【第二十三話】午後3時のシンデレラ
空気が肌を刺すように冷たくなった12月の夜。
会社を出て駅前まで駆け足で向かう途中、最近イルミネーションが始まったばかりのクリスマスツリーの電気が消えて、街が一気に暗くなったのが見えた。
「もう終電の時間だもんな…」
息を切らしながら改札を抜け、ホームへの階段を下りて電車に飛び乗る。
世の中のサラリーマンのお父さんたちが忙しいように、僕の会社もまた年末に向けて少しずつ忙しさが増してきていた。最近は子どもたちが起きている時間に帰れない日も増えてしまった。
仕事がなくて苦しいよりも、仕事がたくさんあって会社が大きくなっていくのだから、頑張らなければいけないなと思う一方で、子どもたちが寝てしまったあとの静かな家で、一人待たせている妻を思うと胸が痛んだ。
今年のプレゼントは何にしよう。今年生まれたばかりの赤ちゃんにとっては初めてのクリスマスプレゼントなのだ。
しっかり時間をとって妻と一緒に考えないと。
そんなことを考えていると社用の携帯電話が震えた。
急いでメールを見ると、週末に緊急で出張に行ってほしいという上司からの連絡だった。
世の中のお父さんたちは、サラリーマンとサンタクロースの両立をどのようにしているのだろう。
子どもの頃、当たり前のように感じていた生活は、たくさんのお父さんたちの努力によって成り立っていた幸せな世界だったんだなと、自分が父親になってから気づくことが出来た。
「よーーーし、仕事をちゃんと片付けて、そのあとで代休とらせてもらおう!」
心の中で思ったことが口に出ていたようで、少しお酒の匂いが漂う山手線の中、周囲の注目を集めてしまった。恥ずかしくなって耳に詰めたイヤフォンは、ポケットに入れていたのに冷たかった。
子どもたちを起こさないように静かに玄関の扉を開けた頃、時計の針は午前1時を過ぎていた。
妻は机で眠っていたのか、おでこにセーターの跡をつけながら、玄関で迎えてくれた。
「今日も遅くまでおつかれさま。大変だったね」
「ただいま。遅くなってごめんね。子どもたちは大丈夫だった?」
「うん。でも、みんな今日もパパが帰ってこないって怒ってたよ」
「そうだよねぇ…あ、今週末出張になってしまった…」
「えー!また?そっか…でも仕方ないよね。毎年この時期は忙しいもんね」
「そのかわり、代休をもらって平日どこかでクリスマスプレゼントを買いに行こうか」
「いいわね。じゃあ、ついでに久しぶりにふたりでデートしちゃおうよ!」
「わ!すごい久しぶりだ…!ちょっと仕事やる気出てきたかも…」
「かも…じゃないでしょ。もう、頑張ってね。約束ね」
出張を終えた翌日、予定通り代休をとることが出来た。
子どもたちを学校に送り出し、赤ちゃんを妻の実家に預かってもらって久しぶりに2人だけで出かけることにした。
妻とふたりで出かけると街の景色がいつもより広がって見える。子ども達をつれて街に出かけると、子ども達を目で追ってしまうから、ついつい視線が下を向きがちだったことに気付いた。
「なんだか世界が広くみえるなー」
「大げさだよ。でも、ふたりで手をつないで街を歩くのすごく久しぶりだもんね」
「あっ、こんなところに新しいパン屋さんがある。全然気が付かなかった」
「ほんとうだ!クロワッサン美味しそう。今度買って帰ってみるね」
街の新しい一面を見つけられることもうれしかったし、何より大好きな妻の横顔を、ひとり占めできる時間がうれしかった。
今日は赤ちゃんを気にせず、一つ結びしていた髪もおろし、小さなピアスをつけている。
結婚する前のクリスマスにプレゼントしたピアスだった。
僕の視線に気が付いた妻が振り返る。
「どうしたの?じろじろ見て」
「ごめん。そのピアス似合うなぁと思って。」
「そうでしょ。デートの日につけようと思って久しぶりに出してみたの」
「可愛いな…。僕がクリスマスにプレゼントしたことおぼえてた?」
「うん。あの頃みたいに、デートの準備が楽しいって思ったよ」
「そっかー。僕はバタバタしてて寝ぐせも直せなかったさ」
「ホントだ。全然、あの頃と変わってないよー」
平日お昼の電車は驚くほど空いていた。いつもよりも妻の顔が近いような気がして、彼女の靴をみると、久しぶりにヒールの高いブーツを履いていた。
この日を楽しみにしていたのは僕だけじゃなかった。
照れ笑いするしぐさを見て、くすぐったくなるほどうれしかった。
さっきまで感じていた指先の冷たさはすっかり感じなくなっていた。
プレゼントを選び終えると、カフェでランチをして、妻が大好きなイルカとくらげを見ることができる水族館に行った。帰り道にケーキの予約をするまでが、僕が考えたデートコースだ。
「ハー楽しかった!これで終わっちゃうの、なんだかさみしいなぁ」
「そうだね。でも、子どもたちが帰ってきちゃうもんね」
「なんだかお姫様みたいな気分だよ」
「ほんとうだ。午後3時までのシンデレラ」
「帰ったら、ご飯作らなきゃ!」
「今日は久しぶりに僕が作るよ。お姫様はゆっくり休んで本でも読んでいて」
「ほんとう?じゃあ、甘えちゃおうかな…」
夕飯の材料をスーパーで買って家に向かう。学校から子どもたちが帰ってくる姿が見えた
「アレー?今日ママなんだかキレイじゃない?」
双子の妹がいう。
「ママはいつもきれいでしょ!でも、今日はちょっと特別な日だったから」
「えー!なになに?ズルい」
娘と妻のやりとりを眺めながら買ってきたカボチャを鍋に入れる。
そう、子ども達のママは、僕にとってのシンデレラなのだ。
そういえば、大切なことを忘れていた。
僕のお姫様へのクリスマスプレゼントを、急いで探しにいかなくちゃ。
優しくて頼りがいがあって、少しだけ寂しがり屋な、僕だけのシンデレラにメリークリスマスを言うために。