かぞくとわたし 第十四話「かぞくとわたし」
「家族」をテーマに連載してきたこのコラム。卑屈な僕にそんなものが書けるのかと不安だった。そもそも「6回だけお願いします」と美人編集者に懇願され、鼻の下を伸ばしながら始めた仕事だったのだ。飼い猫について書いたところ、猫好きのクライアントさまにいたく喜んでいただいたという経緯もあり連載は伸び続け(僕の人生には時折このような猫風が吹く)、気づけば14回も更新することとなった。
テーマである「家族」について、常日頃から僕はネタを探して生活していた。奥さんがなにか家事で失敗するたびに「これはコラムにしないでね」と真顔で注意されながらも「書いたもん勝ちだ」とキーボードを叩いた。
意外にも、この連載は仕事関係の方々や親しい友人が多く見てくれており、久しぶりに会った同級生にも「お前のほっこり家族コラム読んでるよ」「そういうブランディングに転向できてよかったね」などと応援され、苦笑いを返してきた半年間である。
どの家庭にも、どの家族にも、微笑ましいエピソードは日々生まれる。それはとてもささやかで慎ましく、そしてごく個人的だ。他人が聞いたところで、当人たち以上にエピソードを楽しめるはずもない。いわば、家族ネタはどうしても“内輪ネタ”となる。だからこそ、その内輪ネタをどうすれば皆んなにも楽しんでもらえるかが、僕ら一端の物書きが奮闘するところなんだろう。この仕事を受けたのもそういう意地があった(あと担当編集者が美人だった)。
WEB界隈の一部のライターやクリエイターは、とあるジレンマに悩むことがある。それは、書き手が幸せになればなるほどコンテンツとしては面白くないと言われがちなことだ。実際、語られる内容が不幸であればあるほど読者の興味を惹くし、書き手に欠陥やコンプレックスがあればあるほど応援してもらえる。
ボロアパートから引っ越しました。素敵な恋人ができました。年収1000万円超えました。なんて書こうものなら、ファンはおろかアンチまでが関心を失って離れていく。そのジレンマに悩み、幸せをあえて選ばないストイックな作家の友人もいる。
しかしその一方で、自身の幸せを作品にする作家や漫画家もたくさんいる。その誰もが、ささやかで個人的な幸せを正直に世に出している。僕はそんな人たちの作品を見て、自分も卑屈にならずに素直に書いてみようと思ったのだった。そして結果として、「わたしはいま幸せです」と人に伝えることは、人を苛立たせるだけでは決してなく、誰かの「幸せの再確認」のきっかけになるのだと感じた。
これから先、苦難が待ち受けているかもしれない。家族が離れることになるかもしれない。しかしこの「いま」はちゃんと幸せであることを稚拙ながら書き残せてよかったと思う。幸せであることを表明できるようになってから、僕は他者の幸せも心の底から素直に願える立派なオトナに成長しつつある(他者のFacebook投稿へのいいね!数が増えました)。
洗濯物を畳む奥さんが僕に、話があると言ってきた。「しまった、内緒でアウターを買ったのがバレたか……」と観念した僕は「ん?どうしたの?」と上ずった声で訊ねた。すると奥さんはニヤニヤしながら言う。
「二人目、できてたよ!」
わたしのかぞくがまた増える。わたしはいま、幸せです。
おしまい