【第十六話】持ちつ持たれつの夏休み
いつもより空いている電車に乗って会社にむかう。
夏休み真っ盛りのシーズン、朝の電車はいつもより人がすくない。隣席では大きな荷物を抱えた家族連れが、旅先での計画を話し合って笑っている。
いつもこんな雰囲気だったらいいのにな なんて考えながら、車内を眺める。
強い冷房のおかげで身体の汗はすっかり引いてしまい、電車に長く乗っていると、肌寒さすら感じる。
カバンからカーディガンを取り出した女性を見て、このあいだ子どもたちと読んだ「北風と太陽」を思い出した。
電車を降りると、またいっそう蒸し暑い。
エスカレーターの列に並びながら、妻へメッセージを送るのが、出勤前の習慣だ。
「夏休みだからかな、今日の電車は空いていたよ」
「それはよかったね。昨日よりも暑そうだから、水分はしっかり取るように!」
「いまから夜のビールが楽しみでしょうがない…」
「冷やしておいてあげる。私はアイスクリームが食べたいな」
「じゃあ帰りに買っておくよ。がんばってきます!」
「いってらっしゃい!」
カフェスタンドに立ち寄りアイスコーヒーをひとつ買って、炎天下を足早に駆けた。
会社に着くと、デスクに神戸風月堂のゴーフルと日向夏のゼリーが置いてあった。
この時期は、同僚からのお土産もバリエーションが豊富で楽しい。
「おいしそう!だれからのお土産かな」
思わずつぶやくと、後輩が教えてくれた。
「それ、先輩からですよ」
「先輩の地元、兵庫だっけ」
「彼女と旅行だったんですって~。うらやましいですね!」
「彼女?初めて聞いた……」
アイスコーヒーとお土産をデスクの端に寄せて、引き出しからノートパソコンを取り出す。
いつもよりメールの数も打合せも、すくなめだ。
余白の多い予定表を眺めながらお土産へ手を伸ばしたとき、先輩に声をかけられた。
「ゴーフル、オススメだよ。コーヒーとも相性バッチリだろ」
「あっ、お土産いただきます。ところで先輩、彼女できたなんて聞いてませんよ?」
「誰から聞いたの!?内緒にしといてよ」
「約束しましょう。今度くわしく聞かせてくださいね」
「そんなことより今度の休日出勤、よろしくな」
「えっ、なんの話ですか」
不敵な笑みを浮かべた先輩が無言で去っていく。
未読のメールをあわてて確認し、意味をようやく理解した。
次の週末の夜に予定されたシステムメンテナンスの担当者が、夏休みの旅行中にケガをしたらしく、そのピンチヒッターとして僕が指名されていたのだった。
うーん。思わず表情が曇る。
この日は、毎年家族で参加していた地元の夏祭りが予定に入っている。たくさんの屋台や盆踊り大会、野外での映画上映もあり、子どもたちがずっと楽しみにしているイベントなのだ。
「先輩。この日はどうにも都合が悪いんです」
「代わってやれたらいいんだけど、オレも担当だからね」
「夜間作業は原則二人以上…。誰にも任せられないか。」
「すまないが、よろしく頼むよ」
システムメンテナンスという作業自体の要領はつかんでいる。しかし夜間となると、いざという時に助けてくれるエンジニアも少ない。時間内に終わらずに、サービスへ影響が出てしまいでもしたら大問題になってしまう。
いまからでも作業の段取りを確認して、準備しなくては間に合わない。急いで印刷した手順書を流し見しながら、検証環境を準備する。
ただよっていた夏休み気分は消え、一気に仕事モードへ突入した。
昼休み、オフィスの外へ出て妻へ連絡をいれる。
「来週末の夜、作業に出ることになってしまった」
「あらら。たいへんね」
「夏祭り、一緒に行きたかったのに。本当にごめん」
「どうして謝るの。私と子どもたちなら大丈夫だよ。地元だし、ママ友もいっぱいいるからね」
妻の声は意外に明るかった。逆に僕のほうが、すこしさみしくなってしまう。
「もっと残念がるかと思ったんだけどな」
「ちょっとは残念だよ。でも、いざというときに必要とされているってことじゃない」
「そうだね。誰かがやらなくちゃいけない作業だからね」
「頑張って。私は浴衣着て、お祭り楽しむから」
「そんなー」
妻との電話を切り、汗を拭いながらため息がこぼれた。
約束を守れなかった罪悪感と、夏祭りへ行けないさみしさを噛みしめながらも、妻の言葉を思い出していた。
結婚前にデートへ出かけたときのこと。
にぎわっている休日のカフェでいそがしく立ち回る店員さんを見て、彼女はこう言った。
「みんなが遊びに出かけている休日にも、仕事をしている人がいる。
夏休みもクリスマスも年末年始も、毎日だれかが働いて、支えてくれる人がいるから
休める人がいるのよね。ちゃんと感謝しないと。」
意外な言葉に驚かされながらも、「そうだね、ありがたいことだよね」と、僕も頷いた。
こんなふうに物事を考えられる彼女を知って、僕はますます好きになった。
オフィスに戻ると、効きすぎるクーラーの風がぶわっと背中にあたった。
「暑くなったり涼しくなったり。ゆとりができたかと思えば忙しくなったり」
いつだって、バランスをとるのは難しい。
来週末は、僕がしっかり働いてだれかを支えよう。
その代わりに、どこかで休みをとってみんなで夏祭りへ行こう。
家族の笑顔が僕の支えだ。