6通目:「何でも体験して、どんなことでも言って、どんどんやらかしていけ。」田端 信太郎さん ~拝啓、ハタチのわたしへ~
今回は、2012年からの6年間にわたるLINE上級執行役員としての役目を終え、2018年3月から株式会社スタートトゥデイへ移った田端信太郎さんの登場です。
石川県出身の田端さんは、大学卒業後にNTTデータへ入社し、その後リクルート、ライブドア、コンデナスト・ジャパンのデジタル部門などインターネットビジネスの中心地で渦中の人であり続けてきました。Twitterなどソーシャルメディア上で個人としての発言も注目を浴び続ける彼が、SNSもまだ無かった今から23年前、二十歳の頃の自分に宛てたメッセージとは。
田端信太郎と申します、こんにちは。
さて、現在42歳の僕が20歳の頃の自分へ手紙を書くという企画に参加することになったものの、20年以上も前の自分が一体何を考えて生きていたかなんて正直、ほとんど思い出せません。けれども、結果的にこれまでのサラリーマン人生で最も長い在籍となったLINE株式会社から、サラリーマン人生6社目となる株式会社スタートトゥデイでプライベートブランド「ZOZO」を中心としたコミュニケーションデザインに関わることになった節目のタイミングなので、いろいろと振り返ってみるのも悪くないかと思う。
自分が20歳の頃といえば1995年。大学で一留し、ある意味人生で最も悶々としていた頃でもあります。「もう大学辞めちゃいたいな」とかいつも考えていた記憶が蘇ります。当時はインターネット黎明期で、その世界にどっぷり浸かっていた僕はこの新しくもアナーキーな匂いがする世界に魅了されていた。既にフリーランスのエンジニアとしてウェブサイトを制作し、月に30〜50万円くらい稼いだりもしていたから「正直就活しなくてもなんとかなるかも」なんて思っていました。
その後、慶応義塾大学を卒業しNTTデータヘ入社。破天荒っぽく見えているかもしれないですが、意外にも、ちゃんと就職したんですよね(笑)。そこからリクルートへ身を転じ、ゼロベースから創刊まで関わった「R25」は自分の原体験となりました。その後は、ライブドアで堀江貴文さんとともに働いたり、コンデナスト・ジャパンという出版社でデジタル部門の立ち上げをしたり。2012年からはLINE(当時のNHN Japan)へ入り、ここまで6年。実に、自称“メディア野郎”として一貫して生きてきています。
30を過ぎたあたりから、組織って面白い生き物だなあとも思うのだけど、僕は、基本的にはピン芸人で自分大好き発想の人間なので、どうにも他人と向き合わないといけない、人のマネジメントやリーダーシップ経験には興味が湧かないまま、若者時代を過ごしていたように思います。しかし、別に物理的に対面しなくても、本や雑誌、テレビやラジオといったメディア経由で、誰かが発信した情報が他の誰かに影響を与えることで「人が動き、社会が動く」という部分に興味が強くて、本でも音楽でもラジオ番組でも本当に徹底的に誰よりもディグろうとしてきました。そういうことを続けているのが田端信太郎の半生です。
小学生の頃にわざわざ家から遠い街の大きな本屋へ向かい、奥の方の書棚で知らない本に出合おうとパラパラと見ていたことも、小泉今日子のオールナイトニッポンをわざわざ聴いて、同級生はまだ誰もたどり着いてないキョンキョンの別の一面を探りひとり優越感を持っていたのも、20歳の頃にテクノのDJをしていて中古レコード屋を回ってレコードを掘っていたのも、全て今僕がTwitterでやっていることと同じなんだと思います。「どう?これすごくない?面白くない?」と、まだほとんどの人が知らないことを見つけ出し、他の人がしないような意味あいを発見することで、他の人に対して、マウントを取りたいっていう幼少期から続く、この業のような欲求は、この先も一生変わることはなさそうです。
拝啓、ハタチの俺へ
いかがおすごしですか? 今日も引きこもっていますか?
Mac LC630とモデムでネットサーフィン、エンジョイしていますか?
