育児 × 介護 = “戦略的”二世帯同居!への道 Step1:義父母は鬼門だが役に立つ!?

2018/01/26 UPDATE

2児の母親として育児に奮闘する姿がTwitterで多くの女性から共感を集める「よく眠りたまに色々考える主婦」さん。甘木サカヱさんと名を改めて、ついにライターとしての活動も開始され、アイスムにご登場くださいます!
旦那さまのご両親と二世帯同居されている甘木さんですが、その生活は協議の上、さまざまな紆余曲折を経て始まったのだとか。
本連載では、ことの発端から物件探しを経て、無事ゴールへ至るまでを教えていただきます。
結婚したら、子どもが生まれたら、親が高齢になったら……いつかはチラつく二世帯同居。
これは、読者の皆さんが将来たどる、道のりかもしれません。

エピローグ

世は少子高齢化、働けどワーキングプア、子を産めば良き親であれという重圧、仕事復帰したくとも保育所には入れず、気づけば親の介護も間近。そんな現代の日々を過ごされている皆さま、お元気ですか?私はそろそろ限界です。
初めまして。あるいはいつも放言・妄言にお付き合いいただき、ありがとうございます。Twitterで妻として・嫁として・母としてのドタバタした毎日の様子などを呟いております、よく眠りたまに色々考える主婦改め、ライターの甘木サカヱと申します。
この度アイスムさんにて、別々に暮らしていた義理の両親と私たち夫婦が一緒に暮らしはじめるまでのあれこれを綴らせていただくことになりました。

私たち家族は、若夫妻がどちらかの実家に入るでもなく、また結婚当初から義両親との同居の約束があったわけでもありません。二組の夫婦(と一人の幼児)が話し合いにより同居を決め、お互いが暮らしていた家を離れ、中古の一軒家を探して購入し、二世帯同居生活を始めました。
強制されたわけでもないのになぜ私たちは、義両親との同居を選んだのでしょうか……?
そこには、緊迫する育児と切迫する仕事、将来うっすらと見えてきた介護の影……互いの家族それぞれの未来を考えたときに現れた、切実な事情がありました。まさに“戦略的”とでも言うべき二世帯同居計画が、持ちあがったのです。

しかしそれは、予想よりも遥かにおもしろ……いえ、多くの紆余曲折が待ち構えている道のりだったのでした。

限界を迎えるワンオペ育児と、義実家通いの日々

今から10年あまり前の冬、主婦は途方に暮れていました。
夜になると泣き、朝方にも泣き、夕暮れに泣き、離乳食をふり払いなぎ倒し、外へ連れていって!自由にさせて!ボクをかまって!と強い意志で一日中、ギャンギャン泣きわめき続ける乳児。
オモチャや紙おむつの散乱する床、たためない洗濯物の山。
初めての育児は、しっかり覚悟をしていたつもりでも、予想をはるかに超えた圧倒的なカオスで、主婦の脆弱な精神を蝕みつつありました。息子の泣き声が、まるで母親の私を責め立てているように聞こえ、「どうして泣くの?なんで寝ないの?」と、1歳にもならない乳児を、本気(マジ)の目で問い詰めたことも1度や2度ではありません。止まない夜泣きに苛まれる辛さをせめて笑い飛ばしてやろうと、両手に抱いた息子を高々と掲げながら子守唄を歌ったり(ライオンキングのイメージ)、抱っこしたまま「ヒューゥ!イヤーハァー!!」とサンバ風に腰を振ったりしていました。当時は真剣そのものでしたが、今思い返すと完全にアウトな状態です……。いろんな意味で。
主婦の実家は遠方でめったに帰省もできず、パートナーである旦那は仕事が多忙で、帰宅は大抵深夜。疲れ果てた旦那に夜泣きの対応までお願いすることもできません。
また、改善していたはずのうつ病の症状が、産後は育児の疲労とストレスのせいか悪化の兆しを見せている事実もまた、主婦を追い詰めていました。
このままの生活を続けていたら近い将来、寝込んで何もできなくなってしまうかもしれない。
笑い飛ばす心の余裕すら失って、最悪の場合、虐待に走ってしまうかもしれない。
心身ともに追いつめられた主婦が最後の頼みの綱としたのは、電車で30分ほどの距離に住む義父母でした。

