【第十九話】イヤフォン

2017/10/06 UPDATE

妻と結婚する前の話をしよう。

会社の飲み会でたまたま隣に座った女性とその後、何度かランチに行って仲良くなり、ある日思い切って横浜のみなとみらいへデートに連れ出した。そんな風にして僕が好きになっていった彼女には子どもがいた。

彼女と一緒にいる時間がたのしくて、子どもとも仲良くなって、もっとたくさんの時間を一緒に過ごしたいと思うようになった。何度かのデートを重ねて、いろいろな場所へ出かけた。すこしのケンカと仲直りもあったけれども、この先もずっと一緒にいれたらと思い、彼女の両親に許しをもらって同棲がはじまった。

同棲をはじめてからは、カーテンから差し込む朝日だけで、目覚ましがなくても自然と目が覚めるようになった。目覚ましと携帯電話のアラームを両方使って毎日なんとか起きていたかつての日々が嘘のようだ。

朝ごはんの準備は僕の役割だ。妻は長男を保育園にあずけるための支度をしたあと、メイクをはじめる。実家を出て一人暮らしが多かった僕にとって、三人で食卓を囲めることは幸せな時間だった。

コーヒーの香り、半熟の目玉焼き。食べ終わったら歯磨きをして、ベランダの花に水をあげるのが、出勤までの習慣になった。

「ほいくえんおくれるよ!もういくよ!ごようい!」

ベランダで花を眺めていると、玄関から声が聞こえた。玄関に向かうと、一生懸命にくつをはく小さな後ろ姿が「みぎのくつ!ひだりのくつ!ばっちり」と言っていた。彼女は「よくできました」と彼の頭をやさしくなでている。

僕たちは家族になったのだ。玄関で笑い合う二人の顔を見て、そう思えた日のことを、あの幸福な感覚を、今でもはっきりと覚えている。

そして今、毎日の通勤も一緒になった。

人でごった返すホームを抜けて、満員の埼京線に二人ですべり込む。僕はiPodで音楽を聴き、彼女は小説を読む。
大切な二人だけの時間だけれども、周囲の人の視線も気になるので、会社に向かう電車の中は二人それぞれ好きに過ごすことにしていた。

僕が音楽を聴いていると、隣にいた彼女が片方のイヤフォンをツンツンとつついた。
片方のイヤフォンを耳からはずし、短い彼女の髪をかきわけて小さな耳にはずしたイヤフォンをそっとあてた。

「あれ?この曲もってたんだ」
「うん。実家から持ってきたCDを昨日iPodにいれといたんだ」
「ふーん。買った時は誰と一緒に聴いてたの?元カノかなー?」
「僕が好きで、一人で聴いてたよ!」
「ほんとうかなぁ…。でも、この曲わたしも好きだよ。ふたつ星記念日だっけ?」
「うん。電車の中だから静かに聴かないとね」

小声でそう言いあいながら、イヤフォンを分けあって二人でしばらく同じ曲を聴いた。
電車の中でつないだ手が離れないように、彼女の手を強く握ると、彼女も握りかえしてくれた。そんな仕草が可愛かった。

その日の昼休み、偶然会社のエレベーターで彼女と一緒になった。
同棲前はこんなに社内ですれ違うことはなかったように思うのだけれども、もしかしたら本当は知り合う前も同じエレベーターに乗っていたりしたのかもしれない。

「お疲れさまです!今日は早く帰れそうですか?」
「うーん。ちょー…っと忙しいっす」
「さっき、ノートパソコン持って走ってるところ見ましたよ」
「えっ!恥ずかしいなー。ちょっとトラブルでバタついていたところだったんです…」
「あらあら。じゃあ、お昼は一緒に食べるのは難しいですか?」
「ランチは一緒に行きますよ!というか、会いたかったです…」
「ちょっと!そういうことは終業後に言ってください!」
「あはは。すみません」
「もー」

会社にいるときは、敬語で話すことをルールにしているけれど、二人だけの時はどうしても普段のクセが出てしまう。今日は一緒に帰れるだろうか。家に帰ればまた一緒にいられるのに、少しでも同じ時間を共有してたいと思う。

家に帰ると、彼女と子どもが一緒にベッドで寝ていた。
子どもはまだ、ママと一緒にいないと寝れないらしく、二人はいつもひとつの毛布にくるまっている。

「ただいま。お風呂は入ったかな?もう少しこのまま寝てる?」
「あっおかえり。ごめん、一緒に寝てしまいました」
「会社じゃないんだから、今は敬語じゃなくていいよ。寝ぼけてるのかな?可愛いなぁ」
「あ!バカにしたな!この生意気な若手社員め」
「ごめんごめん!でも本当のことだから。それに、これくらいは許してよ」
「またからかってー…」

そう言って頭をなでると、疲れていたのか、しばらくすると彼女はまたスヤスヤと眠りはじめた。
そっくりな二人の寝顔を眺めたあと、二人の身体が覆われるように、毛布をかける。

同棲をはじめて半年が経った今日、彼女に伝えようとしていた言葉がある。
リビングに戻り、僕はテーブルの上に結婚式のパンフレットを置いた。

「僕と結婚しませんか。結婚式は初めてデートをした横浜で・・・。」

朝、靴をはく子どもを元気づける彼女、小説を読む彼女、片方のイヤフォンで音楽を聴く彼女、仕事をしている彼女、すぐ怒ったりすねたりする彼女、そして子どもと一緒に毛布にくるまり寝ている彼女。同棲をはじめてから、これまで見ることの出来なかった彼女の表情をたくさん見ることが出来るようになった。ひとつひとつの表情、声、仕草が積み重なって、僕たちの幸せが形作られていく。

この先の人生を、彼女と子どもと一緒の時間で満たせたなら。
そう思ったら、彼女のドレス姿が見たいと思った。


鞄の中から、小さな音で音楽がきこえた。iPodが再生中のまま、イヤフォンからふたつ星記念日が流れている。

僕はそのままソファに座り、明日の電車で一緒に聴くための曲を考える。
このまま、ずっと変わらない毎日が続くようにと、そんな想いを綴った歌を探そうと思った。

投稿者名

shin5

都内で働く会社員。Twitterに投稿した日常ツイートが話題となり、22万を超えるフォロワーから注目され、2015年に漫画化した。「結婚しても恋してる」「いま隣にいる君へ。ずっと一緒にいてくれませんか。」は異例の15万部を突破し、仕事を続けながらWebメディアへの連載、執筆活動もスタート
Twitter:https://twitter.com/shin5mt