どうも、23年後のあなたです。
聞いて驚くことなかれ。23年後の君は、“ファッションEC業界”で働いているぞ。ネットで本が売れるのは、とっくの昔に当たり前になっちゃって、今や、服も靴もネットでバンバン売れる時代が来てるんだ。会社は今、6社目。二十歳の君は大学で留年しながらフリーランスとしてインターネットでホームページ制作など始めて結構稼いでいたりしつつも、「人生どうしたもんか、もう大学なんていっそ辞めてしまおうか」なんて悶々としているだろう。でも結局、その時のネットサーフィンばかりしている生活が後になって「あの時の膨大なネットサーフィン時間が、原体験として、ものすごく生きていると思う」なんて、インタビュー記事で、言い始めることになるわけだよ。おまけに、高校生の頃から大好きだった高城剛さんともいろいろなご縁があって、ご飯もご一緒したり、人前で対談できるような仲になっているし、何故か海外のカンファレンスで英語でプレゼンまでしちゃっているぞ。帰国子女でもなんでもないのに。
だから本当、人生何が起こるかわからないんだよなと、この手紙を書きながら思っているよ。そんなわけで若干説教くさくなることは承知で、でもこれから君の人生で起こることは既に経た俺だからこそ、そのまま進んでいいんだぞという肯定感を、二十歳そこそこのモヤついた俺に持ってもらうことだけを目的として、ここに書き残しておくよ。
まずは20歳の俺への、いくつかの朗報と忠告
・中高生の頃から大嫌いだった運動部、というかそこにある“先輩(年長者)が偉い。それに服従せよ”というあの権力のシステム。あれは、2018年になった今でもひとつの評価軸としては残っているけれど、じつはそれに対抗するかのように、目には見えないし大変わかりにくいけれどネットを通じた「影響力」や「発信力」というものがより人や仕事への評価軸として認められるようになってきているのは確かだ。だからまあ「俺なんてどうせ」とか「こんな不景気に就職活動なんて」とか思わず、そのままやりたいようにやっていると、社会も自分にとって全然悪くない感じに変わってくるぞ。今の君がめちゃくちゃ興味を持っているインターネットが、これから社会にいる個人個人が持つ “影響力”や“発信力”みたいなものを顕わにしていくから、お楽しみに。
・フィジカルな感覚を大切に。君が凄い重さに耐えながら自宅からクラブへと毎度運搬していたあのヴァイナルレコード、23年後にはそんなもの無くたってかっこいいDJをパソコンはおろか、スマホという携帯電話ひとつで披露することが可能になっている。がしかし、だ。フィジカルな重さの記憶や、誰も知らない音楽を、中古レコード屋でディグするときの嗅覚。あるいは人前でかっこいいことを即興で場の空気を読みながら披露しようとする感覚は、ヴァーチャルリアリティってものがもう本当に一般的になってきているこの2018年だからこそ、より重要になっている気もするんだ。だからこれからも、あらゆる物事へのディグのセンスを磨き続け、それを続けられる心身に感謝しながら誰も知らない情報を探し出し、披露しては人々にありがたがれて喜びを感じるという体験を積み重ねておいたらいいよ。
・今後、インターネットの世界にはもっともっと人が入ってきて、匿名で何かを言う人間はさらに増えてくる。それは別に悪いことでもなんでもない。けど、君はインターネット上でもどこでも、“実名と顔出し”を貫け。それは俺の美学みたいなものでもあるけれど、じつは最大の保身だ。君は自分でももう十分わかっていると思うけど、君はゲスい人間だ(それは喜ばしいことに、42歳になってもまったく変わってないから安心してくれ)。だから、もしそんな君が、匿名でいることも自分に許してしまったら、かなり醜い嫉妬とかがだだ漏れになりかねないからな。目も当てられないような酷いことも、インターネットにはいくらでも残せてしまう。いい意味でも悪い意味でも、自由。だから、実名と顔出しをインターネットに晒し続けることは自分にとって自分が作れる最大のセーフティネットとも言えるんだ。美学だけじゃ人は生きていけないが、これは自制と保身に繋がるから、肝に銘じておけよ。
アウトプットしてみなきゃ世に認められないがとことんインプットだけをできるのも今だけだ
俺がこの手紙を書いている2018年という時代には、“ソーシャルネットワークサービス”なるものも完全に普及して、1995年当時のメールでの通信は若い子にはもう使われなくなりつつあるし、携帯電話なんかも、今やボタンを「押す」という必要が無くなっているよ(想像できるか?)。そうやって考えるとたった23年で人間が日常の中で普通に使うもののデザインというのはかなり変わるものだとも思うけど、コミュニケーションや世の中について人間が持つ普遍的な欲求や悩み事なんて、「徒然草」の時からほとんど変わってないんだ。つまり、徒然草150段「能をつかんとする人」にあるように、要は、何かを習得しようとするとき、闇練して上手くなってからみんなの前で発表しようとか思っていても、一生上手くなんてならないから。笑われてもけなされてもいいから恥をさらしてやってみることが大事だって。鎌倉時代に吉田兼好が既に書いていることは、平成が終わろうとする今になったって、みんなわかっちゃいるけどなかなかやりきれてないことなんだよ。
