育児 × 介護 = “戦略的”二世帯同居!への道 Step30:「一家に主婦(主夫)はふたりいらない」は本当か?
二世帯同居家庭をめぐる問題として、しばしば語られるのが「一家に主婦(主夫)はふたりもいらない」という格言?です。
たしかに、完全同居(二世帯住宅ではない普通の一軒家住まい)状態の我が家でも、ひとつ屋根の下にふたりの主婦がいることに起因する問題がたまに……いや、しばしば、頻繁に、起こってきました。
やっぱり主婦がふたりいるのはストレスのもと。同居生活がうまくいかない元凶なのでしょうか?
いえいえ、ちょっと待ってください。主婦がふたりいるということは、病に倒れてしまったときや仕事で忙しいとき、留守をするときなど、さまざまな場面でワンオペ家事・育児の心配が解消される、実に心強い状況でもあるのです。これは二世帯同居の最大のメリットと言えるでしょう。
二世帯完全同居生活が10年を過ぎた我が家では、義母も、そして息子の嫁という立場の私も「いろいろ面倒はあるけど、やっぱり同居してよかったね」と言い合っています。
私たちふたりの主婦が10年かけて見つけだした同居生活のポイント。それは
・ 譲れないポイントを見極める
・ 自分と相手は違う人間だと覚悟する
このふたつに尽きます。
主婦(夫)には、いくつかのタイプがあると思います。
① 完全に自分のやり方で家事をしなければ気が済まないタイプ
洗濯物の干し方、冷蔵庫内の配置、家の掃除の仕方……それぞれの家事に定着した自分のスタイルを守りたい人です。
② どうしても譲れない部分があり、それ以外は比較的寛容なタイプ
大抵の家事はなあなあでも許せるけれど、キッチンの整理整頓だけは自己流を譲れないなんて人、いませんか?程度に個人差はあれど、かなり多くの人がこのタイプなのではないかと思います。ここだけは絶対に外せない!というこだわりポイント、誰にだってありますよね。
③ 家事のやり方にほとんどこだわりのないフリーダムタイプ
このタイプには、他人に合わせることを厭わない協調性の塊タイプ、そしてそもそも家事全般が苦手で自分の中に確固とした方法が確立されていないタイプなどがあります。
もちろん、どのタイプが正しいということはありません。ホテルのように整理整頓されている部屋でも、洗濯物や子どものおもちゃが散乱している部屋でも、家事を負担する人が選んだスタイルに他人がとやかく言う資格などないのです。
しかし、家の中に主婦がふたりいるとなれば話は別。たとえば①の、家全体を自分で管理したいこだわりタイプの主婦が、ひとつ屋根の下にふたりいたとしたら……毎日の家事ひとつひとつがトラブルの元になるのは自明です。
もし、二世帯同居でこのタイプの主婦が揃ってしまったならば、穏やかに過ごすために私からオススメできる方法はズバリ、そもそも一緒に住む必要は本当にあるのか?と考えを改めることです。……とは言ってもいろいろ事情はあるでしょうから、もしどうしても同居せざるを得ないならば、住居は完全分離の二世帯住宅、可能ならば建物も分けてしまうのがいいのではないでしょうか。
同居前にはお互いに「家事に関する徹底不干渉」を取り決めておきましょう。そしてトラブルが起こりそうになったときには取り決めを再確認し、“決して嫌いだから干渉しないわけではない”という認識を共有することが肝要です。お互いの家の様子にいろいろと気になることも当然あるでしょうが、そこは家族の心の平穏のため。二世帯同居のメリットはさほど享受できないかもしれませんが、その分デメリットも少ないはずです。こだわりタイプの人は、よほど素直に自分に合わせてくれる③タイプの人とでない限り、完全同居は避けたほうが賢明と思います。
あまり二世帯同居向きではないな……と私が思う組み合わせはこのくらい。程度にもよりますが、あとはお互いが干渉しすぎず、必要な部分では歩み寄り、関係を良好に保とうとする意欲さえあれば、一緒に暮らせないということはないと思います。
同居で何がいちばん大切かというと、家事が得意か不得意か、きれい好きかそうでないかといったことより何よりも「他人は他人、自分は自分」と、きちんと切り分けて考えられるかにかかっていると思います。
同居を始めるにあたり、まずすべきこと。それは自分をしっかり知ることです。絶対に譲れないポイントはどこか。交渉が必要なことを、けんか腰でなく冷静に話し合えるか。相手の言動を過剰に深読みして傷つく傾向はないか。自分の厚意を拒絶された場合、怒りをあらわにするようなことはないか……。これらはすべて、「自分と同居相手はまったく別の人間だ」と意識して生活するために大切なポイントです。
自分がどうしても譲れないことは、きちんと相手に話して受け入れてもらう。その代わり、相手が譲れないポイントについては、たとえ納得がいかなくても正論で突っ返したりせず思いきって譲歩する。
我が家の例を挙げましょう。義母にはなぜか、使いかけの野菜の皮をすべて剝いてしまう習慣があります。たとえば、人参が半分だけ必要ならばまず皮のついたまま半分に切り、使うほうだけ皮を剝いて、あとはラップをかけて冷蔵庫にしまっておくものだと私は考えます。しかし義母は「どうせ使うなら一度に剝いてしまった方がいいわよ」という理屈のもと、大根でも人参でもすべて皮を剝いて、ビニール袋にまとめて入れて野菜室に放り込みます。当然、皮が守るはずの水分はあっという間に蒸発し、残り半分の野菜たちはしなびた状態で料理に使われることになります。
私はこれが不思議でたまらず、義母に何度も「皮を剝いてしまわない方がいいのでは……」とおずおずと進言しました。しかし義母は聞く耳を持ちません。「こうした方が、料理のときにパッと使えて便利なのよ!」と言うのです。
正論でいえば、間違いなく私に分があるはず、と思います。
しかし、義母には義母なりの長年積み重ねたやり方があります。家事については特に、本来他人と一緒にやるものではないので、年を重ねるごとにマイルールが確立してしまいがちです。
正論だからといって人のやり方をねじ伏せようとすると、相手の重ねてきた主婦としての経験すべてを踏みにじることになりかねません。まして年配の義母が相手ならば、長年の経験と家庭の状況に合わせて試行錯誤で編み出された、今さら変えにくい流儀がたくさんあるはずだ、と意識しておくといいのでしょう。
そして自分もまた、正論だけでは成り立たない自分なりの流儀を必ず持っているはずです。それは同居しているもう一人の主婦を不思議がらせ、あるいは苛立たせている可能性も少なからずあるのではないでしょうか。
我慢しているのは自分だけではない。相手のこだわりをすべて理解することは不可能。相手の流儀をなるべく尊重すること、主婦ふたりがそれぞれきちんと意識さえできれば、同居生活は半分成功したも同然です。年を重ねるごとにお互いのスタイルにも少しずつ慣れ、生活はずっとスムーズなものになっていくことと思います。
ここで書いた内容は、主婦ふたりに限らず、例えば同棲するカップルや、シェアハウスで他人と一緒に住むときなどにも言えることだと思います。
他人と一緒に暮らすのは、面倒も理解不能なこともてんこ盛り。でもその分とても心強くて、今まで気づかなかった世界が見えてくるのではないでしょうか。