育児 × 介護 = “戦略的”二世帯同居!への道 Step32:「建設的に揉める!二世帯同居のケンカのお作法その②」

2019/05/23 UPDATE

性格も生い立ちも年代も違う家族が一つ屋根の下で暮らすうえで、決して避けては通れない、家族間のさまざまな揉め事。
前回のその①では、二世帯同居嫁の立場である私、甘木サカヱが、なるべく旦那に二世帯同居生活の愚痴を言わないよう、家庭内でもめ事を起こさないようにと小さな不満を貯め込み続け、結果として心身のバランスを崩してしまった日々のお話でした。
後編となる今回は、同居に付き物のトラブルを、家族のだれかが黙って我慢するのではなく、悩みや不満を小出しにして、「上手に揉める」にはどうしたらいいか?を私なりに試行錯誤した経緯について綴りたいと思います。

・「辛い」は、態度ではなく言葉で伝える

家庭に対する不満を抱え込むのではなく、上手に小出しにしていかなければいけない、と気づいた私の次の課題は、どうやって必要以上に事態をこじらせることなく不満を伝えることができるのか?でした。

例えば、私はずっと、息子や娘が週末に持ち帰ってきた体操服や上履きを、本人たちが洗濯かごに入れたり自分で洗ったりする前に、義母がさっさと洗ってしまうのが嫌でたまりませんでした。
そんなことをされては本人たちの自主性が育たないのでは…と私はずっと不満を抱いていたからです。ことあるごとに義母に「子供たちに自分でやらせますから大丈夫です」と伝え続けていたのですが、その言葉の裏の(だから頼むから余計な手出ししないで)という含みを義母がまったく察してくれていないことに気づいたのは随分と時が経ってからのことでした。私は私で(こんなに余計な手出ししてくれるなとお願いしているのに、どうして義母はやめてくれないのだ)と怒りを募らせ、義母は義母で、私が義母に遠慮しているだけだ、別に上履きを洗ってあげるくらい平気だから気にしなくていいのに、くらいの気持ちでいたのです。
私と義母、どちらかが一方的に悪いわけではないと思うのですが、この件に関しては少なくとも、私の伝え方に問題があったのは確かです。
裏の意味を当然察してくれるはず、という思い込みから、はっきりと自分の気持ちを伝えることを避け、結果として二人の気持ちはすれ違い続け、私ばかりが一方的にイライラし続けるという状態に陥っていたのです。
数年経って私は、やっと義母に対して率直な気持ちを言葉にして伝える必要性に気づきました。
洗ってもらえるのは、忘れっぽい私としてはとてもありがたいことです。けれども、子供たちにとっては、上履きも体操服も、自分たちが出さなくても自動的にきれいになると思ってしまい、彼らのためにならない。週末に洗うのを忘れたら子供たち本人が困る、それもまた子供たちへの教育だと。手を出すのは簡単かもしれないが、子供たちの将来のためだと思って見守ってほしい、という旨のことを、なるべく感情的にならないように伝えました。
それ以降、義母が勝手に子供たちの持ち物の管理に手を出すことは激減しました(皆無になったと言えないのは、世話焼きの義母の性格上、どうしても手出しを我慢できないことがしばしばあるからです)。

この時も今も、同じように気を付けているのは、冷静に、かつなるべく朗らかに不満を伝えることです。
イライラを限界まで我慢して、ついに感情が爆発したタイミングで不満を相手に伝えるとどうなるでしょうか。こちらがものすごく我慢していたということだけは伝わるかもしれませんが、激しい感情の暴走は、とかく余計なトラブルや大喧嘩を招きがちです。「そんな言い方しなくてもいいのに」とか、「そんなに我慢していたなら早く言ってくれればよかったのに」などと言われれば、燃え盛る怒りの炎にどばどばと油を注がれるようなもの。自分でも感情のコントロールがきかない状況だと、言わなくていいことまで口にだしてしまい、次から次へと埋もれていたトラブルを誘爆しかねません。
そうなる前、耐えきれなくなる前の段階で、なるべくきちんと言葉に出して相手に気持ちを伝え、相手からも伝えてもらうことが大切です。
気持ちに余裕があれば、「ありがたいです」「お気持ちはよくわかります」といった、言葉の棘を和らげるクッション言葉も交えつつ相手に伝えることができます。相手が受け止めやすい形で不満を投げる、というのは一つのテクニックだと思います。
また、不満を受け取る相手にとっても、例えば家族がやたらとイライラしている、明らかにこちらに対して怒っているようだが理由がわからない、という状況は非常にストレスフルです。不平不満を態度で表して相手に察するようプレッシャーをかける、というのはついついやりがちですが、こういう方法を繰り返していては、相手はあなたの気持ちを察することにほとほと疲れ、コミュニケーションを諦めてしまったり、また、度が過ぎれば精神的DVにもなりかねません。
このくらい察してくれて当たり前!いちいち言わないとわからないなんて、なんて思いやりがないのだ!と思ってしまう気持ちもわかります。私もついつい同じような心境になることはよくあります。でも、きちんと言葉で気持ちを伝える、というのはコミュニケーションの最初の出発点です。家族といえど、まったく別の人間同士。言わなきゃわからないことの方がずっと多いのが当たり前です。以心伝心というのは素敵なことですが、過度な期待は、その期待が裏切られたときのストレスも大きいもの。「言わなくても察してほしい気持ち」から距離を置くだけで、むしろ精神的にもラクになれるのではないでしょうか。