「どうせ俺なんて」と思うことやプライドが高すぎてアウトプットをしないことがいかにもったいないことか。一度アウトプットすれば、自分の中が真空の様になるので、必ずその分情報が入ってくる気がするしな。そうはいってもやっぱり、若いうちはとことんインプットの原体験、ストックの蓄積を作っておくことをオススメするよ。インターネット無しには成立しないほどの世界になると情報の流通速度が信じられないほど速くなっていて、アウトプットありきでインプットしなきゃいけないことがちらほら出てくる(これ、1995年で感じる“忙しさ”っていうのともはや質が全然違うから想像してもらいにくいかもしれないけれど)。でもそういう取って出し感満載のアウトプットってどうなのよ、と俺はこの時代、つくづく感じているよ。俺みたいに40歳も過ぎてくるとじっくりインプットだけをできる時間なんて本当にほとんど取れないんだけれど、だからこそ二十歳の頃のネットサーフィンしていた時間やDJに精を出していた時間なんて贅沢そのものだったと思うし、そうやって自分の中にインプットが蓄積されまくっていれば、パッと見た瞬間に流行るサービスか流行らないサービスかだって。脊髄反射の暗黙知というか、直感で何故だか判断できちゃうから。今、サークルも入ってないし田舎から出てきているし別に飲み会大好きってわけでもないだろうし。そんな時だからこそ得られるひとりで対象に没入する時間を、今のうちに楽しんでおけよー!と思う。そういう意味で、今、君がダイアルアップの電話代を月に5万円も払いながら、ネットサーフィンをひたすらしている時間、ほんと全然悪くないと思うな、俺は。
1995年といえばちょうどあのカラフルなiMacやiBookが登場した頃。Appleってやっぱりなんかちょっと違うぞとインターネット好きたちはざわついている頃だとも思うけど、社長のスティーブ・ジョブズはそこから10年後に「Connecting the dots」ってことをスタンフォードの卒業式で話すんだ。それは、インターネットビジネスでの起業家がさらに生まれ、新しい世界を切り拓いていくときの指針・キーワードとして語られるようになる。誰も、未来のことはわからないけれど、自分の今やっていることやこれまでやってきたことすべての「点」が未来で何らかの形で繋がると信じて、進めと。今こうやって振り返っていると、言い方が美しすぎちゃうけど、本当に何も無駄なことは無かったと思うよ。いろいろアクシデントも起こりまくるし、激動のネットビジネスの世界でここまで続けてこられているのも、振り返ってみれば中学から高校2年生までやっていたボート部で鍛えられたガタイの良さがじつは生きていたりとか。だから親がくれたその強靭な身体と、誰よりもマウント取りたいって常に思ってしまう自分の習性に日々感謝して、これからも、いろいろやらかしていってください。
田端信太郎さんから新成人を迎えた皆さんへ
今年2月にLINE株式会社を“卒業”した僕は、3月より株式会社スタートトゥデイに入社しました。また現在は「ブランド人になれ〜社畜開放宣言」なる本(タイトルはまだ仮ですが)を執筆している最中でもあります。
大量生産、大量プロモーション、大量消費、という時代が終焉を迎え「これからの広告って一体なんだ?」と僕らの業界の人間はみんな考えています。いや、それどころか、いよいよAmazon Dash ButtonやらZOZO SUIT なんかが登場し、IoTや3Dプリンターの技術も含め、最近「もう広告いらないじゃん。消費者のそばで、彼らが必要なものを必要なときにオンデマンドで作るのが最強の広告じゃん!」という、少し先にある世界が、ちょっとずつ自分の中で見えてきたような気もしています。まさに、まだ誰も知らないことをゼロから生み出せるチャンスがすぐそこにあるようで、これを絶対に逃したくないと、今の自分はまたワクワクしています。
僕は、自由で下克上もあるし、みんなが本気のガチンコ勝負のビジネスの世界が一番パンクで違法なこと以外は、何でもありの痛快な世界なんだと信じていますから。ビジネスやお金儲けって、尾崎豊世代の僕が学生時代に「汚い大人たちの世界なんて!」と想像していたものよりも、ずっとずっとクリエイティブでエキサイティングで最高に面白いゲームなんだよ!ということだけは、皆さんに強く伝えておきたいと思いました。
ビジネスマンとして一人前になる、30歳くらいでやっと成人になるようなものだと僕は思うので、逆に言えば二十歳なんてまだまだいろいろやらかしていいはず。20代はまだ見習いみたいなものなので、卑怯だったりせこかったりしなければ炎上したって、やらかしたっていいんじゃないかな。自分もこうやって手紙を書きながら振り返ってみると、もっともっとやらかしてよかったんだろうなと思ってしまった。(もう十二分に炎上させ、たくさんやらかしているように見えるかもしれないですが!)だから、お互いにそんな感じでいきませんか?そのためにはきっと、何でも体験して、言いたいことは言って、いろいろやらかし続けて、自分の中に体験を残していくしかない。「ああ老害になりたくないなあ」なんて思いながら、1975年生まれ42歳の僕も、皆さんに負けじと、まだまだやっていこうと思います。