るための投資みたいなもんかな。自給自足とまではいわないけど、現金の支出を出来るだけ抑えていきたいね。
ええ!?なるほどなるほど……真の安定した生活を手に入れるわけね。
5. サラリーマンの生き方についてどう思う?
企画のしばりでインタビューする人全員にきいているんですけど、僕(MENSANS)のことをどう思ってますか?
おー…おう……好きだよ(笑)
(笑)でもほら、生き方のベクトルが真逆じゃないですか。
そう?そんなに感じないけど、少なくとも、悪人じゃないと思う。でも正直でもないと思うけど。ただ、自分に嘘はつかないよね。ちゃんとたまに傷ついてるからいいねって思うよ。人間らしい。
(笑)なるほど。なんというか、じゃあ「我々のようなあのサラリーマン一般の人たちの生き方をどう思ってますか?」いう質問にしましょう。自分を騙しながら生きている可能性のある大人達の生き方についてと言いますか。
はいはいはい。生き方ですね。ざっくり言いすぎるのはよくないと思うけど、納得できないとか耐えられないと思うなら今やっていることを辞めた方がいいと思う。一方で普通に耐えられてんだったら別にそれでもいいんじゃないかなあと思うけどねえ。別にこうあらなきゃいけないってことはないと思うんで。その人が心身ともに健康でいたらいいじゃん。俺はたぶん普通に働いたら健康じゃなくなるからこうなってるだけ。
なるほどね。
俺がひとつ言えることがあるとすれば、なんだかんだ人間って結構生きていけるって最近はわかってきたってことだね。健康な成人男性だったら肉体労働続けて最低限生きていけることは出来る。
ほんとにギリギリで働いてたりとか合わねーなって思ってる中で、どうしようもなく思考停止を自分に強要してる人がいるんだったら、少し冷静になれる時間を工夫して作ってみたり、一緒に考えられる人探したりってことに時間使ってみてもいいかもしれないよね。
荒渡君はサラリーマン無理だったのかね?実際。出来ちゃうんじゃないかと思うけどね。
まぁたぶん働けるし、自分に合う思想をもった会社とか団体もあるにはあると思うんだよね。そこに所属して社会貢献すること自体、僕の中でなんか納得出来ないことではないと思うんだけど、それを探すというプロセスで病みそうな感じがあって(笑)。自分を入れてくれ!って頼み込む活動の中で死にそうな気がするよね。具体的に本当にこの会社じゃないとダメ!という所じゃないとどっかで心が折れる気がする。そこに辿り着くまでに死にそう。というか変わっちゃいそう自分の考えが。
なるほどねぇ。
普通の就職活動っていうのを恐れてるんですよ。あの、スーツみんなビッて着て説明会いるとことかもこわいじゃん普通に、強制されている感じがして。個性を大事にしてるとかそんな感じで教育されたけど「え?いきなりそこでなんか全部フラットにされんの?おかしくね?」みたいなのが素朴にあって(笑)。
はいはい。
しかも就活って自己PRじゃないけどわたしはこういう人でみたいなこと言うわけじゃん。そしたら自分でいいながらなんか自分でそれを聞いてそういう認識に至るみたいなことになっていって自分で自分を洗脳してる感覚に陥りそうだなって思っちゃって。
すげーそれわかる。
俺はなんかそういうふうに言葉であっても自分をあんま規定したくないんですよね。
そういうもんだと思ってやってる人もいると思うんだけど、俺は人生で2回新卒のチャンスがあったけど、そういう気にはならなかったね(笑)。
6. 進路に迷ったら今すぐ逢いに来いといいたいけれど……
まあそういう進路に迷ってる20代前半の人たちになにか言うとしたらなんかありますか?
まじか。進路に迷ってる20代前半?うーん……
夢を選ぶか安定を選ぶかみたいなさ。迷うじゃない。
難しいねえ。「今すぐ逢いに来い」と言いたいところなんだけど(笑)。
かっこいいなあ〜!
だが、責任とれないから来てもらっても(笑)なので、ほんと誰かに話すのがいいと思うんだけど。
俺が20代前半だったらどうしてたかなぁ……あっ、まず免許とった方がいいと思う。
(笑)急に具体的になったね。その心は?
一人になれる、誰にも邪魔されない場所って電車とかじゃなかなか行けないんだよね。やっぱ人いるところって自分の時間にならないんですよどうしても。人がいないところってなると強引な移動をしないと本当の意味でひとりにはなれない。喫茶店とか都市の中の図書館とかでも座って考え事しようとしても周りにはいろんな人いろんなものが目に入ってくるので、それに影響されるんですよね少なからず。
なるほどね。
自分と向き合おうと思った時はたぶんほんとの孤独な時間を過ごした方がいいと思う。誰か免許持ってるやつとかに頼んでどっかいくとかじゃなくて、まじでひとりでアテもなくふらっとこう車を借りて走り出すとか。車やバイクじゃなくてチャリでもいいんだけどね体力あれば。電車で遠くまでいってレンタルサイクルもいいと思うよ。とにかく、自分と風景しかない時間を強制的につくることが必要だと思う。エンジンは良いよ。速度がなければ獲得できない可能性もある。
ありがとうございます。
すみませんこんなんで(笑)
荒渡巌 Iwao Arawatari
Twitter:https://twitter.com/arawatari
1986年東京育ち。2017年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。SNSのコミュニケーション空間やディスプレイに投影される画像がもたらす特殊な体験に傾注し、制作を行っている。サロン・ド・プランタン賞受賞。主な展示に「転生 / Transmigration 2015」Alang Alang House(ウブド)、「カオス*ラウンジpresents『怒りの日』」(いわき)などがある。若手芸術家による実験販売活動「カタルシスの岸辺」の代表(店長)でもある。
撮影/mao nakazawa