愛されガチャコと愛されたいあくびのくらし Day10:愛し愛されて生きるのさ
ブサイクなのになぜか愛される猫のガチャコと、頑張って生きているのになぜか幸せになりきれない飼い主のポンデ・あくびさん。ガチャコの勝手気ままな生き様から、女の子の幸せについて考える大好評連載、第十と一弾!
今回遂にシリーズ最終回!最終稿はあくびさんにガチャコとの生活の中で感じた「愛」にまつわるお話をいただきました!
愛。それはとめどなく湧く泉のように。
「きゃわわだねぇ!!どうしてそんなにきゃわわなの!?」
40を過ぎたオバサン(わたし)が赤ちゃん言葉を使って家中を徘徊するのはどうかと思いながらもそこはキャント・ストップ・フォーリン・ラブ!ガチャコへの愛は清水のごとくとめどなく溢れ出ております。LOVEガチャコ。
今日も彼女の姿を見かけては、「ちゅきちゅき!」と赤ちゃん言葉で愛の告白を繰り返しています。
私のような彼氏がいたら、どれほど幸せに、そして怠惰な一生を送ることが出来るだろうかと思うと、この愛の片鱗をなぜ少しでも自分自身への愛に振り分けることが出来なかったのかと不思議です。
愛情の9割以上を完全にガチャコに振り分けている母親を息子たちがどう見てくれているのか、ふと心配になることもありますが、恋愛はするものではなくて落ちるもの。こればかりは仕方ありません。どうか、彼らが母親のような歪んだ愛情をもった女性につかまらないことを祈るばかりです。どうか幸せになってね。
愛は時として不細工なものです。
「歪んだ愛情」という言葉を使いましたが、好きという気持ちはときに、他人からは奇妙な執着に見えてしまうこともあります。皆さんはこんな経験ありませんか?
・好きな人の名前をGoogleで検索してみる。
・好きな人の最終ログイン時間をチェックする。
・好きな人にSNSでリプライを飛ばしている相手を詮索する。
・SNSにポエムを投稿する。
・いい感じのLINEのやり取りを何回も見返してニヤニヤする。
・よくわからないけど枕を抱きしめてもだえる。
・二人きりのときだけ使う恥ずかしいあだ名がある。
・猫なで声や赤ちゃん言葉で話す。
普段、電車内でいちゃつくカップルを冷ややかにdisっているそこのアナタでも、好きな人のことを考えたり、好きな人と一緒にいるとき、少なからず上述の症状があらわれているはずです!
本当に、ガチャコがインターネットアカウントをもっていなくてよかったです。もしそんな世界が訪れたら、彼女の自撮りにお気に入りを付けているアカウントをかたっぱしから要注意人物としてリストアップして、周辺調査に踏み出すところでした。
好きならば好きだと言おう!
一見異常とも思えるこれらの行動はしかし、すべて「愛」、「愛」ゆえに発動してしまうものなのです。
たしかに、少し重たいな、と思われるかもしれません。
でも、世界中の人が敵に回ってしまったとしても、この人だけは味方でいてくれると思えるような「愛」を与え続けてくれる存在がいることは、とても素敵なことだと思いませんか?
そのときは鬱陶しく思えても、いずれそれは見えないところで「世界のどこかには自分を大切にしてくれる人がいる」というぼんやりとした安心感となって、彼・彼女の一生を温かく包み込むものになるのだと信じています。
なにやらストーカーの弁解じみてきた自覚はありますが、皆さんも今回はガチャコではなくわたくし、ポンデ☆あくびの意見に耳を傾けていただきまして、羞恥心もプライドも捨て去って、好きな人、大切に思っている人に対して気持ち悪い自分を炸裂させて「愛」を伝えましょう!!
大切な存在に自分の気持ちを伝えられることは、なによりの幸せかもしれません。人間ほど上手く言葉を理解できないガチャコにだって愛は伝わるのですから。
それでは今日も「きゃわわだねぇ!!どうしてそんなにきゃわわなの!?」と、ガチャコに囁く時間がやってまいりましたので、このあたりで失礼をいたします。
また逢う日まで、ご機嫌よう!