私の黒歴史「中学の修学旅行の班決めって地獄でしかないよね」【後編】
ケシミニャンです!
前回からの続きです!よろしくお願いします!
ひとりで
結局、ひとりぼっちでお土産街を回ることになってしまったケシミニャン…。
普段、クラスでひとりぼっちだから、ひとりには慣れていたつもりだったけれど…
改めて仲間外れにされると、やっぱり辛いな…。
それに、「ひとりでも大丈夫」だなんて、強がっていたけれど…
本当は、みんなと一緒にいたかったんだなぁ…。
…。
そうだよね。
ケシミニャンなんか、お情けでA子ちゃんの班に入れてもらったんだもん…。
そのくせ、お土産街を一緒に回ろうなんて…おこがましいよね…。
行くあてはなかったが、とりあえず歩き出す。
歩きながらぼんやりと、班決めのときに優しく声をかけてくれたA子ちゃんのことを思い出す。
A子ちゃん、あのときどうして声をかけてくれたの…?
班に入れてくれたの…?
そういえば。
思い返せば、A子ちゃんとは小学校からのつきあいだが…。
あれは小学4年の、持久走大会のとき。
ケシミニャンから「A子ちゃん一緒に走ろうね?」と約束したくせに…
なんか、走ってる途中でケシミニャンの気が変わって、A子ちゃんを置いて先に行ってしまったことがあったな…。
ん?それの仕返しか?
かなりどうでもいい記憶がよみがえり、謎の自己嫌悪に陥るケシミニャン。
お土産街をひとりで歩いていると、同じ中学校の子たちと遭遇しそうになった。
思わず、忍者のごとくササッと路地に身を隠すケシミニャン。
ケシミニャン、運動音痴で普段むちゃくちゃどんくさいクセに…
こういうときの動きは、疾風のごとくである。
ケシミ「(同じ中学校の子だけには見られたくない!!!!!!!!)」
そんな風に考えたら、意識過剰になり、街を歩く同級生はおろか、道行くすべての人が自分のことをジロジロ見ているような気がした。
怖くて怖くて、心細い。
お土産街を歩いていると、楽しそうな人たちであふれている。
なのに、どうしてケシミニャンはひとりぼっちなのかな…。
たくさんの人たちの視線が怖くて、近くのファストフード店に入った。
そして、ジュースを飲んで、ひとり時間をつぶしていた。
いろんな気持ち
このままずっと、お店にいたかった。
でも、ケシミニャンには、やらなくてはいけないことがあった。
それは、家族へお土産を買うこと。
ケシミニャン、こういうとこは結構律儀である。
修学旅行に行く前、両親や祖父母たちからお小遣いをもらっていた。
両親や祖父母は、まさかケシミニャンが学校で仲間外れにされていて、友達がいないだなんて思っていない。
「お友達といっぱい楽しんできなさい」と言って、送り出してくれた。
この家族の優しさ、これが当時のケシミニャンには、とても辛くて苦しかった。
自分は、学校で仲間外れにされたり、嫌われたりしているのに…
なのに、家族には大切にされている―
この学校と家での「自分」が、一本でつながらないというか、整合性がつかないように感じられた。
自分が「良い子」なのか「悪い子」なのか、よく分からなくて苦しかった。
学校では嫌われているのに、どうして家族はケシミニャンのことを大切にしてくれるんだろう。
家族の、その愛情が辛かった。
学校で嫌われている自分は、家族に大切にされるような資格がないように思い…
自分が情けないというか、こんな自分で、家族に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
涙
ケシミ「家族へのお土産…どうしよう…」
家族にお土産を買っていきたいけれど、お土産街をひとりで歩く勇気もない…。
お店の椅子に座りながらぼんやり、氷が溶けてすっかり薄まったジュースを飲むケシミニャン…。
