かぞくとわたし 第十一話「ソフトクリームの壁」
ご家族との微笑ましいエピソードとゆるい空気感が笑顔をさそう、サカイエヒタさんのエッセイ。
娘さんにとって初めての動物園、サカイさんにとって楽しみなアイスクリーム。
そこに立ちはだかった、思わぬ壁とは……?
サカイさん、ちょっと子どもっぽい一面もあるんですね。
どんなに仲の良い夫婦であっても、決して崩せぬ壁は存在する。僕ら夫婦の場合、それはソフトクリームだった。
先日、奥さんと娘を連れて小さな動物園に行った。絵に描いたような家族サービスの日曜日である。小さな娘にとっては生まれてはじめての動物園だ。
奥さんには内緒だが、学生時代に僕はこの動物園へ女の子とデートに来たことがある。だから園内のどこになんの動物がいるかはなんとなく知っていたけれど、「あ、あれはもしやキリンかな」なんて白々しくビギナーぶって散策した。
その日は4月だというのに真夏日のような暑さで、園内の家族連れはみな袖をまくったりTシャツ姿になったりと、なんだか一足早い夏に浮かれているように見えた。だから僕もフラミンゴの細い足を眺めながら、「こりゃソフトクリーム日和だな」なんて律儀に浮かれていた。たしか、動物園の入り口にソフトクリームの旗が揺れていた気がする。
涼しげなペンギンエリアで、ベビーカーに乗った娘の顔を覗き込んでみると、なんだかふてくされた顔をしている。我が家には2匹の猫しかおらず、目の前にいる奇怪な姿のペンギンは、娘にとって生まれてはじめて見る動物だ。どう考えてもテンションが上がるはずなのだが、娘の目線に合わせしゃがんでみたら、ふてくされる理由がわかった。ペンギンが見えていない。コンクリートの壁を彼女は眺めている。いろんな種類の我慢をそれなりに経験してきた30代の僕でも、コンクリートの壁を眺め続ければふてくされた顔になる。
園内をぐるりと周り、そろそろ帰ろうかという雰囲気になったところで、「さて、じゃあソフトクリームだね」と僕は奥さんに当たり前のように言った。
指差したソフトクリーム店の前には、僕と同じように暑さにやられた家族連れが長い列を作っている。ソフトクリームを絞り出すアルバイトの人数を考えると、少なくとも15分は待たされるだろう。それでもこの日照りと浮かれた日曜日の動物園という環境にいれば、ソフトクリームを待つ15分なんて苦でもない。
すると奥さんは冷めた顔で僕に言った。
「駐車場の近くにコンビニあったよ」
僕は、猛烈に抗議した。いや、正確には抗議しようと思ったけれど咄嗟にうまい言葉が出ず、表情だけで猛烈に抗議を表明した。たぶん、ボスに雌を奪われた猿のような顔をしていたと思う。真夏日の動物園でソフトクリームを舐めず、日常の一部であるコンビニのアイスを駐車場で舐めるなんて、僕には理解ができない。
「いや、俺が並ぶからさ、頼むよ。え、というかソフトクリームいらないの?」
「うーん、私は別にいいかな。じゃああっちの派手な鳥見て待ってるね」
子連れのママたちが並ぶ長い行列に、ひとり30代の男が300円を握りしめて並ぶ。これじゃあ、家族の反対を押し切ってでもソフトクリームを舐めたがっている、ワガママでどうしようもない亭主じゃないか(実際そうなんだけど)。なんで奥さんは動物園でソフトクリームを舐めたいという気持ちにならないんだ。
ペンギンと娘の間にコンクリートの壁が立ちはだかったように、奥さんと僕との間にはソフトクリームの壁が立ちはだかっていた。
動物園の帰り道、手に入れたソフトクリームを舐めながら娘の乗るベビーカーを押していると、奥さんが「食べちゃいな」とベビーカーの操作を交代してくれた。僕はベビーカーを押す奥さんの隣で、蟻塚を舌で探るアリクイのようにソフトクリームを舐め続けた。娘はそんな父の姿を見上げながら、やっぱりふてくされた顔をしていた。
つづく