5歳さん嫁非公認コラム Episode:8「カテゴライズはそんなに大切!?」
ちょっと奇抜な奥さまと元気な息子さん達とのユーモラスなエピソードが大人気!ツイッター界随一の恐(愛)妻家 5歳(嫁公認アカウント)さんのコラム!
●●系男子、〇〇系女子、アラサー、アラフォー、六本木、麻布、キラキラ、そんな言葉で僕たちはいったい、その人の何がわかるというのでしょう…そんなブルー・●-ツ顔負けの熱い思いを5歳さんに歌っていただきました。
第1章.氾濫する現在のカテゴリにドロップキック
いわゆる「カテゴライズ」というやつが僕は好きではありません。
カテゴライズとは「○○だからきっとこうだ!」と決めつけることです。
しかし世の中では○○だからこうだ!と決めつけている事がたくさんありますよね?例えば、
・ヤンキーだからこうだ!
・オタクだからこうだ!
・アラサーだからこうだ!
・シングルマザーだからこうだ!
・片親だからこうだ!
・外国人だからこうだ!
このように、世界は○○だからこうだ!で溢れかえっています。
僕は、こういった意見を目にするたび、耳にするたび、疑問に思います。
そして、『いや、そんな事ないでしょ?』と反論したくなるのです。
たしかに、誰かと出会い、そして話している時に、その人がどういう人かを理解していく上で、どのカテゴリに属するのか、という情報がヒントになる場合はあります。
でも、それはあくまでもその人の一部であって、決して全てではありません。
たとえば、僕の結婚に関して言えば以下のような点がよく指摘されます。
・出会って半年
・出来婚
・嫁は悪魔の様な嫉妬心の持ち主
・僕はフリーターで旅人
なるほど、ここまでは事実です。しかし、なぜか、上記のカテゴリに属する人は自然と【三年で絶対離婚見込み】のカテゴリにジャンル分けされるのです。
(実際、周囲にも散々そう言われてきました)
でも、いまのところはしぶとく離婚せずに結婚生活を円満に送っています。
もちろん、くだらないカテゴライズをされてたまるか!という僕の意地もありますが、事実として、僕たち家族はちゃんと仲良く生活をしているのです。
僕の周りの友人を例に挙げると、大好きなアラフォー女子の先輩はバツ2だったりするのだけど、付き合っていけばいくほど『なんでこの素敵な先輩は二回も離婚したんだろ?』と頭の上にハテナマークが10個くらい浮かんでしまうくらい魅力的な女性なのです。
僕が良く知る三人の子を持つシングルマザーは、今まで知り合った女性の中でも五本の指に入るほどの素敵な女性で、三人の子達も優しく良い子に育っています。本人はもちろん苦労はあったと思うんですがいつもニコニコしてみんなから愛されています。その女性については文字数がいくらあっても説明し切れないし、足りないくらい、最高のママなのです。
離婚の原因は、何かその人に決定的な問題があるのでは?と邪推する気持ちを誰もが持ってしまいがちだけど、この女性たちと出会ってから、僕は『そういう事もあるのだ』と知ることが出来ました。
見た目もガチなオタクの友達もいます。みな早口気味ですが、とにかく優しい人なんです。彼女が出来たらめっちゃ優しくして、大切にするんだろうなとしみじみ思うのですが、それより何よりアニメとゲームを愛しているのです。本当にいい男なので、ついつい『彼女作りなよ』とお節介な事を言いたくなるのも事実ですが、彼らの人生は今のままで素晴らしいし、これからもそのまま好きな事をやって生きていって欲しいと僕は願っています。
生涯独身を貫く82歳のおばあちゃんは、かっこいい生き様だと尊敬しているのだけど、そんな彼女でも『人生は大満足しているんだけど、いままでいちいち何故結婚しなかったのか?と死ぬほど聞かれてきて、本当に大きなお世話だよ!とずっと思っていたよ!』と言っています。
今よりも『女は結婚するものだ!』と言われていた時代に、82年独身を貫いたプロの独身の語る言葉に、僕はとてつもないパワーを感じました。
つまるところ、人の生き方なんて、『それはそれでこれはこれ』なのです。
第2章.自分の物差しを捨てて、相手を受け止めようぜ
最近、アラサーやアラフォーといったジェネレーションをテーマにしたドラマや漫画がたくさん出て、みんな面白がっているけれども、逆に『いやいやいや、そうとは限らないでしょ?』みたいに思っている当事者達もたくさんいると思います。
エンターテイメントとしてそういったジャンルは需要があって、共感を持つ人たちがいることも理解しているけど、あまりにも短絡的に世の中のステレオタイプを押し付けているように思えてしまうのです。
僕は今まで色んな人と出会って、その人達の人生に触れるたび、人は簡単には分類出来ないし、枠にはめる事も出来ないと感じました。
人間は複雑で、だからこそ面白い。
なのに、世の中は話をわかりやすく、理解しやすくするためだけに、人は人をカテゴライズする。
でも、人が人を理解するために「カテゴライズ」はむしろ邪魔になっている気がしませんか?
僕の嫁はよくこんなことを言います。
『店長と付き合いにくいと思ったらB型だった』
その度に、僕はこう諭します。
『いや、科学的にも血液型と性格は関係ないと立証されているからそれは間違っているよ』
こういった偏見のために世の中のB型の人達がどれだけ肩身の狭い思いをしているとおもっているのでしょうか!
だから『ところで血液型何型?』と聞いて、妙に納得するのはやめよう!!
僕は僕で変態、変人とよく言われているAB型です。
たしかに僕は足の爪の間のゴミを爪楊枝でほじくり出して臭いを嗅ぐのが日課だし、女性の鼻の穴に対して異様な程の執着があるという変わった側面を持ち合わせているのですが、皆、人に言えないフェチズムの一つや二つ、三つや四つ隠し持っているのではないでしょうか。
ごめんなさい、話がそれました。
血液型による性格分類を科学的なデータで否定するのは簡単です。けれども、血液型よりも確かな統計で『そういった傾向がある』と結論が出ていたとしても、やはりそういった『○○だからこうだ』という決めつけは、そう思い込んでいる人の視野を狭くしているように感じるのです。
相手を自分が理解できる物差しの中でカテゴライズして、枠にはめることでわかった様な気持ちになるのは、その人と仲良くなったり、お互いの理解を深めていく上での障害になります。
僕はその○○だからこうだという事は、なるべく頭の隅っこにどけておいて、目の前にいるその人をより深く知りたいです。
そういう考え方が色んな人との素敵な出会いに繋がると信じています。