そんなことをしているうちに、班のみんなとの待ち合わせの時間になってしまった。
お店を出て、少しビクビクしながら待ち合わせ場所に行くケシミニャン…。
待ち合わせ場所には、すでにみんな集まっていた。
ケシミ「お、遅くなっちゃってごめんね」
みんな「…」
き、気まずい…。
その後は、貸し切ったタクシーに乗り、班のみんなとお昼ご飯を食べに向かった。
タクシーの中で、他のみんなは楽しそうに話している…。
みんなは、お揃いで携帯のストラップを買ったみたいだった。
お昼は、お蕎麦屋さんで九条ネギの入ったお蕎麦を食べた。
とても美味しかった。
そして、とりあえず、そのお蕎麦屋さんで七味唐辛子とか、お漬物を買った。
大人になった今思うと、お土産としてはなかなか良いチョイスだな…。
それから、いろいろなお寺や観光地をタクシーで回った。
折角、京都に来ているのに、どこへ行っても、何を見ても…
むなしいというか、景色だけが流れるようだった。
笑いながら楽しそうに盛り上がる、班のみんな。
みんなの後ろ姿を追いかけるのに必死なケシミニャン。
何故か、みんなの背中や景色が滲んで見えてきた。
どうして、涙が出ちゃうんだろう。
涙が誰にもバレないように、あくびをしているふりをして、ずっと歩いていた。
ウソのお土産話
結局、何も楽しめないまま、修学旅行は終わってしまった。
京都からド田舎県に戻り、帰宅。
2日ぶりの自分の部屋に入り、ほっとした。
自分の居場所というか、自分が本当に安心できる場所はここしかないような気がする。
お気に入りの音楽を聴いて、ベッドでぼんやり横になって、旅行中のことを思い出していた。
人の視線が、とっても怖かったこと。
ひとりだと、何を見ても、何をしても、ちっとも面白くなかったこと。
班のみんなやいろんな人たちから、自分はどう思われていたのかな…。
そしてこの頃、ケシミニャンは図書室にあった名作少女漫画『ベルサ○ユのばら』にハマって読んでいた。
マリー・アントワネットの台詞に、うろ覚えだがこんなものがあった。
“人って、不幸になって初めて、自分が何者かわかるものですね…”
どっぷり自己憐憫に陥っていたケシミニャンは、そのセリフを何度も何度も思い返して、悲劇のヒロインになったつもりでいた。
昔はそれなりに友達もいたけれど、今の自分はひとりぼっち。
「友達がいた良い子の自分」というのは偽物で、今の「嫌われ者の悪い子の自分」が本当の正体なんだ。
だから、どんなに寂しくても辛くても、ケシミニャンを気にかけてくれる人はいないんだ…。
夕飯の時間になった。
ケシミの母「ケシミ、修学旅行どうだった?楽しかった?」
まさか、ずっとひとりぼっちだったとは、口が裂けても言えない。
ケシミ「あ…う、うん、すっごい楽しかったよー!A子ちゃんたちとね…」
家族に心配をかけまいと、適当に作り話を話すケシミニャン。
家族はその話を、うんうん、と聴いてくれている。
ケシミニャンの作り話、おかしなところはないかな…。
嘘っぽくなかったかな…。
ちゃんと、両親を喜ばせられるような、楽しい話になっているかな…。
家族に嘘をついているということが、とても苦しかった。
結局、ケシミニャンが修学旅行に行った意味はあったのか。
それは、今でもよく分からない。
逃げてもよかったのかもしれない…。
今にして思えば、当時のケシミニャンは「自分ばかりがかわいそう」、「自分は被害者」という視野しか持てなかったことが、余計に自分を追い詰めていたと思う。
ちなみに、修学旅行の余ったお小遣いで、手塚治虫の『ブ○ック・ジャック』を全巻大人買いしました。
それが、ケシミニャンの修学旅行の一番の思い出…かな(?)。
読者のみなさんの修学旅行の思い出も聞きたいな、と思うケシミニャンでした。