それでも耐えきれない感情は、家庭内に噴き出す前に、友人やSNSなどにそっと吐き出してしまう、というのはどうでしょう。私自身はいつもそうしていますし、同じような境遇の方のアカウントから同居生活の愚痴が流れてくると、あるあるあるある…と赤べこのように頷いてしまいます。
要求はきちんと表明しつつ、余計な感情は上手に家庭の外に持ち出す、というのもひとつの手ではないかと思います。

・コミュニケーションのツボは人それぞれ

なかなか口に出しにくい不平不満、どうせ言わなきゃいけないのなら、自分の主張が通りやすいよう工夫して相手に伝えたいですよね。
どんな言葉が伝わりやすいか、どんな話の持ちかけ方なら受け入れやすいか…個人差がとても大きいものです。コミュニケーションのツボ、とでも言いましょうか。
家族に頼られることがとても嬉しい人もいれば、なるべく面倒ごとからは目を背けて逃げたい人もいます。家族の中で一番に相談してほしいと思う人もいれば、ほかの家族間である程度問題をまとめてから自分へ持ち込んでほしい、と思う人もいるでしょう。自分の家族がそれぞれどんなタイプなのか、見極めることが大切です。こういうタイプの話題は、まずはこの人に相談して、意見をまとめてからこの人に持ち込めばスムーズだな…というように、家族ごと、問題のタイプごとに鉄板のセオリーが出来上がればしめたものです。
そのうえで、どんな人にも共通する必殺のツボ、言うなれば秘孔がある、と私は思います。
それは、自分の存在が家族から尊重されている、と感じさせることです。
どんな不満や要求を伝えるにも、事前に「あなたの気持ちを理解したい、尊重したい、あなたが家族でよかった、嬉しい、助言が欲しいetc.」という態度を示されるのとそうでないのとでは、受け入れる気持ちにも大きな差ができてくるものです。
決して、大げさにお世辞を言っておだてろ、という事ではありません。たとえあなたにとって大きなお世話でも、良かれと思っての行為ならば、その気持ちを一旦きちんと受け取るとか。性格的に合わないと思っても、良い部分を探して口に出すとか、ちょっとした事の積み重ねでいいのです。
家族は好き勝手に振舞っているのに、どうして自分ばかりそんなに気を遣わなくてはいけないのか、と思う方もいるかもしれません。でも、意識して続けていけば、家庭内の雰囲気は間違いなく改善していくはずです。結果として対人関係のストレスが減るのであれば、やってみて損はないのではないでしょうか。

…などと偉そうに講釈をたれても、同居を始めて10年以上、私自身も、家族とのコミュニケーションはまだまだうまくいかない事の連続です。
生い立ちも性格も年齢も違う人間が一つ屋根の下に集まって暮らしているのだから、分かりあえない事があるのは当たり前。
それでも、問題から目を逸らし不満を貯め込み続けるよりは、家族みんなの小さな不満を上手に吐き出し、解消し、譲ったり譲られたりして暮らしていく方が、よっぽど心地よい暮らしになるはずです。
これからも、なるべく上手に小さなもめ事やケンカを繰り返しつつ、お互いを尊重しあえる家族に成長していけるといいな、と思っています。

つかさちずる

イラスト・つかさちずる

娘との日々をブログ「むすメモ!」に綴ったりLINEスタンプを作ったりしている絵描き。
回転寿司とゲームをこよなく愛するアラサー。
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