義父母といえば嫁の鬼門。義実家にはあまり近寄りたくない、というのが世間の主婦業女性の多数派でありましょう。
私も例外ではなく、義父母とは世代や立場が異なるゆえの価値観の違いに悩まされたり、無遠慮なひと言に傷つけられたりしたことも山ほどありました。そして家事能力が低く、義母とは正反対に根暗な私もまた、義父母にとって理想的な「息子の嫁」ではなかったはずです。しかしそれでも私にとって義実家は、息の詰まりそうな密室ワンオペ育児に風穴を開ける突破口として機能してくれていたのです。

当時60代、定年のリタイア後は趣味にスポーツに資格取得にと悠々自適な生活を送っていた義父母は、待望の初孫である息子を連れていくといつも歓迎してくれました。
息子の産後は義実家に一カ月間お世話になった経緯もあり、それ以来ほとんど毎週のように息子を連れてお邪魔していました。。
延々と続く孫のプラレール遊びや公園遊びにも喜んで付き合ってくれる義父母。その間に主婦は束の間の休息を取り、死んだ魚のように濁った眼の色を、やや新鮮に塗り替えることができていたのでした。

元気な義母の「助けてもらうばかりはイヤ」?

そんな日々を過ごすうち、世話好きで、孫ラブな義母の口から
「もう家賃がもったいないから一緒に住めばいいのに(当時の私たち夫婦は賃貸アパート住まい、義実家は持ち家)」
「介護が必要になってから面倒だけ見てもらうのイヤよ」
「働きたいなら息子くんのこと見ててあげるわよ」という言葉がしばしばこぼれるようになります。
(いや、あの、私が介護する前提ですかお義母さん!)
(でも、現状お世話になりっぱなしなのは事実だし、このご恩はぜひ返したい!)
(そして家計のことを考えると、近い将来には私も働きに出なければいけない……。でも、この状態で……?この、いつ破裂するとも知れないうつ病爆弾を抱えたゾンビのような状態で託児先も探してワーキングマザー生活、さらに、将来的には介護も……?えっ、完全にムリじゃない……?私ひとりの力じゃムリじゃない……?)
考えれば考えるほど暗雲が立ち込める、これからのワンオペ育児・ワーキングマザー生活・義実家への通い介護の三重苦。
そうして私の心の中にも徐々に、(同居、アリかもしれないな)と前向きな思いが芽生え始めたのです。

嫁姑、はじめての物件見学!

漠然と同居を意識し始めていたある日のこと。息子を連れて散歩していた義母と私は、通りすがりの不動産屋の店頭広告にふと目を留めました。
義母「新築5LDKですって!こんなに広かったら皆で住めるわよね」
私「そうですねえ。もし子どもが増えたら、お義母さん達のマンション(3LDK)だとちょっと手狭になってしまいますものね」

「そこ、オススメですよ!広いし、内装もいいし、駅も近いし!」
ナチュラルに会話に入ってきたのは、恰幅のよい中年男性。聞けばこの不動産屋の社長さんで、広告の物件は社長自らの肝いりで建てた、こだわりの建売住宅とのこと。

社長「ちょっと見に行きませんか!車だとすぐ着くので!もちろん見るだけでいいですよ!」
義母「あら良いんですか?せっかくの機会だから行っちゃおうかしら」

押しの強い社長とノリの軽い義母に流され、やたらと高級な車のフカフカした後部座席に押し込まれた私と息子。近所の公園へ向かうはずが、事態を飲み込む間もないまま、初めての物件見学をするハメになっていたのでした。

行き当たりバッタリな初めての物件見学。この日をきっかけに、二世帯・三世代の家探しはゆっくりと動き出します。
しかしその道のりがあまりにも険しく、またあまりにもバラエティに富んでいることを、義母も私も、このときはまったく予想していなかったのです……。


(つづく)

つかさちずる

イラスト・つかさちずる

娘との日々をブログ「むすメモ!」に綴ったりLINEスタンプを作ったりしている絵描き。
回転寿司とゲームをこよなく愛するアラサー。
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