A or Bどっちを選ぶ?私の愛する選択肢たち v.06 お金がない!実家に帰る?東京で踏ん張る?
外資企業勤務のユカリと申します。最近またまた転職をしました。
新しい会社の同じ部署には女性も多く居心地はなかなか良いんですが、過去の経歴も全然違って性格も大変個性豊かなメンバーなので上司のことは猛獣使いを見るような目で見ています。
前職よりはだいぶお給料も上がって、機を計っていたとはいえもっと早く転職してしまえばよかったなと思うものの、きっとこれがベストなタイミングだったんだろうと自分の下した決断と選択を愛でています。
さて、ここ数年は頻繁に転職をしてはいますが収入は安定しており、生活が苦しい!と思うことはなくなりました。でも社会人3年目から5年目、私はとにかく貧乏でつらい日々を過ごしました。今回はその時期のことを書きます。
今振り返るとあまりに無計画だったと呆れるものの、あの頃私は確かに人生のどん底にいました。
地元に帰って来なさい
あれは真夏の渋谷は道玄坂を1人で歩いていた日だった。歩きながら新潟にいる母と何気ない用事で電話をしていたらだんだんと話が違う方向にいき、受話器の向こうからは呆れと怒りと心配が混じったような声が聞こえた。
「そんなんだったらあんたこっち帰って来なさい」
「あぁそれはない。じゃあね」
この話になると私は絶対にすぐ切り上げることにしていた。どんなに生活が苦しくても地元に帰るという選択肢が頭に浮かぶことはなかった。とはいえ、結婚しようと思って新卒で入った会社を辞めたのに結婚もしなかったし、結果的にはただ給料が下がっただけになってしまった。辞めてみて初めてわかったことの一つはとんでもないブラック企業だと思っていた会社は、給料は高かったということだ。
転職サイトで適当に選んだ次の会社は出ると言われていたボーナスも支払われず、福利厚生もほぼないような状況だった。6万円の家賃、電気ガス水道代、携帯電話料金、食費、奨学金・・・といった必要な金額を足していくと初任給以下の給料はあっという間になくなってしまう。貯金は全くできないし、旅行なんてできないのは当たり前で、カフェに入ることすら躊躇する。金銭的に余裕がないと人間はどんどん思考が狭くなっていく生き物だ。私は何故かこう思ったのだった。
「そうだ、夜も働こう」
どうせ働くなら銀座にしよう
私の人生を通じて「お金がないなら節約しよう」ではなく「お金がないならもっと稼ごう」という思考に偏っている。昼間の仕事でお金が足りないなら、夜も働けばいい。短時間で効率よく稼ぎたかったので夜の世界に飛び込むことは自然な流れだった。
どうせなら客層がいいであろう銀座で働いてみようととある有名なクラブの面接を受けたがバブルが崩壊して久しくリーマンショックの2年後の銀座で25歳の未経験の女、しかも週末の1日しか働けないと言うと全く相手にされなかった。とぼとぼと銀座を歩いていると1人の男性に声をかけられたので一瞬ナンパだと思って振り切ろうとしたが少し気を向けるとその男性がスカウトであることがわかった。信じられないタイミングだが実話である。銀座ならそんなに怪しい店もないだろうとその男性について行くまま面接を受け、こうして私は銀座の女になった。
髪をセットしてドレスを着ればすっかり銀座の女だった。金曜日は仕事を終えた後、そのまま銀座に行く。時には会社での勤務を終えて、お客さんと同伴して出勤することもあった。
そしてやってきたあの日
半年ほどこのような生活を続けていたが、昼の仕事内容が営業事務だったはずなのに少しずつ営業行為をさせられるようになり忙しくなってきたので夜の仕事を辞めざるを得なくなった。給料はほぼ変わらなかったので貧乏なままの生活だった。その頃私は取引先の男性と付き合っていたが何を思ったのか彼は私が働いている会社に転職をしてきて、図らずも社内恋愛をしているような状態になっていた。
その日も特別なやる気もなく会社にいた。いつもどおりパソコンを前に自席に座っていた時、急に自分の視界が大きく揺れ、そしてそれは永遠かと思う程長く続いた。2011年3月11日。東日本大震災が起きたあの日、私はビルの16階にいた。そのビルはとても堅牢であることはわかっていたし、幸い社内に彼氏もいるしその他の社員もいる。地震直後、震源地周辺の悲惨な状況を知る前の率直な気持ちとして、とにかく1人じゃなくて良かったと思っていた。携帯電話もほとんど繋がらない状況で会社のインターネットだけは見ることができて、会社のパソコンからずっとTwitterを眺めていた。当然電車も止まっている。タクシーだって捕まらないだろう。しばらく会社で待機するべきなのは明らかだった。
ふと、付き合っているはずの男が社内からいなくなっていた。え、まさか、帰った?私に何も言わず?黙って帰ったの?事態を飲み込めないでいると他の社員も一人一人と自分の家族を心配して帰っていった。気づいたら私は東京の港区に、たった1人で放り出されていた。
夕方の東京は思ったよりは混沌としておらず、しかし電車が動いていない限り帰ることもできないので何も考えられないまま新橋まで歩いた。外からパチンコ屋を見ると帰宅することを諦めているのか電車が動き出すまで時間を潰しているのか、何もなかったかのようにパチンコ台に向かっている人たちを見て少し気持ちが落ち着いた。通りかかった靴屋でヒールのない靴を買って駅のゴミ箱にハイヒールを捨てた。駅前の古い雑居ビルの階段には帰宅できないサラリーマンたちが座り込んでいて、そんな彼らに「マッサージイカガデスカ」と異国から来た女性たちが声をかけていた。外は寒く、私は確かに1人だった。
その日は夜が更けた頃に連絡がついた知り合いが家に呼んでくれたので彷徨い続けることは避けられた。その次の週は自宅勤務を許されていたが、粗末なアパートは余震が来る度にガタガタと音を立てて揺れ、揺れる度に息が止まり手が震えて、何もかも嫌になり、私はそのまま会社を辞めた。
この連載で初めて暗いまま終わります。この状況から立ち直ったから今があるのですが、立ち直るまでとても時間がかかったので次回に続きます。一時的にでも実家に帰ったら良かったのではと今となっては思いますが、私は東京に固執していました。それが正解だったかはわかりません。